贖罪

 バーティ・クラウチは駅のホームに立ち尽くしていた。何故自分がここにいるのか考えたが、分からない。鮮やかな紅色の蒸気機関車はホグワーツ特急だ。だが、何故? この列車に乗ってホグワーツを訪れていたのは遥か昔のことだ。
 彼は辺りを見回した。プラットホームには人気がない。ひとまず改札口に向かって歩いていくと、ベンチに誰かが座っているのが見えた。ホグワーツ生のようだ。近づいていくと、その人物は立ち上がった。長身の少年の顔には見覚えがあった。
「君は…――君はレグルス・ブラック、か? まさか、生きて」
 ホグワーツ在学中に殺された、死喰い人の少年。あのシリウス・ブラックの弟だ。間違えようはずがない。
 彼は物憂げな表情でバーティに頭を下げた。
「私はとうの昔に死んでいます、ミスター・クラウチ。何故あなたがここにいるか分かりますか?」
「私も…、私も死んでいる?」
 その恐ろしい言葉を口にした瞬間、彼は全てを思い出した。他ならぬ息子に向けられた杖を。発せられた緑の閃光を。
 死のあらましを自分の口から語るのは気が進まなかったのだろう。レグルスは安堵したように微笑んだ。
「隣りにかけて頂けますか? あなたと話したくてここにきたんです」
「話? なんの話だ」
 バーティの脳裏に、部下だったフランクとアリス・ロングボトム夫妻をはじめ、死喰い人と戦って散った部下達の最期が浮かんでは消えた。この少年はおそらく深く入り込まないうちに始末されたのだろうと思っても、自分の言葉に棘があるのを感じないわけにはいかなかった。
 レグルスは穏やかに「座ってください」と促した。
 腰を下ろす段になり、バーティは初めて自分が学生用のローブを身に着けていることに気がついた。青と銅のレイブンクローの寮章に指を馳せ、まじまじと見ていると、
「この世界では思いのままに姿を変えられるんです。いわば魂だけの存在になっているわけですから。あなたを見た時は驚いた。彼とよく似ていたから」
「彼?」
「息子さんのことです。この世界からは、生ある者の世界も見えるんですよ……望めば、いつなりと。私は遺してきた両親や兄のことが気になっていた。それに、あなたの息子さんのことも」
「息子は君と親しかったのか?」
 この少年が息子を死喰い人に誘い入れたのか? 年も近く、何よりブラック家の人間だ。それに息子が捕まった時、他でもないベラトリックス・レストレンジと一緒にいたではないか。詰問するようなバーティに、レグルスはかぶりを振った。
「いいえ、逆です。嫌われていました。でも、私はできれば仲よくなりたいと思っていた。彼が羨ましくもあったから」
「よく…、分からんが」
 現状はどうあれ一昔前のブラック家はまさに魔法界の王族だった。クラウチ家も代々続く純血の名家ではあったが、ブラック家の権威には遠く及ばない。羨ましいという言葉を量りかねて言うと、
「私の家は会話らしい会話がなかったんです。父は家を空けがちでしたし、母は厳格で……学期が始まるたび、兄と二人だけでキングズ・クロス駅に向かうのが寂しかった。
 でも、ミスター・クラウチ、あなたは違った。ちゃんと息子さんを駅まで見送りにきていましたね。魔法法執行部の部長として多忙な毎日を過ごしていたはずなのに。同じ純血の家柄でもこうも違うのだと子供心に羨ましかった」
 死後の世界でも成長はするのだろうか。老成した口ぶりは息子ではなく、自分と同年代の者と話しているような錯覚を引き起こす。バーティの内なる怒りは段々と鎮まっていった。幾分口調を改め、
「何故バートは…、あの子は君を嫌っていたのだ?」
「成績を争っていたから。いつも僅かな差ではあったけれど、私が勝っていたからです」
 そういえば、とバーティは今さらながらに思い出した。最終学年で息子はついに首席になったと言わなかっただろうか。条件反射のように機械的な「よかったな」の後に曇った息子の顔。
「彼は首席になって、あなたに認めてもらいたかったんだと思います。あなたのことをいつも誇りに思っている風だった」
「そんなはずはない。あの子は私を憎んでいた……」
