リドジニギャグ詰め合わせ - 3/7

LOVE PHANTOM

 石造りの壁や床にはところどころ亀裂が走っており、じっとりと澱んだ空気のせいか、コケが表面をうっすらと覆っている。広い通路の両端には完璧な対を為した太い柱が一定の間隔をおいてそびえている。それらに巻きついた蛇の飾りは今にも動きだしそうなほど見事なものだった。
 そこは部屋というよりは神殿と言った方がしっくりとくる空間だった。壮観だからというわけではない。人の手に造られたものでありながら、人を寄せつけぬ無気味さ。得体の知れぬモノの依りつく空気を漂わせているせいだ。
 ひたひたと響く足音と共に、少女が一人姿を現わした。一歩、また一歩と足を引きずるようにしてゆっくりと。だが、少しの澱みもなく。薄暗闇に浮かび上がる真白い面はまだあどけなさが残っていたが、このような場所にあっても怯えの片鱗さえ見えないのが奇妙だ。まばたきもしない目は虚ろで何処を見ているのか分からない。
 突き当たりにある巨大な彫像の前まで進むと、少女は足をとめ、ガクリと膝をついた。クセのない赤毛が床に垂れ落ちる。
「やあ、久しぶりだね」
 静かに響いた声に少女の頭がピクリと動く。重たげに頭をもたげると、ゆっくりとまばたきをした。その目には明らかな戸惑いの色があった。不安げに辺りを見回す。
「ここは……」
「【秘密の部屋】だよ、ジニー」
 誰にともなく口にした問いかけに、巨像の足の間から誰かが答えた。ジニーは跳ね上がり、おそるおそるそちらを見た。
 陰から進みでてきたのはすらりと背の高い黒髪の少年だった。
「だれ…?」
「この姿で会うのは初めてだったね。僕はトム。トム・リドルだ」
 親しげな笑みを浮かべたまま近づいてくる。放心したように立ち尽くしていたジニーは不意に涙ぐみ、彼に向かって駆けていった。両腕を広げて、身体を投げだすジニー。二人の身体がしっかりと重なり合ったと思った瞬間、パンッ――小気味のいい音が鳴り響いた。振り上げたジニーの手が、リドルの頬を打ったのだ。雪のように白い肌に紅葉のような痕が残るほどに。
 リドルは彼女がそんな行動にでるとは思っていなかったらしく、頬を押さえながら一歩後退った。肩を震わせながら、ジニーはその差を詰め寄る。
「馬鹿、馬鹿、トムの馬鹿っ! あたし、あなたのこと、ずっと信じてたのに……信じてたのにぃ……」
 子供のようにワンワン声を張り上げて泣くジニーに、リドルの顔が戸惑いから徐々に理解と悲しみの色を帯びていく。
「ごめん、ジニー……君を傷つけたくはなかったんだけど、それ以外どうすることもできなかったんだ」
「ひどいよぉ……ハリーに嫌われちゃったし、皆にも笑われて……もうやだ、最低!」
「笑われた?」
 リドルが首をかしげると、ジニーはゴシゴシ目をこすり、真っ赤になった目をつり上げる。毛を逆立てた猫のように、小柄な彼女が二倍にも三倍にもふくれあがったような迫力があった。
「バレンタインのカードの文面! ひどいじゃない。あたし、トムの言った通りに書いたのよ。インパクトが足りないからって、蛙の新漬けや黒板を例えに入れるなんてどうかと思ったけど、でも、トムが熱心に言ったから」
「ああ!」
言われて、リドルは手を叩いた。
 バレンタイン・デーに憧れの君に告白したいとジニーに相談され、カードに添える詩を添削してほしいと言われた時のことだった。詩を書くのが好きというだけあって、ジニーの腕前は十一にしてはなかなかのものだった。情念的であったし、痩せっぽちで貧相なハリー・ポッターの――あくまでリドルにとっては、だが――数少ない魅力の一つである緑の瞳を南海に、揺れ動く自分の心をさざなみになぞらえるなど技巧も凝らしていた。
