繋ぎとめる言葉

 消灯時間をすぎても、生徒達のおしゃべりはやまないのが常であった。廊下側に近いベッドの生徒がドアの下の隙間から差し込む明かりや足音に注意を払い、監督生が見回りにきた時だけ眠った振りをする。ひそひそ声でささやき交わしている限りは、そういったことも意外とバレずにすむものである。
 グリフィンドール女子寮の、とある一室。間近に迫った三校対抗試合の第二の課題の話をひとしきり終え、しばしの沈黙が落ちた。話題が尽き、皆それぞれに寝入ろうとしていたのだ。そんな中、一人があっと思いだしたように言った。
「ねえ、ジニー。明日はバレンタインでしょ? どうするの? デートするの?」
 目を瞑って睡魔の攻撃に備えた少女達が、たちまち目を開ける。思春期の少女達は自分はもちろんのこと、他人の恋愛話にも興味津々なのだ。
 皆の注目を一斉に浴びたジニーは、ちょうど二の腕ほどまで垂らしたみつあみをほぐしているところだった。手をとめ、けれど胸を張ったまま落ち着いた声で言う。
「相手がいないのに、どうやってデートするっていうの?」
 実際のところ、ジニーには恋人といえる存在がいることにはいるのだ。トム・リドルという、皆から羨まれるような素敵な男性が。けれど、彼は人間ではない。その正体を言えば誰もが恐れおののく魔法使いの、五十年も前の【記憶】なのだ。そういった事情もあって彼との関係はずっとひた隠しにしている。
 そんなジニーの胸の内も知らず、同室の少女達はからかうような視線を見交わした。
「またまた~! 知ってるのよ、私達」
「クリスマスのパーティーのこと。パーバティとラベンダーが話してるの、聞いちゃった」
「ああ、ネビルのこと? 本当はハーマイオニーと行きたかったんだけど、彼女はクラムの先約があったから。で、たまたま近くにいたあたしが誘われた……って、それだけのことよ?」
 幾分大きくなった少女達の声に、ジニーは肩をすくめる。彼女達は焦れったそうに言い募った。
「違う、違う。ネビルのことじゃないの。レイブンクローのマイケル・コーナー!」
「あのハンサムをどうやって落としたのよ、ジニー?」
 ジニーは顔を赤らめ、
「落としただなんて! 一度ダンスに誘われて、踊っただけ」
「そーお? レイブンクローの友達の話じゃ、もう彼はあなたに夢中らしいけど」
 ジニーの言葉などハナから信じていないように、多少嫉妬の混じったねっとりとした声で言う少女。
「そうそう。食事の時なんか彼、あなたのことをジッと見つめてるじゃない」
 クスクス笑いながら言う少女。畳みかけるように、また別の少女が言う。
「まさか、ジニー。まだハリーのことを諦められないの? 確かにハリーは優しいし、【例のあの人】をやっつけた勲章持ちだけど、あの人この頃チョウ・チャンに夢中らしいじゃない。見込みのない恋には踏ん切りをつけて、マイケル・コーナーとつきあっちゃえば? お誘いの一つや二つ、あったんでしょ?」
「ないない!」
 ジニーが髪をとかしながら投げやりに答えると、
「嘘よ。もし本当なら、それはあなたが彼を避けてるからだわ」
「もうっ。皆、お節介なんだから。あたし、もう寝るわ。おやすみ!」
 言うが早いか、ジニーは立ち上がり、ベッドの周りのカーテンを引いた。こうすると、そこは自分だけの個室に早変わりする。プライバシーのない大部屋には、この天蓋つきのベッドの存在がありがたい。不満げな友達の声にも一切耳を貸さず、あたたかな布団の中にもぐりこんだ。

