My Little Riddle ~a second-year - 6/9

降り積もる雪に似て

 窓に描かれた氷の絵画は赤々と燃える暖炉の熱であらかた溶けてしまい、みじめな水滴となって桟にたまっていた。部屋に背を向けたリドルは曇った窓に指を伸ばす。絡みつく冷たいしずくを気にする素振りも見せず、指先を滑らかに動かす。
 曇りを押しのけて現われたのは絵ではなく【Ginny】という文字。下部に水滴が垂れ集まっていき、涙のように流れていくまで見守った。
 リドルは肩越しに背を向けた少女を見る。ソファの背もたれからチョコンと覗く頭は、暖炉に踊る炎を思わせるきれいな色。
 口も利かずに一体何を真剣にやっているのだろう。静かな部屋に響くのは暖炉の音と、カチカチと何かがぶつかりあう軽やかな音。興味は湧いたが、ジニーにきつく言われたことを思い出し、ゆっくりと窓に向きあった。
 ジニーの身体を媒介にしたリドルは姿を現わさない時、彼女の目や耳を通して全てを感じている。つまりは一緒にいるとプライバシーも何もあったものではない。最初のうちは全然気にしていなかったそんなことが、最近大人びてきたジニーにとっては恥ずかしくなったらしい。
 人のいない昼間はあたしに自由をちょうだい。絶対に覗いたりしちゃ駄目だから! そう頬を真っ赤に染めて見上げるジニーの頼みを無碍にはできなかった。
 同室の寮生がいなくなると姿を現わし、ジニーの側からできるだけ離れている。ジニーから声をかけてくるまでは話しかけない。物音を立てずにいないものとして振る舞う。それがここ数ヶ月のリドルの行動パターンだった。
 彼女の意向を無視して勝手に取り憑かせてもらったのだから、多少は自由にしてやらなくてはならないとは思っていた。自由など与えてやりたくはないというのがリドルの正直な気持ちではあったが、そんな気持ちは見事に覆い隠していたから、ジニーが気づくことはなかっただろう。
(……退屈だな)
崩れた文字をもう一度なぞりながら、リドルは思った。
 以前ならジニーの方から話したがっていたのに――そう、あの日記にひそんでいた頃は。取るに足らぬことをいちいちと報告しては愚痴るジニーに何度嫌気が差したか知れなかった。
 それなのに、今ではすっかり立場が逆転してしまったことに気づいていた。話したいのは、求めているのは自分だということに。
 子供に翻弄される自分など、以前なら馬鹿馬鹿しく思えただろうと思う。誰からも恐れられる偉大な魔法使いを目指す者が、ちっぽけな子供を気に留めるなどあってはならないことだった。
 だが、今では当然のことのように思えていた。
 消えるはずだったリドルがこの世に留まった存在理由はジニーに他ならない。彼女を理解するために共に過ごした長い時。はじめて言葉を交わした時の嫌悪感は、彼女と対峙した瞬間嘘のようにかき消えた。再び出会ってから今日という日までに少しずつ育ってきたのは、あたたかな想い。
 積もって、積もって、辺り一面を覆い尽くす雪のように――全てを渇望したヴォルデモート卿の姿は、ジニーへの想いが少しずつ覆い隠していく。醜い気持ちも、汚い心も、何もかもを白に染め上げていく。
 穏やかな時と場所――ジニーが与えてくれるのは子供の頃に心の奥底で欲してやまなかったもの。そして求める自分の弱さを恥じて、背を向けていたものだった。
 気づこうとしなかっただけで、いつだって差し伸べてくれる手はあったのかもしれない。ジニーの生来の優しさを偽善と決めつけていた自分を振り返り、リドルはそんなことを思った。
 そして、ジニーが傷つくのを恐れずに向きあってくれなければ、いまだに自分の卑屈な思いの中に閉じこもっていただろう。
 新しい世界に連れだしてくれた少女の名をもう一度なぞりながら、窓から差し込む黄色がかった赤い光に目を細める。傾いた太陽の光もまたジニーを思わせる。それゆえに夕焼けに染まった世界は美しく、かけがえのないもののように愛しかった。
 カチカチという音はいつの間にか止んでいた。時計の針を見れば、もう夕刻。そろそろ消えなければ寮生達が帰ってくるかもしれない。
 ジニーに声をかけようとした、その時。
「んっ……終わった」
軽い伸びと共に吐きだすつぶやき。ジニーはソファから身を乗りだし、振り返る。
「トム、ちょっときてくれる?」
「うん?」
「いいから。早く!」
 得意げな笑みを浮かべて手招いた。
「どうしたの? あまりゆっくりしてたら皆戻ってくるよ」
「ちょっと目を瞑って」
頬を赤らめて、嬉しそうに――ひょっとしたら暖炉の火がそう見せているだけかもしれないが。リドルは少しためらったが、おとなしく目を瞑った。
 身を乗りだすジニーの気配に何かが首筋に当たった感触。柔らかな動物の毛のようだった。
「はい。目を開けて」
「……マフラー? 君がつくったの?」
 首に巻きつけられたマフラーに手をやり、リドルは驚いた。普通の毛糸ではなく、ふわふわの細い毛を束ねた毛糸でつくられたもの。ワインレッドの光沢がとてもきれいだった。
「休暇で家に帰った時、ママに教えてもらったの。ヘタクソなんだけど、もらってくれたら嬉しい。編むのが遅くてクリスマスには間に合わなかったけど……バレンタインのプレゼントってことで」
「ずっとコソコソしてたのは、これだったんだ?」
「だって……知られちゃ、プレゼントにならないもの。できたらアッと言わせてみたかったの。手編みのマフラーなんて嫌だった? いらない?」
 不安げに揺れ動くトビ色の瞳に、リドルは笑いかける。
「とっても嬉しいよ。ありがとう」
 完全に実体化していないリドルには暖かさも寒さも感じられなかったけれど、首元に巻きつけられた温かみは確かに感じられた。
「僕にも君に返せるものがあればいいのに」
「トムにはいつも……もらってるから」
 暖炉の音にかき消されるくらい小さな声でささやき、ジニーはうつむく。
 窓の文字は何度なぞってもすぐに形をなくしてしまうけれど、彼女への想いが消えることはないだろう。この先もずっと。

(2004/02/13)