SOAR HIGH - 5/8

 ハーマイオニーはなんの気なしに伸ばした手を棚の前で彷徨わせた。調べ物でもない限り、彼女はいつも直感の赴くままに本を手に取っていた。著者名、タイトル、装丁など惹かれるものは山ほどあったから選ぶのに苦労したことは一度としてなかったというのに。
 この頃ではガリ勉の上に口やかまし屋というレッテルまで張られてしまい、ハーマイオニーと周囲との壁は厚くなる一方で、まともに話をできる相手は監督生のパーシー・ウィーズリーくらいしかいなかった。
 パーシーは弟達と違って完璧な模範生だった。規則に忠実で、勉学に打ち込み、自分の将来を見据えて行動していた。パーシーもハーマイオニーと同じく皆から煙たがられていたが、彼の場合少しもそんなことを気にしていないようだった。自分の信念に忠実であれば、他人の指図は受けない。そんな毅然とした彼の姿にハーマイオニーは憧れに近い感情を覚えた。
 パーシーと話をするのは楽しかった。彼も無類の本好きで、勉強の合間に暇を見ては本を漁っていたらしい。ハーマイオニーがマグル出身と知ると、かのシェークスピアやイプセンの戯曲について議論を仕掛けてきて、ひどく驚かされた。
 ホグワーツの蔵書は膨大だが、魔法界とマグル界が交わらないのと同様、著者がマグルの本は皆無だ。マダム・ピンス秘蔵の金庫でも探せばあるのかもしれないが、入学以来図書館に通い詰めて隅々まで見て回っても、ただの一冊も見かけたことはなかった。パーシーが何処から知識を仕入れてくるのか、ハーマイオニーは不思議で仕方なかった。一度訊いた時、彼は耳まで真っ赤にして口ごもったので、それ以上は追及しなかったが。
 もし、パーシーが同学年にいたなら寂しくなかっただろうが、彼はあいにくと四学年も上だった。ホグワーツは学年が上がるほどに授業数も勉強量も厳しくなっていく。おまけに彼には監督生のありがたい特権の数々を行使できる代わりに、負うべき義務もあった。彼の弟達を筆頭に、お祭り好きの連中を諌めるのは並大抵の労力ではないだろう。
 そういうわけで、ハーマイオニーはパーシー・ウィーズリーと親しくするようになってからも依然として一人でいることの方が多かった。
 一旦誰かと話す楽しみを覚えると、より一層一人でいるのが寂しくてたまらなくなる。周囲の笑い声に耐えられなくなると、ハーマイオニーは決まって本を開いた。本は彼女にとって知識の源泉であると同時に、孤独を慰めてくれるものでもあった。
 なのに今日はどうしたわけか本を読む気分にはなれなかった。肘までずり落ちたローブの袖から腕時計が覗き、ハーマイオニーは文字盤に目を落とした。
(もう一時になったのに)
 自分の溜め息が耳に届くと、打ち消すように頭を振った。
(何時にって約束したわけじゃないのに! これじゃ、まるで私があの人に会うのを楽しみにしてるみたいじゃない)
 飛行術と薬草学。大嫌いだったマルフォイと互いに苦手な科目を教えあうことになってから一週間弱。たった一度の指導で何度チャレンジしてもできなかった箒を手元に呼び寄せることに成功し、ハーマイオニーは彼にとても感謝していた。だからこそ、貴重な予習・復習の時間を割いてまで重要な箇所をノートにまとめてやったり、語句をチェックしてやったりもしたのだ。
(なのに、ねえ……)
 ネビルを馬鹿にされて、ついカッとなってしまったことを思いだし、ハーマイオニーはコンと頭を小突いた。マルフォイに悪口を言うな、なんて空気を吸うなと言うようなものなのに。
 昨日言ってしまった一言一言が頭に甦り、ハーマイオニーは頭が痛くなった。
 自分が間違ったことを言ったとは思わない。けれど、もう少し言い方があったかもしれない。どうしていつもあんな居丈高な言い方しかできないんだろう。
(これだから、いつまで経っても友達ができないのよ……分かってるのに)
「グレンジャー」
 声をかけられ、自己嫌悪から引き戻された。ハーマイオニーは数回目をまたたいてから、ゆっくりと振り返ると、いつもよりも血の気のないドラコ・マルフォイがいた。手にはマグルのノートが数枚挟まれている。
「尻尾を巻いて逃げだしたのかと思ってたわ、マルフォイ。そんなに暗記に時間がかかったの?」
「悪かった……パンジーを振り切るのに時間がかかった」
 パンジー? スリザリン生の顔を次々と思い浮かべ、ハーマイオニーは頷いた。いつも彼に引っついている女の子のことだろう。ぽってりと厚い唇はいつも笑いを浮かべていて、女の目から見ても可愛い子だ。
「デートのお邪魔をしちゃったかしら」