(トム? 聞こえてる? 今の……聞いてたよね?)
 ジニーは頭の中で恋人に呼びかけた。
 彼女の恋人は元は自分の学生時代の日記帳を媒体にしていたが、今ではジニーに直接取り憑いている。普段はジニーの目を、耳を通して、外界に触れているのだ。彼にとっては今の話題はさぞや面白くなかったに違いないと思い、ジニーは早く弁解しなければと必死だった。
《聞いてたよ。モテるじゃないか、ジニー》
 微かな笑い声と共に、リドルの声が響いた。
(トム、怒ってる?)
《怒ってないよ。怒らなきゃならない理由があるかい?》
(……妬いた?)
《それは、もちろん》
澱みなく答える。
 声音はいつもと変わりない。けれど、リドルは大抵において自分の感情を抑えていることが多い。しかも今は顔が見えないから、彼が不機嫌なのか、そうでないかはよく分からなかった。
 ジニーはとりあえず事実をありのままに話すことに決めた。
(あのね、マイケルのことはあのダンスパーティーで声をかけられるまで知らなかったの。学年も寮も違うし……だから、ダンスに誘われた時は正直驚いたんだけど)
《彼の方は、君のことを知っていたの?》
(うん。本当はパートナーに誘いたかったんだけど、勇気がでなかったんだって)

 ダンスの輪の中に誘い入れながら、はにかみながらそう言ったマイケル・コーナーの顔を思いだし、ジニーの顔は知らず熱くなった。一度も足を踏むことなく、優雅にリードしてくれたマイケル。人差し指で頬の真ん中辺りを撫で、そっと押す。踊り終えて、中庭で二人っきりになった時、彼にキスされた箇所だった。避ける間もないほど、慌しいキスだった。
 落ち着いた物腰や、人当たりのいい笑顔、サラサラした黒髪の合間から覗く優しい目元など、マイケル・コーナーはリドルとよく似ていた。あのキスを思いだしても嫌な感じがしないのは、そのせいかもしれないとジニーは思った。

 リドルはしばらく黙っていた。やがて、
《そっか……で、ジニーは彼とつきあうの?》
(あたしにはトムがいるじゃない)
 ジニーは自分の心の奥底を読み取られたような気がして、落ち着かなかった。リドルにはもちろんキスのことを言うつもりはなかった。けれど、その気になれば彼は自分の秘密をなんでも窺い知ることができると思っていた。
 恋人にそんなことを訊く人なんているだろうか。彼は怒っているのだろうか。だから、こんなことを言うのだろうか。波紋のように心に不安が広がっていく。
《ジニー。一度ちゃんと言っておこうと思ったんだけど、僕が君に取り憑いたのは全くのエゴからなんだよ。僕は君が好きだ。僕の過去を全て受け入れてくれてから、君の存在は大きくなる一方で》
(あたしだって、トムのことが好きよ。昔、ハリーに憧れていた頃よりも、もっとちゃんとした気持ちであなたに惹かれた)
《うん。でもね、僕達は所詮住む世界が違うってことも分かってるだろ? 君は出会った頃から少しずつ成長してきたけれど、僕は十六歳のまま時がとまっている。【記憶】の僕には成長なんてできやしないんだ》
(だから、何? そんなの関係ないわ!)
 ジニーは今にもリドルが消えてしまうのではないかと、不安に駆られた。以前、「いつか僕が消えてしまったら」と言った彼の言葉が頭に甦った。未来が怒涛のように押し寄せ、リドルと共にある現在が瞬く間に押し流されてしまうような気がした。それは彼を怒らせたかもしれないことなど頭から消し飛ぶほどに、考えるのも恐ろしいことだった。
《君はあと数年も経てば、僕を置き去りにして大人になるんだよ。君にとって、僕はなんの価値もない存在になるんだ》
(そんなことない!)
 成長したとはいえ、まだ子供のジニーに、遠い未来を連想することなどできない。今の自分の気持ちを、そのまま大人になっても持っていけると信じてやまない。
 確信に満ちたその言葉に、リドルがまた微かに笑った。
《ジニー、ありがとう。今の君は本心から僕を好いてくれている……それだけで僕は満足だ。だから、この先、誰か好きな人ができて、君がその人を……愛するようになったら。そしたら、僕のことなんか気にせずに幸せになってほしいんだ》
(トム……嫌よ。どうして、そんなこと言うの……)
《もうずっと考えていたことなんだ。僕じゃ、君を幸せにしてあげられないから》
(……トム)
 階下から、ボーンと低い音が響いた。大時計が十二時を告げているのだ。
(愛してるわ。これからだって、あたしはずっと……)
 はじめて使った愛という言葉に、しかし返答はなかった。頭まで布団を引っかぶると、ジニーは手足を丸めて、縮こまった。いつの間にか、部屋は静まり返っていた。

(2005/02/12)