「ほんっと馬鹿じゃないの!」
モリーの金切り声に、ルシウスは座ったままジロリと睨みつけた。
「耳元で声を張り上げるな。鼓膜が破れる」
まだ三年生だというのに凄みのある顔つきだ。大半の者が見ただけで言葉を詰まらせるような。けれど、モリーは少しも怯まなかった。上級生であり、監督生でもある彼女は人一倍向こう意気が強かった。
「いっそ破って差し上げたいわ、ルシウス・マルフォイ! どうするのよ、こんなところに閉じ込められちゃって!!」
こんなところ、とはこの寒々しい部屋のことだ。簡素なベッドと便器だけが備えつけられたこの牢獄は、ホグワーツがまだ学校ではなかった頃に使われていたものらしい。地下牢よりも厳重で、出入り口が十二時きっかりにしか開かない造りになっている。そんなこととは露知らず、のこのこと部屋に入り、閉じ込められてしまった二人は最初脱出しようと必死にあがいた。それが叶わないと知ると、今度は互いを罵りあい、今に至る。
ルシウスは舌打ちし、どっかとベッドにかけた。
「僕が決闘に呼びだしたのは君じゃない。クソ生意気な弟君のはずだったんだけどな。意気地なしが優しいお姉さまに頼み込んだか? 僕、あいつに殺されるよー。姉さん、助けてって」
「フェービアンを意気地なしだなんて、よくも言ったわね、マルフォイ! あの子はあんたなんかより遥かに勇敢だし、強いわよ!!」
「だったら、なんで君がしゃしゃりでてきたんだ?」
「喧嘩をしたってあの子が勝つのは分かり切ってるけど、監督生の立場上、校内での決闘は未然に防がなきゃならないからよ」
きっぱり言うと、モリーは厚い扉に背をもたせ、しゃがみこんだ。
「ああ、もう本当最悪……なんでこんなことになるのかしら。誰か気づいて、助けにきてくれるといいんだけど」
「誰かって……君の弟がこの場所知ってるだろ? 明日にでもなれば」
「知らないのよ、フェービアンは。その……決闘状が届いた時、私、その……誰かからのラブレターだと思って、からかって取り上げちゃったから」
一瞬沈黙が落ち、それからルシウスが重々しい溜め息を吐いた。
「過保護」
「うるさいわね、この陰険根暗男! あんたがあの子を呼びだしたりしなきゃ、そもそもこんな目に遭ってないの!」
モリーはぶるりと震えた。金属製の扉は冷え込んでいて、触れているだけで背筋がザワザワする。寄りかかるのをやめて背筋を伸ばすと大きく息を吐いてみた。白い空気の塊がふわりと漂う。当然だ。小さな窓の外にはしんしんと降っている雪が見える。厚手のローブを通しても染み込んでくる寒さにカチカチと歯を鳴らしていると、ルシウスが顔をしかめた。
「プルウェット。そのままじゃ、凍死するぞ。こっちにこいよ」
「うるさい、わね……放っときなさいよ……」
身体を縮めてみても、身体の熱は確実に奪われていく。膝には紫の斑点が生じている。モリーはそれを消すようにゴシゴシと肌をこすってみた。けれど、かじかんだ手と肌を擦りあわせても痛いだけで、熱は少しも生まれない。
黙って見守っていたルシウスだったが、意を決したように立ち上がり、うつむいたままのモリーに手をかけた――と思った次の瞬間には、モリーをひょいと抱き上げていた。
「ちょっと、何する……って、きゃっ!」
乱暴にベッドの上に放りだされ、モリーは目を回した。すると、ルシウスが手早くローブを脱いでいくではないか。モリーはヒッと息を呑み、叫んだ。
「やめてよ、この変態! アーサー、助けて…!!」
「うるさい女だな」
ルシウスは呆れたように言いながら、脱いだローブを鉄格子の間に押し入れていった。風を防ごうとしたのだと分かり、モリーは顔を赤らめた。
隣りに腰を下ろしたルシウスはベッドの足元にたたんであった毛布を引っ張り、モリーの身体をくるむようにかけた。目を見張るモリーに、ルシウスは素っ気なく言った。
「君も一応女だからな。冷やしちゃ、身体に悪い」
「馬鹿! あなたの方が寒いじゃない!」
シャツから覗く青白い喉元を見て、モリーは毛布を返そうとした。けれど、ルシウスは受け取らなかった。
「僕の一族は北欧の出だ。寒さには強い。君が使え」
「じゃあ、半分使ってよ。でなきゃ、私も使わないわよ」
目をまたたき、ルシウスは微笑する。モリーは一瞬ドキンとした。信じられなかった。口の端を歪めて、嘲るような笑みを浮かべることしかできないと思っていたルシウス・マルフォイがこんな風に笑うだなんて。
「それでは、お言葉に甘えて」
小さめの毛布を分けあうと、ほとんど身体が寄り添う。触れ合った腕に感じる熱を意識すると、顔がこわばってしまう。二つ年下のルシウスだったが、背丈はモリーよりもずっと高く、男の体つきになっていた。
目が合うと、モリーは慌てて逸らした。見つめていたのを知られたのが、何故だかとても恥ずかしくなったのだ。
「君は、あたたかいな」
「……え?」
「こんな風に人の温みに触れたのは初めてだったんだ」
ルシウスの手がためらいがちに肩に回された。モリーは半ばルシウスに寄りかかるような姿勢になる。けれど、抗議の声は上がらなかった。
「あなたも、あたたかいのよ。マルフォイ」
そのつぶやきに、ルシウスは答えない。
彼の思いがけないあたたかさは、手のひらに落ちた途端に形を失う雪のようにかりそめのものかもしれない。けれど、彼は確かにあたたかかったのだと、モリーは後々までも忘れることはなかった。
(2005/12/16)