 からかって言うと、マルフォイが神妙な顔つきで近づいてきたので、ハーマイオニーは笑いを引っ込めた。
 マルフォイの左手が肩に触れる。気づけば、ハーマイオニーは彼と本棚の間に挟まれていた。まるで恋人同士のように距離が近い。心臓がドキドキとうるさいほどに鳴りだしたのに気づき、ハーマイオニーは頬を染めた。
「離れて。なんなの……」
 腹を立てて突き放すべきだったのかもしれない。けれど、ハーマイオニーはそう弱々しく言うのが精一杯だった。痺れているのか、マルフォイに握られた手に感覚がまるでなかった。
 マルフォイは重々しく口を開いた。
「グレンジャー。君はどうして一人で食事をしてるんだ?」
「突然、何?」
「今日、大広間で見たんだ。君を……なんで皆から離れて一人で座ってるんだよ。ロングボトムは? あいつと食べればいいじゃないか」
「離してっ」
 当惑が徐々に不快感へと変わっていく。ハーマイオニーは空いた手でマルフォイの手を振り払って後退った。白い跡の残る手は冷たくなっていた。
「あなた、何しにここにきたの? 私はあなたの勉強を見るためにここにきたの。妙な詮索をされるためじゃないわ。どうして私の学校生活にまで口だししてくるの? 放っておいてよ。あなたには関係ないじゃない」
「嫌なんだよ……」
 マルフォイは押し殺した声で言った。目を細め、唇を曲げ、まるで泣くのをこらえている子供のように見えた。
「君が一人で座っているのを見るのは、嫌だ。ロングボトムとは友達なんだろ?」
「友達じゃないわ」
「汽車で庇ってたじゃないか。一緒にあいつのペットを探してた。授業でもいつだってあいつのヘマをフォローしてやってる。昨日だって……友達じゃないなら、なんなんだよ」
「私は……そう思いたいわよ。でも、違うわ。ネビルは私のこと、苦手だって思ってるわ。口やかましい、本の虫だって」
 誰かに言われるよりも、自分自身そうと認める方がつらい。何故マルフォイはこんな残酷なことを言わせようとするんだろう? ハーマイオニーはうつむいた。そうすれば髪が顔を隠してくれる。二回も涙を見せるなんてごめんだった。
「それ、誰に言われたんだ? ロングボトムか?」
「ロン・ウィーズリー……ネビルは彼の友達だから……言ったでしょ。友達なんかいないって」
 マルフォイは一呼吸置いて話しだした。
「グレンジャー。僕は君のマグルくさいところが嫌いだと言ったけど、全部が全部嫌いなわけじゃあない」
「そう。お褒めの言葉、ありがとう」
「向上心は認めてやってもいい。目的のためには努力を惜しまないってところも」
「何が言いたいの、マルフォイ?」
 ハーマイオニーは顔を上げた。悲しみの山場をすぎてしまったのもあるが、マルフォイの言い方が気になった。他人を、ことにグリフィンドールのマグル出身者を褒めるような発言を彼がするなんて。純血主義者の、意地が悪く、へそ曲がりなことで知られたドラコ・マルフォイが。
 目が合うと、彼は先ほどまでの表情は何処へやら不敵な笑みを浮かべていた。
「君と友達になってやってもいいって言ってるんだ」
「友達? 私と、あなたが?」
 聞き違いかと思って繰り返すと、マルフォイは頷いた。
「そうだ。不服か?」
 その傲慢な口調といったら飼い犬に骨を投げる主人のようだった。ハーマイオニーはありがたくもご主人さまの施しを受け取り、尻尾を振る自分を想像して噴きだした。
「何がおかしいんだよ?」
 マルフォイは不機嫌そうに言う。二つ返事で了承すると思っていたらしい。なんとか笑いの発作をとめると、
「わ…、分かってるの? 私、あなたの嫌いなマグル出身者なのよ?」
「ああ。自分でも正気の沙汰とは思えない」
「皆がなんていうかしら? グリフィンドールの爪はじきとスリザリンのお坊ちゃまが仲よくするなんて。あなたのご家族の耳に入ったらどう?」
 マルフォイの顔にサッと緊張が走った。彼は考え込むように目を瞑ると、頷いた。
「……いや、この際そんなことはどうだっていい。大事なのは、君の気持ちだ。嫌か?」
「私、今まで誰かと友達になったことなんてないの。でも」
「でも? はっきり言えよ」
「嬉しい……あなたの申し出、とっても嬉しいって思った」
 ハーマイオニーは自分の言った言葉の意味を考えて穴に入り込みたくなったが、色の白いマルフォイの顔が茹でたように真っ赤に染まっていくのを見て、やっぱり口にだしてよかったと思った。こんなにも赤くなったマルフォイの顔は、ハリーだって見たことがないに違いない。もちろん、きっと他の誰も。