My Little Riddle ~a second-year - 7/9

For you

 深夜の二時を回っているというのに、グリフィンドール寮の談話室にはまだ二つの影があった。寝巻き姿の女の子と、女の子より四つ五つほど年上であろう制服姿の男の子が、ソファに並んで座っている。女の子はウィーズリー家の末っ子のジニー。男の子の方は【例のあの人】の【記憶】、トム・リドルだ。
 細々とだが生き延びたトム・リドルは、ルシウス・マルフォイの助力を得て甦り、ジニーに取り憑くことで復活を果たした。とはいっても、彼の今の望みはハリー・ポッターに復讐を果たすことでもなければ、マグルを根絶やしにすることでもない。彼はそう明言した通り、ただジニーの側にいるだけだった。先年のようにニワトリが殺されたり、マグル出身者が襲われたりする事件は起こらず、ジニーの記憶に空白の時間が生じることもなかった。
 今のジニーは安心しきったようにリドルに寄りかかっている。何も起こらない期間が長くなってくるに連れて、少しずつ緊張はほぐれていったのだ。もちろん、かつて自分を殺しかけた相手だということはいつも心の片隅にある。けれど、彼と楽しくお喋りしていると頭から抜け落ちていってしまうのだ。こんな風に皆が寝静まった深夜、二人でこっそり会おうと持ちかけるほどに。
 ひとしきり話終えて、そろそろ寝ようかと思い始めた頃だった。壁にかけられたカレンダーを見て、あれ、とリドルが目をまたたいた。
「昨日ってバレンタイン・デーだったんだね」
「うん、そうよ」
「今年は? またハリーにカードをあげたの?」
「トムの意地悪。嫌なこと、思い出させないで」
 ジニーは顔を真っ赤にして、うつむいた。
 去年のバレンタイン・デーは悲惨としか言いようのないものだった。憧れのハリーにカードを渡したいと、こっそりとロックハートの小人に配達を頼んだら、あろうことか人目の多い大広間で告白されてしまったのだ。皆に好きな人がバレてしまい、笑いものになっただけではなく、ドラコ・マルフォイにはいまだにそのネタでからかってくる。
 リドルはニヤッと笑った。悪戯をする前の双子みたいな笑い方だ、とジニーは思った。
「『あなたの目は緑色、青いカエルの新漬けのよう』だっけ?」
「トム……!」
 手近にあったクッションで叩いてやったのに、彼はまだ笑っている。
「なかなか独創的だったよ、ジニー」
「もうっ。変なことばっかり覚えてるんだから!」
「変なことばかりじゃないよ。君の言葉なら一言一句違わず覚えてる」
 告白めいた言葉に、ジニーは思わずクッションを抱きしめた。また赤くなりそうな頬を隠して、精一杯明るい声をだす。
「嘘っぽーい」
「じゃ、証明してみせようか。去年のバレンタインの少し前。まだ、君が僕の日記帳を捨てる前のことだった。『あのね、ニホンって知ってる? 今日友達に聞いたんだけど、そのニホンではバレンタイン・デーにチョコレートをあげるんですって……好きな人に』――覚えてるかい?」
「わっ、すごい。ホントに覚えてるんだ……!?」
 言った内容は覚えてる。でも、どう言ったかまではもちろん覚えてるはずがない。スラスラと口にしたリドルに手を叩くと、
「僕は【記憶】だからね。あの日記に書き込まれたことは全て記憶してる。人間と違って忘れられないのが残念だけど」
「そうかな? 全部覚えてられたら、それが一番いいと思うけど」
 苦手な魔法薬学のことが思い浮かんだ。一度覚えたことを忘れないならテストでも高得点を取れるのに、と首をかしげるジニーにリドルの笑顔がかげった。
「嫌な記憶も消えていかないんだ。たまにそれが苦痛になる。十六歳の……僕を創りだした本当のトム・リドルの記憶も鮮明に残ってるんだ。他人を陥れたことや、それに」
「それに?」
 リドルは一瞬言おうか言うまいか迷うように口を開き、閉じた。けれど、また思い直したように首を振る。
「人を殺したこと……君にもひどいことをしてしまった」
「……後悔してる?」
「分からない。スリザリンの思想を貫くためには【秘密の部屋】を開く必要があった。それは間違ってない、と思う。でも」
「思い出して、つらい?」
 優しい、ジニーの声だった。リドルは考え込むように目を瞑り、やがて頷いた。
「つらい……かな。どうして、こう思うようになったんだろう。前はこんなこと、思わなかったのに」
「人は日々変わっていくものよ。あたしだって」
 ジニーは言葉を切り、そっとポケットに手を忍ばせた。
「ねえ、トム? さっきの話だけど、去年あたしはハリーに夢中だったでしょ? チョコレートをあげて、他の人とはちょっと違ったアピールをしようと思ってたの。でもね、結局バレンタイン・デーに渡したのはカードだけだったの」
「そうだったの? どうして?」
「どうしてだと思う?」
 ジニーはリドルの手のひらの上で、握り締めていた拳を開いた。リドルは自分の手の中にある小さな銀の包み紙と、ジニーの顔とを見比べる。
「ね、トム? つらい思い出もあると思うけど、嬉しい思い出もあるでしょ? 毎日の小さな嬉しい思い出もずっと忘れられないって思ったら、やっぱりいいことじゃない? だから、嫌な思い出に負けないくらい、これからたくさんいい思い出をつくっていこう。ね?」

『あたし、トムのこと大好きだから、トムにもチョコレートをあげたかったの』

(2006/02/15)