可愛い犬の従弟 - 4/5

ルシウス編

 遅い。一体何処をほっつき歩いているのだろう。もう夕刻だというのに、ナルシッサは一向に戻らない。大方まだドラコにかまけているのだろう。嘆かわしい。
 ドラコは手取り足取りせねばならない三つかそこらの子供ではないというのに、彼女はいつまで経っても甘やかす。少しでも目を離せば消えてしまうと思っているかのように、何処へいくにも連れ添い、喉が渇いたと訴えられる前に水を、腹が空いたとこぼされる前に菓子を与えるような気配りを子供相手に。アルファー症候群になったら、まず間違いなく彼女の責任だった。私が厳しくしつけてやったおかげで多少は中和されただろうが。
 まったく。その気遣いは一家の主であるこの私に使うべきだと思わないのだろうか。結婚する前まで、そして息子を授かる前までは妙に淡白だったくせに、ドラコが生まれた途端手のひらを返したように母親になりきるのだから、女というのは計り知れん。
 昼も夜もドラコ、ドラコ。一人で眠らせるのがかわいそうだからと、五歳の頃まで夫婦の寝室に寝かせる羽目になった(ドラコを真ん中に挟んで【川の字】とかいうヤツだ!)上、子供の教育上よろしくないでしょうとセックスレスを強いられたこともある。豊満な肉体を前に、指一本触れられなかった数え知れぬ夜、何度もトイレに向かわずにはいられなかった男のつらさを彼女は理解しているのだろうか。
 思いだしたら、ますます腹が立ってきた。よし、今日こそはお仕置きをしてやる。必ずだ!
 その時、階下から姿あらわし特有のけたたましい音が鳴り響いた。急ぎホールへと続く階段を下りていくと、ナルシッサの姿が見えた。足音を聞きつけたのだろう。私を見上げ、微笑した。貴婦人そのものの優雅さで。
「ただいま戻りましたわ。あなたが出迎えにきてくださるなんて、珍しいこと」
「なんだね、それは」
 ナルシッサの足元にうずくまっている黒い大きなものを指して問うた。最初はただのゴミかとも思ったが、どうやら犬らしい。小汚い犬だ。もじゃもじゃの黒い毛並みの何処にも艶はなく、サビついた鉄のような色をしている。
 私が近づいていくと、警戒するように身を屈め、低くうなった。あと一歩でも近づけば、襲いかかってやるとでもいうように。
 犬畜生の分際で、このルシウス・マルフォイにそんな態度をとろうとは面白い。
 ナルシッサは犬の鼻面を撫で、庇うように私の前に立ちはだかった。
「ホグズミードで拾ったのですわ。あまりに痩せて、かわいそうで」
 かわいそうという柄ではないな。こんなデカい図体をしているのだから。
「まさか屋敷に置く気ではないだろうな?」
「あら、いけません?」
「父祖伝来の神聖な屋敷をノミだらけにするつもりかね?」
 すでにところどころ汚れている絨毯を指すと、ナルシッサは心得たように頷いた。
「大丈夫ですわ。私が今からお風呂に入れて隅々まできれいにしてあげますから。いらっしゃい、シリウス」
 すっくと立ち上がると、犬はナルシッサの後を追って、トコトコと階段を上がっていった。踊り場でチラリと振り返ると、勝ち誇ったように笑い――犬が笑うというのも不思議な話だが、私にはそう見えた――そっぽを向いた。その仕草はホグワーツ時代、他寮の監督生である私を散々てこずらせてくれたある男を思いださせた。ナルシッサの従弟で、恋人だった小生意気な男を。
 私はその瞬間、胸に一抹の不安を覚えた。

     *****

 ……そして、予感は的中した。その日を境に、ナルシッサとの夜の生活は完全に失われた。あの馬鹿犬のノミが移るのが心配でしょうと、寝室を別にすることをナルシッサの方からやんわりと申しでてきたためだ。何故野良犬と一緒に寝なければならないのだと問い詰めたかったが、「動物にヤキモチをやいていらっしゃるの?」と言われれば何も言えない……プライドが許さん。
 一ヶ月も経たぬうちに馬鹿犬は肥え太っていったが、一向に我が家からでていく素振りを見せないどころか、主の私に向かってうなるのをやめなかった。クソ生意気な。いつかナルシッサの目の届かぬところで犬鍋にしてやると私は固く決心した。