鏡像 - 3/3

――Side Hermione

 クィディッチ優勝戦の直前のこと。ほとんどの生徒達はすでに競技場の方に向かっていて、図書室はガランとしている。
 鷹のように鋭い目で生徒達が悪さをしないか探すマダム・ピンスに代わって、今は巻き毛の女生徒がカウンターに陣取っていた。クィディッチ観戦はマダムにとって数少ない娯楽の一つで、彼女の砦を乱雑な生徒達から守ることよりも大事なことだった。しかし、一人、二人でも図書室に残っている生徒がいる以上、鍵を閉めるわけにもいかず、その中では年長であったレイブンクローの監督生に後を任せてでてきたというわけだった。
 その監督生にしてみれば、いい迷惑だったろう。自分も調べものをすませ次第飛んでいきたいところを、勉強熱心な後輩のために留め置かれているのだから。
「ハーマイオニー・グレンジャー? まだなのー?」
「待ってください! あと少しなんです!」
 カウンターからの急かすような声に、ハーマイオニーは怒鳴るようにして答える。手当たり次第に取ってきた本を机の上に山と積んで、夢中になってページをめくっている彼女には、不運な監督生を思いやる余裕などなかった。
 ホグワーツでここ最近続いている不穏な事件。マグル出身者を石化させていった化け物の正体が、ついさっき、ハッと閃いたのだった。
(石化……ハリーにだけ聞こえる声……そして蛇語。そうよ、あの化け物に間違いないわ。でも、どうやって? 誰にも姿も見られずにどうやって犠牲者達を襲っていったの?)
 パイプ。思い浮かんだ言葉をメモした途端、
「勉強熱心だね」
 不意に背後から聞こえた声に、ハーマイオニーはギョッとして振り返った。真後ろからハーマイオニーを、というよりもハーマイオニーのめくっていた本を覗き込む青白い顔をした少年がいた。
「びっくりした! ミス・クリアウォーター以外誰も残ってないと思ったのに……」
「驚かせてごめんね、ミス・グレンジャー」
「どうして私の名前を?」
 訝しげな顔をするハーマイオニーに少年は笑った。弱々しいゴーストのような印象が一変する。ハーマイオニーはその少年がとてもハンサムなことに気がついた。それにローブについた寮章はスリザリンのもの…――
「知ってるよ。有名人だからね、君は。あのハリー・ポッターの親友で、学年一の優等生……僕の友達がいつも君のことを話してくれた」
 ハーマイオニーは眉をひそめた。
 この少年は少なくとも自分より三つは年上だ。なのに、友達がいつも自分のことを話していた?
 成績優秀なマグル出身の生徒ということで、二年生の中では自分のことが知られているのは分かっていた。けれど、それが他寮で学年も違う人からいつも話題になるほど知名度が高いとは思えなかった。例え、ハリーの親友であろうと。
 探るような目つきに気づいているだろうに、少年は平然としていた。固まったハーマイオニーの両手から本を取ると、読み上げる。
「毒蛇の王……バジリスク、ね。例の事件を引き起こした化け物の正体かな。君が調べていたものは。
 でも、何故この化け物なんだい? 石化させる化け物ならゴルゴンやコカトリスだっているじゃないか。わざわざこの希少種に目をつけたのはどうして?」
「ハリーは事件が起こった時、彼以外には聞こえない【声】を聞いたと言ったからよ。そして彼はパーセルマウスだわ」
 ハーマイオニーは立ち上がり、さりげなくローブのポケットに手を突っ込んだ。杖に触れると、いつでも突きだせるようにきつく握りしめる。優しげなこの少年に警戒するのはおかしいかもしれない。けれど、何か嫌な予感がした。
 少年は不思議そうに目をまたたいた。
