My Little Riddle ~a second-year - 1/9

光差す雲間

 スネイプは紅茶をすすりながら生徒達に提出させたレポートに目を通していた。先日行なった実験の経過をまとめるだけのごく簡単な課題であるにも関わらず、不出来な生徒のなんと多いことか。まともだと言えるのはほんの数人しかいない。
 そして最悪なのがこれだ。スネイプはうんざりと次の羊皮紙を手に取り、上に重ねた。子供っぽい丸い字は読む気も失せるような代物で、書かれている内容といえばそれ以上にひどい。説明したはずの調合の手順からして間違っており、材料の刻み方や使う箇所、挙句の果てにできあがる薬の名まで間違っている始末。わざとやっているのかと思わせるほどにひどすぎる。
「ミス・ウィーズリー」
「は…、はい……」
 ヘドロのようなもので汚れたビーカーと布を片手に持ったまま、ジニー・ウィーズリーは棚の陰から顔をだした。そちらにある水道で山と積んだ器材を洗わせていたのだ。先日ふくれ薬を調合していた鍋を爆発させた罰として。
 手招くと、彼女はおずおずと近づいてきた。ほんの数秒でもいいからスネイプに近づくのを遅めたいとばかりに歩幅を縮める。
「かけたまえ」
「はい……」
向かいに座ると、目をあわせないようにかうつむいた。
 スネイプは大抵の生徒達から恐れられていることを知っていた。それに大して不満はない。あくまで教師は物を教える立場なのだから。短い時間で効率よく技術を習得させるためには親しみなど無用の長物だと考えていた。
 だが、ドラゴンに素手で立ち向かえと言われたような顔をしているジニー・ウィーズリーの顔を見ると苛々した。
「ミス・ウィーズリー。君はやる気があるのかね? 毎時間のようにとんでもないミスをやらかしてくれるが……魔法薬学は非常にデリケートなもの。僅かなミスさえも許されぬから扱いには重々気をつけるようにと言わなかったか?
 見たまえ、このレポートを。この部分など、君が一年生の時に我輩が口を酸っぱくして申し上げたはずだが?」
「……すみません」
 彼女は下を向いたまま、消え入りそうな声でつぶやいた。嵐が過ぎ去るまでジッとしていようと思っているのかもしれない。スネイプの苛立ちは一層煽られた。
「まったく! 苦手な科目ほど力を入れねばならぬというのに。兄達の愉快な悪戯につきあっているから、このようなことになるのではないか? そうだ、君はあの有名なミスター・ポッターのファンだったな。不出来な彼をこんなところまで見習っているのではあるまいな?」
 ジニーは汚れた手で目元を拭った。垂れ落ちる髪で表情は見えなかったが、泣いているようだ。少しの反論もせずに、自分の殻に閉じこもって泣くだけだとは情けない――鼻をすする微かな音まで洩れてくると、スネイプは我慢できなくなった。
「もういい。洗い場に戻りたまえ」
「は…、い……」
ジニーは目元を覆ったまま立ち上がり、器材のところへと戻っていった。
 まったく扱いづらい生徒だ。スネイプはふうと溜め息を吐いた。
 昔から女子は苦手だったが、ジニー・ウィーズリーのような内気な生徒相手だとなおさらだった。どう接しても最後には泣かせてしまう気がする。兄達のように、とまではいかずとも、もう少し覇気を持ってほしいものだが…――カップの底にたまった茶滓の苦みに顔をしかめつつも一気に紅茶を飲み干すと、スネイプは次の生徒のレポートをめくった。
 だが、目を通すことはできなかった。小さな悲鳴が呼び水になり、続いてガラスの割れるけたたましい音が鳴り響いたのだ。
「……ミス・ウィーズリー」
 駆けつけ、やはり、という思いで散らばったガラスの欠片の中に呆然と立ち尽くすジニー・ウィーズリーを見た。水道のすぐ横に積んでいた器材の山を何かの拍子で崩してしまったらしい。
 ジニーは見開いた目をおろおろと動かしていた。まるでヘマをやらかした屋敷しもべのように。見開いた目の周りは赤く腫れ、ところどころ汚れで黒ずんでいて、なんとも言いようのない無気味さだった。
 スネイプはもう一度深々と溜め息をついた。厭味ではなく、今にも爆発しそうな怒りを抑えるためにだ。
「君は我輩に何か恨みでも? 手伝いどころか余計に手をかけさせられるとは……いやはや、これでは罰にならんな。グリフィンドール、さらに三点減点。もう、いい。いきたまえ。これ以上器材を壊されてはかなわん」
ジニーの目からまた大粒の涙がこぼれ落ちた。
 何故あの生徒はこれほどまでに自分を苛立たせるのだろう。スネイプは彼女の後ろ姿を見送りながら苦々しく思った。真面目ではあるし、ポッターやロン・ウィーズリーのように反抗的なわけでもない。本からの知識を盲信し、教授にさえも平然と意見する小生意気なグレンジャーよりも遥かにマシであるはずなのに、やることなすこと全てが癇に障る。
 その理由は何故か。
 彼女はよく似ているのだ。自信なさそうにうつむいたり、他人から攻撃されるとすぐに自分の世界に閉じこもってしまうようなところが。リリーと出逢う前――色あせた世界に響く泣き声――封印したはずの過去への扉が軋みかけ、スネイプはかぶりを振った。

