追憶のオルゴール

 店先から流れてきたメロディーに、ジニー・ウィーズリーは足を止めた。高く軽やかで、周囲のざわめきにかき消されそうな小さな音。彼女は誘い込まれるようにドアをくぐっていった。
 小じんまりとしたその店は円形になっており、天井近くまである棚にはガラスや紙粘土でつくったらしい小物が陳列されている。何気なくその一つを手に取ってみた。田園風景を象った飾り物で、見た目以上に重い。細々とした模様が、手のひらに不快感を残した。

「困るね、勝手に触られちゃあ」
 ヌッと奥から顔を出した老婆が咎めた。
「これは魔法界の物じゃない。マグル達のつくった物なんだよ……壊れやすいし、汚れやすい」
「マグルの? これが?」
 杖を振りながらブツブツ文句を言う老婆が、胡散臭そうにジニーを見た。
「あんた、何しにここにきたんだい? マグルを馬鹿にするためだったら帰っとくれよ。マグルは魔法が使えない代わりに、手先が器用だ。こんな細かな、美しいものが私らに作れるだろうかね?」
「ごめんなさい、そんなつもりじゃなかったの。マグル製品を見たこと、あまりなかったから……こういう工芸品はね」
 父親のコレクションは用途が分からない小さな金属だったり、大きなフタのない箱などが大半だった。感心したように言うジニーに、老婆は警戒心を解いたのか欠けた前歯を見せた。
「私らの世界にある美術品のほとんどは、マグル界から輸入したものさ。マグルを馬鹿にし、その能力を認めたがらない奴らのせいでいまだにあんまり知られちゃいないけどね」
「あの…、さっきから流れてるこの曲は何処から?」
「ああ、これさ」
 老婆はカウンター上にある置物を指した。グランドピアノをそのままミニチュアサイズにしたオルゴールだ。鍵盤の溝まで一つ一つ刻み込まれ、ご丁寧にペダルまでついている。
 息が吹きかかるほど顔を近づけたまま、オルゴールを見つめるジニーの脳裏には数年前の思い出が甦っていた。まだ子供だった自分に優しく接してくれた【彼】のこと。年の離れた兄を慕うように気持ちが、いつしか変わっていった。愛を打ち明け、受け入れられた瞬間の幸福感。そして、唐突な別れ…――自分一人が置き去りにされた痛み。空虚な時間を経て、また人を愛せるようになった現在までを。
「いい曲だろう? これはね」
「知ってる。別れの曲でしょ」
 目を見張る老婆に、ジニーは笑った。
「私の好きな曲……昔、好きだった人が弾いてくれた曲だから」

 カラン、と鈴が鳴った。店に入ってきた青年を見て、老婆はアッと声を上げた。
「ジニー、お待たせ。随分探したよ。ずっと同じ店にいると思っていたのに」
「ごめんね。ちょっと退屈しちゃったの」
「ハ、ハリー・ポッターさんっ? ほ…、本物……!?」
 ハリー・ポッターを一目見たいと願う人は多い。何せ彼が伝説の闇の魔法使い、ヴォルデモート卿を打ち破ったのは、ほんの一年前なのだから。今にも泡を噴きそうな老婆の反応に、ハリーはクシャクシャの髪を照れ隠しのようにつぶしながら、ジニーに耳打ちした。
「気に入ったならプレゼントさせてよ。いまだに指輪以外受け取ってくれないんだから」
 ジニーは恋人の肩に手を置き、素早くキスした。
「遠慮しとく。駄目よ、ハリー、これから結婚しようっていう時に無駄遣いばかりしちゃ」

 ――この先、誰か好きな人ができて、君がその人を……愛するようになったら。そしたら、僕のことなんか気にせずに幸せになってほしいんだ。

 時間が解決してくれるなんてお決まりの慰め文句だと思っていたのに、【彼】に言われた言葉をいつからか優しい気持ちで思い返せるようになった。どんな痛みも癒える。確実に。
 ジニーは恋人に笑いかけた。なんの陰りもない笑みだった。

(2005/11/20)