「彼がパーセルマウスだっていうのに、君は彼を信用するの? パーセルマウスは二枚舌だっていうよ。化け物がバジリスクなら、彼が命じてマグル出身者を襲わせていたのかもしれない」
「ハリーは絶対にそんなことしないわ! 彼は自分の命を懸けてでも他人を助けるような勇敢な人よ。彼を侮辱したら、私が許さないわ!」
「じゃあ、スリザリンの継承者は別にいると言うんだ。誰? ドラコ・マルフォイ?」
 ハーマイオニーはグッと押し黙った。
 クリスマスの日、スリザリン寮に忍びこんだハリーとロンの口から、マルフォイがスリザリンの継承者ではなかったと聞かされ、胸を撫で下ろした。
 今だからこそマルフォイとは犬猿の仲で通っているが、ハリーとロンと仲よくなる前まで、彼は唯一の友達だったのだから。殺人を犯すような極悪な人間とは思いたくなかった。
 けれど、マルフォイがポリジュースの効果を見抜いて、ハリーとロンを欺いたということはないだろうか。狡猾なスリザリンの継承者ならそのくらいしてもおかしくはない。
 杖を握りしめたままの拳に、コツンと硬いモノが触れた。ハーマイオニーは首を振り、少年を見つめる。
「マルフォイも違うわ。彼は嫌な人だけど……でも、そこまではしない。彼には彼なりの正義があった。口ではなんと言っても、彼は実際にマグル出身者を襲ったりはしない」
 いつもお守りのようにポケットに入れていた物。それは二年生になる時、ホグワーツ急行の中でマルフォイから渡された鏡だった。
 ――ちょっとは身だしなみにも気を使えよ、グレンジャー。
 からかうためだけにそんなことをしたのだろうか、と真剣だった彼の眼差しを思いだし、ハーマイオニーは思う。
 いいえ、そうじゃない。意味もなく、マルフォイがそんなことをするとは思えない。おそらくマルフォイはその年、ホグワーツで何が起こるのかを知っていた。知っていて、それを知らせるためにあんなことをしたのだ。【秘密の部屋】の化け物の謎を解くヒントを、彼は与えてくれていたのだ。多分、ほんの一時でも友達だったというよしみで。
 ハーマイオニーが言い切ると、少年は寂しげに笑った。
「そう。ポッターも、マルフォイも……自分をそこまで信じてくれる友人を持てて幸せだね。僕も、もっと早くに君や……ジニーのような誰かと出会えていたら、変われたかもしれない。
 名残惜しいけど、さようなら。【穢れた血】のミス・グレンジャー」
 ハーマイオニーは素早く少年の手から本をもぎ取ると、彼に背を向けて走りだした。バジリスクの記述のあるページを破り、重い本を放り投げて、入り口へと駆けていく。
 開け放たれたドアの暗がりからゆっくりと滑り込んできた巨大な影に、カウンターで暇を持てあましていた監督生が顔を上げる。それに気づいたハーマイオニーは叫んだ。
「見ちゃ駄目! こっちよ!!」
 ハーマイオニーが高々と上げた鏡を見て、監督生はゴトリと床に崩れ落ちる。これでいい、とハーマイオニーは思った。石化されれば、きっと命まで奪われない。
 鏡の角度を変え、ハーマイオニーは化け物の無気味な眼光を見た。瞬時に身体の節々が固まり、血の流れがとまっていくのを感じた。そして、ゴトリ、と鈍い音と衝撃。痛みもなく苦しくもなかったが、身動きが取れない。
(……マルフォイ、そうよね? あなたはこれを狙っていたんでしょ? だから、私に鏡を渡した……そうよね?)
薄れゆく意識の中で、ハーマイオニーは問いかけた。答えは何処からも返ってこない。
 足音もなくやってきた少年は、床に転がった二つの石像を眺め、巨大な蛇を臆することなく見上げた。
「いこうか、バジリスク。まだ最後の仕上げが残っている」
 ズルリ、ズルリ…――音を立てて、ゆっくりとでていくバジリスクの後に続いた少年の姿は二歩、三歩いくうちに空気に溶けるように消え去った。

(2005/07/02)