兄離れ・妹離れ
あのね、トム、ビルったらね……あの時、ビルはこう言ったの……ビルってば、そんなことまで……ビル、ビル、ビル! ジニーの他大勢いる兄の名前は忘れた。が、こいつの名前だけは忘れようがない。リドルは今日も兄自慢してくるジニーの文章を読みながら、辟易としていた。ハリー・ポッターの話題と比べれば少しはマシかもしれないが、こっちも相当ひどい。頬を赤らめながら楽しげに話しているのはハリー・ポッターの時となんら変わりはない。勘弁してほしい。何が悲しくて、二人きりで話している時に他の男の話を聞かされなきゃならないんだ。
『ねえ、トム。聞いてるの?』
『ああ、うん、聞いてるよ。もちろん』
ぼんやりとそんなことを考えているうちに、うっかり返答をせずにいたらしい。ジニーが不審そうに日記帳を覗き込むのを感じ、リドルは慌てて言った…――というより、日記帳の紙面に文字を浮かび上がらせた。
『本当素敵なお兄さんだね、ビルは。君がそんなにも大好きなお兄さんなら、僕も会ってみたいよ』
それで直接呪いをかけてやりたいね。最後の毒づいたセリフはジニーには伝えなかった。すると、ジニーは幸せそうな笑みを浮かべる。
『実はね……年始だからってビルがうちに帰ってくることになってるの。今日の午後には帰ってくるのよ』
『へえ? そうなんだ』
『うん。それで……久しぶりだから、兄妹水入らずで話したいんだけど。トム、今日はこれでお別れしてもいい?』
僕は水なのかい、ジニー、邪魔者なのかい、恋人の僕(自称)よりもビルを選ぶのかい!? リドルはそんな心中を押し隠し、さわやかに言った。
『積もる話もあるだろうからね。僕のことは気にしなくていいよ』
『ありがと、トムっ。大好き』
浮かびでた文字の上に即座にキスするジニーに、リドルは一瞬怒りも忘れてデレッとした。日記帳の紙面にも、感覚はある。ジニーが口づけた箇所に意識を集中させ、唇だと思い込めば、マウス・トゥー・マウスな感触を味わうことも可能なのだ。
しかし、幸せ気分もジニーが日記帳を閉じてしまうまでだ。パタンという音と共に、日記帳の中――【リドルの世界】が真っ暗になる。その中で、リドルはビル・ウィーズリーへの呪いごとを吐き散らしていた。
容姿端麗、成績優秀といったって僕の方が上に決まっている! ……運動神経では負けてるかもしれないが、いや、それにしたって十分お釣りがくるほどに僕の方が上だ! 何せ僕は偉大なヴォルデモート卿なのだから。くそう、ちっちゃい頃からジニーにあらぬことを吹き込んで自分の都合のいいように洗脳したんだな、ビル・ウィーズリーめ。実体化したら、アバダで一発…――
スイッチを入れたように、突然【リドルの世界】が明るくなった。日記帳が開かれたのだ。ジニーが戻ってきたのかと視覚を集中させるリドルの【目】に飛び込んできたのは、赤毛の男だった。顔は上の中。美形……というよりは男らしい、ハンサムな顔だ。
「これがジニーの日記……か」
男のつぶやきが耳に入った。
「ジニー、最近可愛くなったもんなあ……やっぱり、恋人が。いやいや、ジニーに限って、そんな。いや、でも脅されて無理やりつきあわされてるっていう可能性もあるな。ある、大いにある。うん。ごめん、ジニー、ビル兄ちゃんを許してくれ……でも、全部お前のためなんだ! 悪い虫がついてたら、サックリと殺ってやるから」
ジニーのブラコン度も相当なものだが、ビルのそれはさらにすごい。どうやらジニーが席を外した隙に部屋に入り込んだだけでなく、日記帳を盗み読みするつもりらしい。リドルはふっと浮かんだ考えにほくそ笑んだ。
「えーと、なになに……」
ページをめくったビルの顔が瞬時に凍りついた。
「今日はトムとキスしちゃった……すごく激しいキスで、息もつけないくらい……それに、それだけじゃ終わらなかった。彼はあたしを連れて空き教室にいって、そして……机の上、で……硬く、冷たい感触か背筋に伝わってきて、震えてしまった。トムはあたしをあたためるように全身を撫でさすりながら覆いかぶさってき、て……ジ、ジニィィィィーッ!!!!」
ビルの絶叫にリドルは噴きだした。毎日のように思い描いていた夢を、ジニーの字を真似て浮かび上がらせてやった。ビル・ウィーズリーはまんまと引っかかり、ジニー自身の書いた日記だと思い込んだのだ。
泡を噴いて倒れているビルが発見されたのは、それから五分後。ビルの胸の上にある日記帳を見て、ジニーは血相を変えて怒って、文字通りビルを部屋から追いだし、リドル相手にこぼした。
『ビルが人の日記帳を覗き込むような人だったなんて! 信じられない、最低だわっ。ねえ、トムもそう思うでしょ?』
『そうだね、ジニー。日記帳を覗くなんて、怒るのも無理ないよ。ただ彼にも何か理由があったかもしれないね。ずっと仲のいい兄妹だったんだから、ずっと仲違いしたまじゃ駄目だよ。怒るだけ怒ったら、許してあげなよ』
モチのロンで罪悪感からそんなことを言っているのではない。単に女の子――それも幼い女の子は優しい男の人が好きなものだから、それを装おうとしているだけだ。
案の定、ジニーは感心したように笑った。
『トムって優しい……そうね、許してあげるわ。それにしても、ビル……うわごとで変なこと言ってたんだけど。その……』
みるみるうちに顔を火照らせたジニーに、リドルは『何?』と問い返す。
『ううん、なんでもないの……それより、少なくとも今日一日はビルに怒ってるって思わせときたいから、ずっとお部屋にいるわ。ね、トム? もしよかったら、お喋りにつきあってくれる?』
『喜んで、ジニー』
こうしてジニーはほんの少しだけ兄離れできるようになり、最愛の妹から怒られたビルは面目が立たなくなったのか家を空けがちになったのだった。
(2006/01/06)