とんだ勘違い

 ハロウィーンをすぎると、紅葉はまばらになり、山々は汚らしい灰と茶に取って代わる。空気も一段と冷え込み、制服にローブを着ただけでは震えが走る。無造作に首にかけていたマフラーをきっちりと巻きつけ、喉元をきっちりと覆い隠した。
 こんな寒い日にクィディッチの観戦をしようだなんて全く正気の沙汰じゃない。今日はスリザリンと宿敵グリフィンドールの対決だが、自分が出場しないのだからどちらが勝とうと関係ないのにと心の中で愚痴を吐いた。ワルデンが隣りでひっきりなしに喋り続けていたが、適当に相槌を打って流しておいた。多分、これからの試合のことをあれこれ語っているんだろう。
 ワルデンは生まれてすぐに母親を。九歳の時に父親を亡くし、我が家に引き取られた。父親が生きていた頃からあまりいい暮らしはしていなかったらしく、そのせいか頭はそう悪くないのに、たまにとんちんかんなことをしでかして周囲の失笑を買う。クィディッチのこともそうだ。ホグワーツ入学までろくろくルールも知らなかったらしく、ご丁寧に上級生にルールを教わりにいっていた。純血のくせにクィディッチのルールも知らないだなんて、まるでマグル同然の物知らずだと笑いものにされているのに気づいているのか、いないのか。分からないことがあれば、まず僕に聞けばいいものを。考えればもう二年以上一緒に暮らしている計算になるが、いまだにこいつには分からない部分が多い。
 歓声が一気に高まり、皆一斉に立ち上がったので選手達が入場してきたのに気づいた。競技場の左右の入り口からスリザリンとグリフィンドールの選手達が飛びだしてくる。早く帰りたいと思いつつ、とりあえず周りに合わせて拍手だけはしておいた。こうしておかなければ、あとでくだらない連中にくだらないことで突っかかってこられるからだ。団体生活も楽じゃない。
 ん……? グリフィンドールにすごい髪の奴がいる。真紅のクィディッチ・ローブに合う、赤毛だ。金をまぶしたような見事なまでの赤毛が、風になびくと火みたいに見える。六年生か、七年生だろう。遠目からでも相当にでかいのが分かった。かといって、ゴイルのようにゴツいわけでもない。引き締まった、いい体つきだ。ビーターの棍棒を片手に、空いた方の手をひらひらと振って観客の声援に答えている。まだ試合が始まっていないとはいえ、随分と余裕たっぷりだ。それも頷ける。こいつは箒を旋回させているというのに、柄を押さえていない。なのに、少しも体勢を崩さない。相当なバランス感覚の持ち主だ。
 ホイッスルが鳴り響くと、そいつは俊敏にブラッジャーの近くに舞い上がった。そのスピードもさながら、打つ時の身体のしなり方。ブラッジャーはまっすぐにスリザリンのチェイサーの背中にぶち当たった。試合開始から、まだ三分と経っていないというのに。なんだ、こいつは?
「グリフィンドールのファイン・プレー! 試合開始直後にこんな芸当ができるのはアーサー・ウィーズリーくらいなものでしょう、素晴らしいの一言に尽きます!」
 グリフィンドール贔屓の解説が興奮して叫んだ。
 アーサー・ウィーズリー。名前だけは知ってる。古くからある純血の一族だが、ここ百年ほどは低迷に低迷を続けているらしい。それというのも先々代だかがマグルと魔法族は同じ人間であり、平等だとか抜かしたことにあるとか。父上がそんなことを言っていた気がする。
「へえ。あれがウィーズリーか」
 ワルデンが感心したようにつぶやいた。
「知ってるか、ルシウス? あれがプルウェットの彼氏だってさ」
「なんだって? プルウェット!?」
 モリー・プルウェットは二学年上のグリフィンドール生。学年も違えば、寮も違う。普通に考えてなんの接点もないはず……だが、ホグワーツ特急で運悪くでくわしてしまってから今日この日まで……いやいや、おそらくはあの女が卒業するまで、ずっとつきまとわれるに違いない。ずっと猟犬のように僕を追いかけ回しては、何か校則違反をすると容赦なく告げ口をする暇人だ。
「あの小うるさい暴力女に恋人なんてものがいたのか……驚きだ」
 しみじみと言うと、ワルデンはうんうんと頷いて肩を抱いてきた。寒いからといって男に身体を寄せられるのは、はっきり言って嬉しくない。例えそれが親友であろうと、ムサいものはムサい。邪険に振り払うと、何処か哀れむような目で見てくる……なんだ、その目は。気持ち悪い。
「初恋ってのは実らないものなんだよ、ルシウス」
「はぁっ?」
「モリーの兄貴のギデオンとウィーズリーが親友らしくてな。多分、あの二人は切れない……残念だったな」
 待て待て待て。どういう思考回路をしているんだ、こいつは。何故か僕がプルウェットのことを好きだと思い込んでないか? 阿呆らしい。僕にMの趣味はない。どっちかと言わなくてもSだ。あんな散々な扱いを受けておきながら、どうやってあの女のことを好きになれというんだ。
「お前なんか勘違いしてるだろう」
「いやいやいや! 言うなよ、ルシウス! 俺にはよぉーく分かってる! 想うのはタダだ、自由だ! 諦めろなんて、そんなことは言わないさ! それに、だ。ひょっとしたら天変地異が起こって、ウィーズリーが死なないとも限らないしなッ。そうなったら傷心のプルウェットを慰めて、イケるところまでイケるかもしれないし」
「だから! 勘違いをするなと」
 鼻息荒く、いけるをイケると言いだしたワルデンを近くの席に座った連中が試合そっちのけで注視しだした。まずい。この馬鹿が口走ったことを本気にする奴がいたら、どうする。あらん噂を立てられて、赤っ恥をかかされる。この野郎……本気で殴りつけてでも気絶させてやりたい。
「うわっ、危ないッ……!!」
 甲高い悲鳴が耳に入った時には、遅かった。ブラッジャーが僕の顔まっしぐらに飛んできていた。
 鼻が折れるくらいじゃすまないだろうな。死ぬだろうか。くそ。どうせだったら、ワルデンの馬鹿を狙えばよかったものを…――ぶち当たるまで、ほんの数秒。走馬灯とはこれかというほどに、間隔があったように思う。
 スッと黒い影が躍りでた――ガンッ――突き飛ばされた音にしては、大きすぎる。しりもちをついた僕の真ん前には、真紅のローブを着た男が立っていた。アーサー・ウィーズリーだ。ハッハッと短く息をしながら振り返った顔は、てらてらと光っていた。眼鏡を外して、垂れ落ちる汗を拭うと、ニッと人好きのする笑みを浮かべた。
「大丈夫かい? 怪我はなかったか?」
 差しだされた手は大きく、力強かった。間一髪のところで、彼がブラッジャーを逸らしてくれたのだと分かった。
「あ、ありがとう……助かった」
「うん。なんともないみたいでよかった……君みたいな可愛い子の顔に傷がついたら勿体ないしね」
 にこにこと笑いながら言うウィーズリーに、ぽかんとしていた寮生達が笑いだした。その筆頭がワルデンだ。腹まで抱えて仰々しく笑い転げるワルデンは呼吸をするのも必死という有様だ。不思議そうに周囲を見回すウィーズリーに、ワルデンが言った。
「すっ……すごい三角関係だな、おい! よかったじゃないか、ルシウス……これで勝機が見えてきたかもしれないぞ……!!」
「えっ、ルシウスって……」
 ワルデンと僕とを交互に見比べながら、ウィーズリーが戸惑ったように言う。
「君、もしかして……そのぉ……女じゃなかったの?」
 その瞬間、たまりにたまっていたものがブチブチと音を立てて切れた気がする。考えるよりも先に、杖を取りだしていた。
「アバダ」
「げっ……やめろ、ルシウス!」
「マルフォイ、落ち着け! 皆、マルフォイを押さえつけろッ!!」
「放せ……!! こいつ、ブッ殺してやる~ッ……!! 放せ、放せーッ!!」
 羽交い絞めにされて誰かに殴りつけられた気もするが、とにかく無我夢中で手足を振り回して暴れた。もう一度、ガツンと衝撃があった。さらにもう一つ…――視界が白ばんで、音と言う音が遠のいていった。