 こんなカードをもらえば、誰でも心動かされるだろう。恋愛に疎い少年ならなおさらだ。そう思ったにも関わらず、リドルは駄目をだした。何故って、もちろんハリー・ポッターへの嫉妬のためだ。ロリコン属性のリドルはジニー・ウィーズリーの外面的な愛らしさに出会った瞬間からすっかり心を奪われていたので、彼女の恋している相手が気に喰わなかったのは言うまでもない。
 もちろん、リドルとしてはほんの些細な厭味のつもりだった。いくら人を疑うことのないジニーでもそんなアドバイスを聞き入れるとは思ってもいなかったから。
 だが、それにしても…――
「ジニー……君、自分が皆を襲ったことよりもそんなことの方がショックだったの?」
「そんなことって何よ、そんなことって! あたしにとってはそれが何より重大なの……ハリーに、嫌われちゃうなんて……もうあたし生きてけない!!」
 リドルはこれまでジニーのことを心優しい少女だと思っていた。自分が傷つくことよりも、他人が傷つくのを恐れるような純粋無垢な心の持ち主だと信じきっていた。
 それが、今の彼女の発言はどうしたことだろう。何か意味を取り違えているのだろうか。
 またさめざめと泣きだしたジニーを前にリドルは耳を塞いだ。うるさくて考えがまとまらない。大体【秘密の部屋】は大きな空洞状になっているから、声がよく反響する。ジニー本人の泣き声だけでも相当うるさいのに、それが何度もこだまするのだからたまらない。いくら少女好きとはいっても、うるさいのだけは勘弁したいところだ。
 なんとかあやそうと、とりあえず思いついたままにリドルは言った。
「ジニー、ハリーは君を嫌ってなんかいないよ。そろそろ君を助けにくる頃だろうし」
「ホント?」
 ピタリと泣きやみ、ジニーが訊く。まるで仮面でも取ってつけたような変わりっぷりにリドルの顔が引き攣った。
「……あ、ああ。遠くの方から音が響いてきたし、ここにこれるとしたら蛇語を操れる僕と彼だけだしね」
「うわあ! なんだか、それって物語みたい…――なんてドラマチックなシチュエーションなのっ。そうと分かったなら、グズグズしてられないわ」
 ジニーは目をキラキラ輝かせたかと思うと、横たわって目を瞑り、そのまま黙り込んでしまった。泣きわめかれるのも困りものだが、急に静かになったらなったで何か起こりそうで怖い。
「ジニー、何してるの?」
「気絶したフリ」
 リドルがこわごわと訊くと、ジニーはほとんど唇を動かさずにささやき返した。
「で、なんで気絶したフリを?」
「お姫さまは王子さまのキスで目を覚ますって相場で決まってるじゃない」
 どうやらジニーの脳内では王子=ハリー、お姫さま=自分の構図が成立しているようだった。ということは悪い魔法使い=僕なのか、確かにその通りなんだが、ああ、それにしても…――リドルは考え、頭を押さえた。
「ジニー。僕が勝つとは思わないの?」
 ジニーはパチパチと目をまたたかせ、にっこりと笑った。
「トム。ハリーを殺したりしたら絶交だから」
 そう言い放ったジニーの顔のなんと愛らしいこと。自分の言った言葉がハリーの勝利すなわちリドルの死を意味することが分かっているだろうに、天使のような微笑みさえ浮かべて。
 その姿かたちだけは確かに愛した少女のものであるのに、思い込んでいた中身となんと違うことだろう。僕は幻を愛していたのか。リドルは何処かで聞いたようなセリフをつぶやきつつ、それでも【闇の帝王】の威厳を保つために形ばかりハリー・ポッターと戦い、かなり呆気なく敗れ去った。
 ああ、恋は盲目。「外見だけにつられては駄目なんだ」――ジニーの父親、アーサー・ウィーズリーがしみじみと洩らした言葉を彼が聞いていたなら一体どんな反応をしただろうか。想像するに難くない。

(2004/07/20)