ドラコはムズムズしてきた鼻と口を覆い隠し、あくびを噛み殺した。浮かんだ涙を拭おうと目元に手をやる。腫れぼったいまぶたは熱を持っているようで、今にも垂れ落ちてきそうだった。
一睡もしていないのだから眠いはずだ。
ハーマイオニーから渡されたメモを全て暗記するのに明け方近くまでかかってしまったのだ。その上、一度寝たら忘れてしまうのではないかと不安になって、結局ベッドに入っても眠れなかった。
一晩中起きていたせいか、胃の具合がひどくおかしくなっている。今にも鳴りだしそうなほど腹が減っているようで、食べ物が収まった途端ズキズキと痛みだす。ドラコはスープを匙でかき回しながら溜め息を吐いた。朝食時のざわめきにかき消されるような小さなものだったし、両隣りのクラッブとゴイルは食事に夢中で全く気づいていないようだった。けれど、向かい側にかけたパンジーは気づいたようだった。パンをちぎる手をとめ、首をかしげた。
「寝不足? あんなに早く寝たのに?」
「ああ。どうも寝つけなくてね」
吸い込まれるような目に見つめられると嘘をつくのが心苦しい。ドラコはさりげなく視線を外しながら答えた。
人の大勢いる談話室では集中できないだろうと思い、昨夜は夕食後早々と自室に引きこもってしまった。誰にも気づかれないようにこっそりと戻ったはずなのに。さっきのあくびといい、パンジーはよく見ている。彼女の大きな目は見過ごすものなど何もないのだろうか。
その時、猛烈な勢いでプディングを食べ終えたゴイルがパッと顔を上げた。
「寝つけないも何も、ずっと起きてただろ?」
「ゴイル!」
肘で小突くと、申し訳なさそうにうなだれた。
どうしてこいつは最悪のタイミングで口をだしてくるんだろう! いつも通り、食事に没頭してればいいものを――ずっしりと肩を落としたゴイルを睨みつけるのをやめて、ドラコはそろそろとパンジーに目を向けた。彼女は唇を曲げ、いかにも傷ついたという顔をしていた。
全く間が悪いことに、ドラコは昨日ハーマイオニー・グレンジャーに会いにいく前、彼女に魔法薬学を教えてほしいと言われていたことを思いだした。一度断わられてしまったからと遠慮して、彼女はもう一度自分の方から切りだせなかったに違いない。
言い訳を言うより先にパンジーが口を開いた。
「なんだか、変。ドラコ、ここ数日おかしい気がする」
責める口調ではなかったが、ドラコは内心ひやりとした。
「おかしいって、何が?」
「何処がどうってわけじゃあないけど……隠し事してない?」
「パンジー。君はいつから僕の監視員になったんだ? なんでも君に報告しなきゃいけない義務でもあるのか?」
語気の荒さに周囲の目がサッと集中した。学校生活は刺激が少ない。誰かのゴシップは格好の暇つぶしなのだ。ドラコは誰かにどうこう言われようと少しも気にならなかったが、ビクンと身体を震わせたパンジーを見ているうちに言いすぎたかもしれないと後悔に駆られた。目を伏せ、噛みしめた唇が真っ白になっている。今にも声を上げて泣きだすのではないかと思った。
けれど、彼女は泣かなかった。もう一度顔を上げた時にはいつもとそっくり同じ笑みが浮かんでいた。
「ごめんなさい。悪かったわ」
声もいつも通り。怒りや悲しみの色は見えなかった。ドラコは心底ホッとした。
「いや、僕も悪かったよ。言いすぎた……それに昨日、魔法薬学のことを教えるって約束を破ったのも僕の方だったし」
「いいのよ! あんなの、いつでも。あんまり勉強にかじりついてばかりいて、グレンジャーみたいになっちゃったら困るもの」
「グレンジャーだって?」
「知ってるでしょ、ドラコも。ほら、あの子。グリフィンドールの」
パンジーは肩越しに振り返って、ホラと反対側のグリフィンドールのテーブルを指差した。
教えられるまでもなく、ドラコはすぐにハーマイオニーの姿を見つけることができた。一番端の出入り口に近い席に彼女はポツンと座っていた。三、四人のグループに別れて皆が和気藹々と食べている中、彼女は一人で黙々と食べていた。始終下を向いているから、ドラコ達の視線にも気づかない。
「マグル出身者のくせに、いつも知ったかぶって。グリフィンドールの連中もあの鼻持ちならない態度が我慢できないんでしょうね。いつも一人でいるのよ」
ドラコは弄んでいた匙を危うくスープの中に落としそうになった。クラッブとゴイルは顔を見合わせ、ニヤリと笑った。
「ああ、グレンジャーってあいつだろ! あの時の」
「そうそう。あのすごい威張り腐ったヤツ」
「あんな性格だからなあ」
パンジーはあら、と二人に注意を向けた。
「何よ。あんた達、話したことあるの?」
「少しだけ。ホグワーツ特急でロングボトムに何したのかって、すごい剣幕で訊いてきたんだ」
「へえ? あのガリ勉がチビのロングボトムにお熱だったなんて、ちょっと意外だわ」
パンジーが誘いかけるように笑ったが、ドラコはとても笑うような気分にはなれなかった。数日前のハーマイオニーを思いだしたのだ――友達なんかいないと言って涙をこぼした彼女の姿を。普段の強気な態度が嘘のように頼りなかった。
もしかしたら彼女はいつも虚勢を張っていたのだろうか? どうして? なんのために…――
「ドラコ?」
物問いたげなパンジーの視線にかちあって、ドラコはなんとか笑いを捻りだした。
「ロングボトムの奴は曲がりなりにも【純血】だからねえ。ポッターみたいな【混血】よりかはまぶしく映るんじゃないかい?」
「そうね。なんていったって、あの子は【穢れた血】だから!」
パンジーのクスクス笑いはこんなにも不愉快なものだったろうか。募る苛立ちに胃がグラグラと揺れるようだった。ドラコは腹を押さえつけることで、席を蹴りたい衝動を必死に抑えつけた。