朧な想い

 その豪勢なパーティーは八月最後の週に開かれた。純血の名家同士が結ばれることを祝って、大臣をはじめとする魔法省の要人達や、高名な楽団、歌手達も大勢招かれ、広いホールも今は人であふれ返っている。喧騒から逃れるようにテラスにきたワルデン・マクルアは手すりから身を乗りだし、夜空を眺めた。あいにくの曇り空で、星は隠れている。ただおぼろげに月が見えるばかりだ。
 今夜でしばらくはイギリスとはお別れだ。明日には巨人達の住処を探って方々旅せねばならない。巨人族は【例のあの人】に敵意は抱いていない。どちらかというと残虐性を持った彼らは【例のあの人】に友好的だったから、おそらく交渉はうまくいくだろう。だが、危険が全くないわけではない。
 ふう、と溜め息を吐きながら手すりに寄りかかった。死を恐れているのではない。ただ自分がもし死んだり、怪我を負ったところで案じてくれる者がどれだけいるだろうかと、ふと思ったのだ。両親はとうに亡くなっており、四十を過ぎた今でも妻子はない。魔法省に勤めているからそこそこに知り合いは多いが、それはあくまでも上辺だけのつきあいだ。葬式で泣いてくれる者がどれだけいるかで人の価値が決まるなら、自分などクズのようなものだろう。マクネアは自嘲気味な笑みを浮かべた。

「ワルデン?」
 テラスにはどうやら先客がいたらしい。歩み寄ってくる少年が誰なのかに気づき、マクネアは驚いた。
「ドラコじゃないか! どうしたんだ、何故こんなところに? パーキンソン嬢はどうした?」
「少し一人になりたくて」
 言いづらそうにうつむくドラコの表情は、晴れの舞台とはかけ離れた物憂さがある。まるで自分の葬式に参列しているような青ざめた顔だ。
「どうしたんだ? 何か悩みごとでも?」
「いや……」
 そう言いつつも、ドラコの目は縋りつくようだった。
 マルフォイ家に始終出入りしていたマクネアにとって、ドラコは甥っ子のように近しい存在だった。口に出さないドラコの思いを感じ取り、慰めるように言う。
「不安なのか? 心配するな。ミス・パーキンソンは純血の上に、君達マルフォイ家よりも早くに英国に根づいた一族だ。歴史もある。器量もいい。妻に迎えるに彼女以上の女性はいない。きっと君は幸せになれる」
「僕はまだ十五です。それなのに婚約だなんて……早すぎる」
「早すぎることなんてないさ。むしろ何故もっと早く婚約させなかったのか不思議なくらいだ。おそらくはナルシッサがとめていたんだろうがね……そうだ、君はどちらかというと母親似なのかもしれないな。ナルシッサがルシウスと婚約したのも今の君と同じくらいの年で、彼女も結婚を嫌がっていた」
「もしかして……母にも好きな人が?」
 母にも、という言葉にドラコが何を思い悩んでいるのかを知った。

 純血同士の結婚には必ずしも愛情が必要なわけではない。ドラコも子供ではないのだから、そのことは重々承知しているだろう。が、そのことを告げてもいいだろうか? どんな言葉よりも、ドラコにとっては慰めになるはずだ。自分自身の運命を受け入れる覚悟もできるに違いない。けれど、ルシウスとナルシッサが話さなかったことを簡単に口にしていいものか。
 口ひげをいじりながら黙っているマクネアに痺れを切らしたのか、ドラコは彼の肩をつかんだ。思いも寄らない激しさだった。ドラコがいつの間にか同じくらいの背丈になっていたことに、マクネアはその時はじめて気がついた。
「教えてください。誰なんです、母が好きだったのは……母は何故その男と」
「結婚しなかったのか? プロポーズもされていないのに応えるわけにはいかないだろう。馬鹿な奴だ、あのシリウス・ブラックは」
「シリウス・ブラック……? あの脱獄犯ですか?」
 訝しげに訊くドラコにマクネアは苦笑した。二年前に新聞の誌面を騒がせた薄汚れた脱獄犯と美貌の母親が恋仲にあったなど、にわかには信じられないのだと思って。けれど、違った。
「母とブラックはホグワーツで一緒だったんですか?」
「ホグワーツで一緒も何も……ブラックはナルシッサの従弟だよ。知らなかったのか? ナルシッサの父親の姉は、ブラックの母親だ。
 学生時代のナルシッサはひどく内気で、まともに会話もできないほどだったが、ブラックに対してだけは違ったな。ナルシッサが美人だと気づいたのは、あいつと話しているのを見かけてからだ」
 ドラコがシリウス・ブラックのことを知らないのは不自然だった。ごく近しい親類なのだから、血の繋がりくらいは知っているはずだ。それとも…――

「母はブラックを愛しているのに、父と結婚して幸せだったんでしょうか? 僕にはそうとは思えない」
「今もブラックを想っているかどうかは知らないけどな。ナルシッサはルシウスのことを愛しているよ。でなければ、君もブラックのことをもっとよく知っていたはずだ……名前を出さないようにするくらい、ルシウスに気を遣っていたんだ。
 親に決められた婚姻だから愛が芽生えないなんてことはない。今は分からないだろうが、君もいつかは分かるはずだ」
「僕は今、分かりたいんだ」
 ドラコは言い捨て、背を向けた。

 純血に生まれた以上、婚姻に自由がないのは仕方ない。特に【例のあの人】が舞い戻り、今まで以上に血筋が重んじられる世に移り変わっていくだろうこの時代には。誰にも言えずに一人胸に秘めているくらいなのだから、ドラコの想い人はおそらく周りに許されない相手なのだろう。
 けれど、恋は病のようなものだ。一時のつらさを耐え忍べば、楽になれるだろう。
「……結婚もしてない俺が言っても、説得力がないか」
 寂しげに笑うと、マクネアもホールへと戻っていった。

(2006/04/23)