     *****

 数ヶ月後、クリスマスを間近に控えた休日のこと。取り寄せを依頼していた古代東洋の薬学に関する書物が入荷したとマダム・ピンスから連絡を受け、スネイプは図書室に向かった。
 カウンターには先客がいた。マダムと何やら話し込んでいたが、スネイプに気づくとくるりと身体を傾ける。
「まあ、セブルス」
 図書室だというのに不必要なほどの大きな声で挨拶してきたのは、小柄でずんぐりとした魔女。
「ああ。スプラウト先生、こんにちは。こんなところで会うとは珍しいですな」
 普段温室にこもっているスプラウトと、同じく地下牢の研究室に入り浸っているスネイプが大広間以外で顔を合わせるのは非常に珍しい。会釈をすると、彼女は口いっぱいに笑みを浮かべ、片手に持った本の表紙をパンパンと叩いた。
「珍しい書物が入ったって聞いてね。薬学のことなら、私も知っとかなきゃならないと思ったってわけよ。少し目を通したけれど、なかなか面白そうな本ね。ああ、マダム。この本、予約を入れといてね。セブルスの次にお借りするわ」
 本の扱いに厳しいマダム・ピンスはスプラウトの扱いが気に入らないようだった。何せ彼女の爪には長年の草いじりのせいでしっかりと土が入り込んでいたし、本を読む前に手を洗うこともない。服についた乾いた土がそこらにパラパラ落ちようと無関心な彼女に貸せば、まず元の姿のまま返ってくることはないのだろう。
 鋭い目を細めたマダムを気の毒に思いつつも、スネイプはサインをして本を借り受けた。
 スプラウトも当然のようにスネイプと連れだって図書室をでた。
 薬草学と魔法薬学とは密接な関わりがあり、自然スプラウトと接する機会は多くなる。この快活な魔女は先ほどの本の扱いのように何事にも大雑把なのかと思いきや、妙にお節介なところがある。自分の楽しいことは必ず他人も楽しいと思っているらしく、教員同士の集会には必ず声をかけてくる。やんわりと断ろうと思っても、首根っこをつかまれて強引に連れていかれるのだ。どちらかと言わなくてもスネイプが苦手とするタイプだったが、母親のように何くれとなく世話を焼いてくれるスプラウトを嫌うことはできなかった。
「ああ、もうクリスマスだと思うとウキウキするわねえ。まあ、可愛い子供達がいるからホグワーツを離れるわけにはいかないけど」
「それは、お優しいことで」
 スネイプはニヤリと笑った。可愛い子供達とはホグワーツに残る少数の生徒達のことではない。丹精込めて育てている温室の植物達のことだ。
 皮肉な笑いも何処吹く風で、スプラウトは晴れやかな笑顔のまま言った。
「あなたも残るのでしょう? シリウス・ブラックもまだ捕まらないし、ポッターは今年も命の危機にさらされていることになる」
「……あの生徒がどうなろうと我輩にはなんの関わりもありませんがね」
「あなたは学生の頃から素直じゃないわねえ、セブルス」
 勘違いだと怒鳴りたい気持ちを抑えて、スネイプは黙りこくった。
 学生時代に世話になったスプラウト教授はひどい思い違いをしている。スネイプがまったくの善意からハリー・ポッターを守ろうとしているのだと。【賢者の石】を奪おうとした闇の帝王から彼を守った時、ダンブルドアがご丁寧にも皆に広めてくれたらしい。ジェームズ・ポッターに命を救われたことに対する返礼のために、彼の息子を守ったのだと。
 だが、今は絶対に違うと言い切れる。裏切り者のシリウス・ブラック――奴さえ裏切らなければ、リリーは今でも生きていたかもしれない。そう思うと憎しみがたぎる。ただ、それだけなのだ。
 何故彼女はそんなにまで自分を【いい人】の枠に押し込めようとするのか、スネイプには理解できなかった。まぶしいまでの微笑みを向けられるに値する人間では決してないのに。
「こんな寒いのに子供は元気ね」
 足をとめたスプラウトの視線は中庭に向けられていた。
 降り積もった雪の中、生徒が二人いた。背の高い黒髪の少年と、寄り添うように立つ小柄な赤毛の少女。マフラーの色でスリザリンとグリフィンドールの生徒だと分かる。空を指差し、何か楽しげに話していた。笑い声がこの廊下にまで届いている。
「あら、ジニー・ウィーズリーだわ!」
 少女の顔に目を留め、スプラウトは素っ頓狂な声を上げた。
「隣りにいるのは誰かしら? 随分親しそうね。彼女がスリザリン生と仲がよかったなんて意外だわ」
 スプラウトは興味津々に背伸びをし、背を向けた少年をよく見ようとする。
 しかし、スネイプは少女の方に目を見張った。遠目にも分かる笑顔と高らかな声は普段の彼女からは想像もつかないようなもので、おどおどとしたところなど何処にもない。重々しい灰色の雲から突如顔を覗かせた太陽のようにあたたかく、最愛の人を思わせた。
(そうか。あんな風に笑うこともできるのだな)
 子供の頃の自分はあんな風には笑えなかったと思うと胸がチリチリと痛んだ。それは焦燥なのか、羨望なのか。視線に気づいた二人がこちらを向く前に、スネイプは足早に廊下を歩き去った。

(2004/06/26)