「ヴォルデモート卿が巧みに彼を取り込んだに過ぎない。私自身、騙されていたからよく分かる。闇の帝王はその気になれば誰の気も簡単に惹くことができるんです」
 バーティは顔を覆った。そうでもしなければ、涙の洪水が襲ってきそうだった。彼はもうずっと以前から欲しかったのだ。赦しの言葉を。免罪符を。
「あの子に謝りたい……私が全て悪かった、と……アズカバン送りにしたのは耐えられなかったからだ。愛する息子が、人を傷つけたことが。仲間さえも裏切ろうとしていたことが……ミスター・ブラック……レグルス…、あの子はここにくるだろうか? あの子に謝ることができるなら、私はいつまででもここで待ちたい」
 途切れがちなバーティの声を察したのか、レグルスは立ち上がった。彼に背を向け、おもむろに口を開いた。
「残念ながら……あなたと話したかったのは、そこなんです。ミスター・クラウチ。彼がここにくることはないんです」
「こない……?」
「あなたが死を受け入れ、この世界にくるまでに大分かかった。その間に彼は吸魂鬼の餌食に」
「馬鹿な! 何故そんなことが、息子……私の、あの子が」
「吸魂鬼も生物である以上、いずれは死ぬ。ただ、魂を持たぬ彼らをこの世界で見かけたことはありません」
 まるで刑を執行したのがレグルスであるかのようにつかみかかるバーティの手をゆっくりと引き剥がしながら、レグルスは優しく、だが毅然と告げた。
 バーティはレグルスの足元に崩れ落ちた。絶望のためか、彼の姿は死の直前の老人の姿に変わっていた。
「……罰を受けねばならないのは、私だというのに」
「もうこの世界にきてしまった以上、悔やんでも遅いんです。先に進んでください。改札口を出て、向こう側に。きっと懐かしい人達に会えると思いますよ」
「懐かしい人など」
 息子に詫びれないのでは意味がない。そう口にする前に、レグルスが続ける。
「奥様もいらっしゃいます。以前、ここでお会いしました……あなたのことをとても心配していた」
「君は…、君はどうするのだ、レグルス?」
「待っている人がいるんです。早く会いたいと思う反面、ここにはもっとずっと後までこないでほしいと思っている人が」
 深い青の目をゆっくりと瞬かせる。目を凝らし、待ち人の姿を見ているのかもしれない。
「それは…、君の兄のことか?」
 バーティが直感的に問うと、レグルスは頷いた。
「ええ。ヴォルデモート卿と真っ向から対決しているので目が離せない」
「シリウス・ブラックは…――」
 【例のあの人】に服従させられている間に、真実を知った。無実の人間を十数年もの長い間、アズカバンに縛りつけてしまったのだ。それも裁判も執り行わずに、弁明の余地も与えないまま。
 だが、レグルスはそれでも態度を変えなかった。
「無実の罪でアズカバン送りに。ええ、知っています、ミスター・クラウチ。でも、仕方なかった。目撃者も大勢いたし、凶悪犯は一刻も早く葬るべきだった。あなた一人のせいじゃない」
「いいや…、いや……私の独善が悪かったのだ」
 バーティはシリウスに、そしてレグルスに詫びる言葉が見つからなかった。どうしようもなく、ただ頭を垂れるより他なかった。
 レグルスは年相応になったバーティにそんなことをさせるのは耐えられないと思ったのか、彼の前に屈み、そっと両肩に手を置いた。
「……ミスター・クラウチ。それなら、どうか息子さんのことをずっと思ってあげてください。魂がなく、離散した吸魂鬼はこの世界の空気になるのかもしれない。吸魂鬼が吸い込んだ魂達も……あなたが思えば、彼はきっと慰められる」
「君は…、君には……生きている時に会いたかったな。できれば、息子の友人として君を迎えたかった……」
「光栄です。ミスター・クラウチ」
 立ち上がったバーティの姿は老人でも、学生でもない。かつて魔法省で輝いていた頃の――おそらくは妻と息子と、愛しい家族達と一緒だった頃の姿になっていた。ありがとう、の一言を残して改札口の向こうに消えていく彼の姿を、レグルスはじっと見守っていた。

(2013/04/29)