色あせない思い出
「ハリー←ジニー←ドラコで、最終的にはドラジニ」というリクを頂いて書いたもの。
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薄い三日月眉、その下の夢見がちなトビ色の目、粉を振ったスフレを思わせる頬がゆっくりと動く。苺みたいに瑞々しい小さな唇が開いた。幼いままの彼女はいつもと同じセリフを繰り返す。
――ありがと、ドラコっ。ホグワーツでまたあったら、なかよくしましょ? きっとよ、やくそくよ!
「なーにが、約束だよ……」
フンッと鼻息を響かせ、ドラコ・マルフォイはつぶやいた。声にだしてしまったことに気づくと、不機嫌そのものの顔で起き上がり、ベッドを覆っているカーテンを荒々しく開けた。
四つのベッドのうち、二つはカーテンが開いている。この冬休み、家族の元に帰ったルームメイト達のものだ。そして、カーテンに隠された二つのベッドからは地響きのようないびきが聞こえている。クラッブとゴイルだ。いつも寝汚く眠りこけている二人が、休暇に入ったからといって生活を改善しようとするはずがなかった。むしろ、いつも以上に寝ている気がする。一日の三分の二は寝ているんじゃないか? そして、起きている時は大抵口に物を詰め込んでいる。
また幼い頃の夢を見てしまった。五歳かそこらの頃、父上に連れられていったダイアゴン横丁で会った女の子の夢。ホグワーツに入学する頃までは、この夢を見るのが好きだった。それが、今では!
わざと音を立てるように気をつけながら――クラッブとゴイルのいびきは少しもたじろがなかったが――身支度を整えると、ドラコは箒を片手に部屋をでた。
まだ日は昇りきっておらず、校内は薄暗い。霜の模様が刻まれた窓の側を通ると、冷気が漂ってきて震えが走る。しっかりと防寒具を身に着けているというのに。また今朝は一段と冷え込みが激しいようだ。それとも起きたばかりだからそう感じるのだろうか。
玄関ホールの巨大な樫の扉の前に立ったところで、ドラコは考え込んだ。クィディッチのトレーニングをしようと思っていたが、やめた方がいいのではないだろうか。扉の向こう側から流れてくる空気は、鼻の中まで凍りつかせそうなほど冷たい。こんな日に練習したところで、風邪をひくのが関の山じゃないか……ドラコは甘い誘惑にほとんど頷きかけていたが、ふと扉の下にこびりついている雪を見て気が変わった。誰か、すでに外にでている。
硬い雪には、その誰かの足跡がしっかりと残っていた。それも、二人分。クィディッチ競技場の方へと続くそれを見て、ドラコは箒に飛び乗るや否や柄を叩いた。鞭を当てられた馬のように、箒は彗星のような勢いで飛びだした。
競技場には黒い影が一つ、縦横無尽に飛び回っている。近づくまでもなく、ドラコにはそれがハリー・ポッターだということが分かっていた。そして、観客席の最前列に佇んでいる赤毛の女の子が誰なのかも…――まるで大勢の観客に押しだされているかのように身を乗りだし、食い入るような目でハリー・ポッターだけを見ている。
ドラコはハリー・ポッターがスニッチを追い回しているよりもずっと高度を上げ、競技場の上空をまたぐと、そろそろと彼女の背後に降り立った。肩越しに白い息が見える。こんな寒空の下でも、アイツを見たいのか。
「やあ、ウィーズリー! こんな朝っぱらからポッターのストーカーか?」
ジニー・ウィーズリーは文字通り跳ね上がった。誰かいるとは思ってもいなかったらしい。おそるおそる振り返った彼女の顔は、引き攣っている。もちろん寒さのせいではない。おどおどと顔を伏せたかと思うと、ドラコに背を向け、一目散に逃げていこうとする。
いつも、こうだ。ドラコは素早く彼女の手首をつかんだ。
「待てよ! 折角声をかけてやったんだ、挨拶くらい返したらどうだ?」
腕を振り回しても無駄なのが分かったのか、急におとなしくなったジニーを見て、ドラコは居心地が悪くなった。
なんでこんな簡単に泣くんだ? あの高慢ちきなハーマイオニー・グレンジャーのように言い返せばいい。あの書店では、そうしたくせに。ポッターのためにはできたくせに。
「マルフォイ!? お前、何やってるんだよ!」
