兆し
最近のあたしはおかしい。ふと気づいたら知らないところにいたり、ローブにニワトリの羽やペンキがついていたり。それも、あの【例の事件】が起きた時。ミセス・ノリスが襲われたハロウィーンの夜、クィディッチのスリザリン戦が行われた夜、ハリーの同級生が襲われたあの決闘クラブの翌日の三度とも、あたしは何処で何をしていたのか思い出せなかった。
最初はただの偶然だって思った。ただ身体がだるくて横になっている時に、たまたま事件が起こったんだって。でも、二度、三度同じことが続くと怖い。怖くてたまらない。【例の事件】の犯人は、ひょっとしたらあたしなんじゃないかって。
皆にハリーが疑われて、白い目で見られていることは知ってた。でも、あたしは何も言えなかった。あたしが犯人だと分かったら、皆のハリーに対する態度が、そのままあたしに向けられるって分かっていたから。大好きな人に罪をかぶせてるかもしれないのに、あたしってなんて嫌な子なんだろう! 自分のことしか考えてない、卑怯者だ。
『ジニー、君みたいに優しい子がそんなことをするはずないよ』
疑念を打ち明けられるのは、日記帳の中のお友達にだけだった。でも、と言いかけるあたしを制して、いつも違う話題にすり替えてくれる優しいトム。
パパとママから、このクリスマス休暇にエジプトにいかないかって誘われたけど、断ったのは彼のため。せめてクリスマスの間だけでも事件のことなんて忘れてしまいたかったから、ビルのところに遊びにいくのは大賛成だった。けれど、そうするとトムとは一緒にはいられない。パパはいつも「一人で勝手に考えることのできる物は信用しちゃいけない」って言っていたから、きっとトムの日記帳を見られたら、取り上げられてしまう。ひょっとしたら、処分されてしまうかもしれない。かといって、あたしだけが話し相手というトムに寂しい思いをさせるのは嫌だった。
トムはホグワーツに居残ると伝えると、とても喜んでくれた。
『僕のために、ありがとう、ジニー。兄さんに会いにいきたかったろうに……何か、僕も君にしてあげられることがあればいいのに』
そう言ってくれたトムに、あたしは一つだけ、おねだりをしてみた。
以前、あたしの姿は日記を通して見えていると言ったトム。あたしも一度だけでいいから、彼の顔を見てみたかった。もちろん、日記の中に宿る【記憶】には実体がない。姿を見るなんてできるはずがない。でも、図書館には卒業生のアルバムが残っているはず。それを見にいっていいか、と訊くと、彼は少し間を置いてから返事をくれた。
『かまわないよ。君が見たいというなら』
勝手に見にいってもよかったけれど、トムがあたしのことを見ていると知らなくて、あたしは少しだけ罰の悪い思いを味わった。トムも勝手に見られたら嫌かもしれないと思ったのだ。
イブの日は生徒の大半が家に帰ってしまっていて、ホグワーツ中がひっそりと静まり返っていた。ほとんど図書館に住み着いているパーシーもハーマイオニーもその日は何処かにいってしまったようで、誰の目を気にすることもなく卒業アルバムをあさることができた。トムに年代を確認して、書庫の棚からアルバムを探し当てると、ページをめくっていった。
グリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー、そして最後にスリザリンのページがある。緑色の背景のページに個々の写真。蛇の写真枠から覗く顔は、どれもあたしを見ると露骨に嫌な顔をした。グリフィンドール生が、何故スリザリン生のページを覗いているのかと耳打ちしている女の子達。写真の枠がまるで窓であるかのように、身を乗りだして杖を向けてくる魔法使いまでいる。
なんだか、悲しくなった。スリザリンはやっぱり昔からグリフィンドールと仲が悪かったんだ。この中にいるトムを見たいと思う反面、顔をしかめたりされるくらいなら、いっそこのままアルバムを閉じてしまった方がいいかとも思った。
その時、ふっと一人の男の人が目についた。とてもきれいな人だった。サラサラの黒髪に、その合間から覗いた紅茶色の目がとても優しげで、あたしを見ても嫌な顔をしないどころか、笑いかけてくれた。ただ黙っていても見とれてしまうくらいだったけれど、微笑んだ顔が本当にきれいで、見ているだけで胸が痛くなった……だって、あまりにもきれいすぎる。写真の下にある名前を見なくても、分かった。この人だ。この人がトムなんだって。
トムはどのページにもいた。人気者だったのか、複数人で写っている写真の真ん中には必ず彼がいるといってもいいくらいだった。
なのに、何故だろう。輪の中心にいるのに、彼はちっとも楽しそうに見えない。笑っているのに、どうして淋しそうに見えるんだろう。
そのことには触れずに、ただとてもきれいだったから驚いた、とだけ言うと、
『幻滅した?』
と返された。
幻滅なんてするはずがない。むしろ、たった一人のお友達がこんなに素敵な人だったなんて思ってもいなかった。
『本当はね、あまり君には見られたくなかったんだ。ホグワーツで過ごした時は楽しかった……それまでの生活とは比べ物にならないくらいにね。でも、この卒業アルバムの……巣立つ前の僕は、多分あまり幸せじゃあなかったと思うんだ。【記憶の僕】のほんの少し先の僕はね。すぐそこに、暗い未来がぽっかりと口を開いて待っていたから』
暗い未来――ああ、そうだった。トムは長く生きられない病気だったと言っていた。もうじき死ぬかもしれないっていうのに、心の底から楽しめるはずがない。だから、淋しそうに見えるんだろうか。
『ねえ、トム』
語りかけると、彼はいつも通りに優しく返事をくれる。
『あたしね、やっぱりこのアルバムを見てよかったと思うの。トムがどんな人だか分かったし、きっと……今まで以上に。
トムは思っていた通り、優しい人だったわ。あたしを見て、笑ってくれたの。あたしね、五十年前にトムと会っていたら、やっぱり今みたいにトムを好きになっていたと思うの。もしかしたら……ううん、トムもあたしのこと、好きになってくれた?』
『もちろんだよ、ジニー。きっと君の全てを手に入れたいと思うくらい惹かれていたよ』
心臓が胸から飛びだしてくるんじゃないかと思った。日記帳から目を逸らしたまま、閉じると、あまりの恥ずかしさに身体が震えた。真っ赤になったあたしの顔を、トムは見ただろうか。
どうして、あんなことを思ったんだろう。もしかしたら……五十年前にトムと出逢っていたら、トムのことを好きになっていたかもしれない。ハリーじゃなく、彼に惹かれていたかもしれないだなんて。
最近のあたしは、やっぱりおかしい。
(2005/12/24)