     *****

 医務室で目を覚ました後が最悪だった。クィディッチ試合中に決闘しようとしたばかりか、禁じられた魔法まで使おうとしたことでとやかく言われた。未遂だったから退学にはならなかったものの、三日間の謹慎処分。名誉を傷つけられて黙っていろというのか。なんて学校だ、ここは。
 モリー・プルウェットの尾行も今までとは比べ物にならないくらいひどくなった気がする。アーサー・ウィーズリーを殺しかけたことが原因かと思ったが、ワルデンの話では――あいつはケタケタと笑いながら耳打ちしてきた――僕に……あれだ、妬いているらしい。僕はいたってノーマルなのだから安心してほしい……頼むから。
 あの現場を間近で見ていた女子達が、あれ以来、僕を見ては――ことにウィーズリーと廊下ですれ違ったりするとキャーキャーと妙な声を上げるようになったのだ。勘弁してくれ……「マルフォイは絶対受よ! だって、あの顔見てよ! ウィーズリーだって、あの顔と華奢な体つきにまいったのよ!!」「違うわよ、攻よ! 彼はね、やると決めたらとことんやる男なんだから! 年下鬼畜攻に決まってるわ!!」……なんの話だ、なんの。人の噂も七十五日というが、このはしゃぎっぷりを見るにたったそれだけの日数で噂が収まるかどうかは大いに疑問だ。
 ああ、針のむしろだ…――これというのも、あのアーサー・ウィーズリーの勘違いのおかげだ。全てはあいつが悪い! この先何があろうとも、あいつだけは絶対にこの手で消してやる。女子のクスクス笑い声を聞くたび、心から思った。

(2006/06/25)