スニッチがタイミングよくこちらに飛んできたのか、どうやらハリー・ポッターも気づいたようだった。ジニーの手を放すと、弾丸のように向かってくる彼に向き直った。
「弱い者いじめばかりして楽しいのか? 少しは恥を知れ!」
「声をかけただけでいじめることになるとは思わなかったなぁ、ポッター。どれだけ傷つきやすいんだ、お前のガールフレンドは。えっ?」
ハリーの顔が茹で上がったように真っ赤になった。恋愛沙汰でからかわれることに慣れていないのだ。主導権を取って得意になったドラコはここぞとばかりに続けた。
「そんなに大事だったら、ずっと側で守ってやれよ。バレンタインに素晴らしい詩を捧げられた時だって、飛び上がって喜んでやればよかったじゃないか。かわいそうに、ウィーズリーのヤツ、大広間にいた皆の笑い者になってたよな」
「やめて…、やめてよ、マルフォイ!」
懇願したのはハリーではなく、ジニー・ウィーズリーの方だった。
「あたしが…、勝手に好きなだけなんだから……もう、ハリーをからかわないで!」
涙混じりに叫ぶと、彼女は脱兎の勢いで駆けだした。両手で顔を覆い隠しているというのに、信じられないような速さだ。突然の告白――好かれているのは知っていても、まさかこんな唐突な告白を受けるとは思ってもいなかったのだろう――に、間抜けのように口をポカンと開けたハリー・ポッターを無視して、ドラコは後を追った。俊足とはいえ、箒には勝てっこない。
観客席から外にでるための、なだらかな弧を描く廊下に入ったところで追いついた。ジニーの頭を飛び越えて正面に回り込むと、彼女は勢いあまってドラコの胸に飛び込むような形になった。ジニーはふるふると口元を震わせていたかと思うと、ワッと声を上げて泣き始めた。
「どうして…、どうして、こんなにいじめるの……!? どうして、放っといてくれないの! 嫌いなら、放っといてよ……!!」
ドラコはよろめいた。彼女に小突かれる胸が痛かった。ヒステリックなジニーの泣き声が耳に残り、喉を絞めつけられるように感じた。
どうして、どうして、どうして。
ジニー・ウィーズリーをいじめる理由は。見かけたら、かまわずにはいられない理由は…――
「お前のせいじゃないかッ!」
ホグワーツでまたあったら、なかよくしましょ――そう言ったのは、彼女の方だったのに。訝しげな表情のジニーを見ていると、ますます苛立ちが募った。
「君が約束を守らないせいだ! 君から言いだした約束なのに、僕だけが覚えてて、楽しみにしてたのに……馬鹿みたいじゃないか……!!」
「マルフォイ、待って、なに……約束って?」
相手を侮辱するときでさえ鼻にかけたような声をだすドラコ・マルフォイしか知らないジニーには、驚きでそう口を挟むのがやっとだったのだろう。ドラコは思わず彼女の肩につかみかかっていた。
「昔! ダイアゴン横丁で君と会ったことがあった! 君は迷子になってて、それで」
「パパを、一緒に探してくれた?」
ジニーが探るようにドラコを見た。赤みがかった目を何度もパチパチさせながら、
「あの、男の子なの? あなたが……?」
「そうだよ! それで、君はなんて言った? ホグワーツでまた会ったら仲よくしようって言ったんだ! 君からした約束なんだ、なのに!!」
「言った、言ったわ! 思いだした……それに、あの男の子があなただったなんて……知らなくて。だって、あたし達小さかったし……」
「僕は覚えていた」
恨みがましく言うと、ドラコは大きく息を吐いた。ひどく息が苦しかった。癇癪を爆発させるのはなかなか大変なものだ。そして、平静に戻ると怒鳴ったことが恥ずかしく思えてくる。それに、それに…――自分だけが取るに足りない約束を覚えていたことまでぶちまけてしまった。
「もっと早く教えてくれてたらよかったのに」
「言えるかよ、君の方じゃ全く覚えてなかったっていうのに」
「ごめんね、マルフォイ……ね、ドラコって呼んでいい? 昔は、そう呼んだ……よね?」
何処か甘えるように言うジニーに、なるべく無感心を装って頷くのがやっとだった。そうでもしなければ、感情という感情がほとばしりそうだった。
(2008/4/22)