【いつか】の約束
あれは確か五歳くらいの頃だった。父上に連れられてダイアゴン横丁にいった時。父上はバッタリと会った旧友と長々と話し込んでしまって、それを後ろで聞きながら次第に退屈してきた僕は、物珍しさに惹かれるまま通りに並んだ店を一つ一つ覗き込んでいった。お菓子やオモチャ、箒、杖……ひっきりなしに目を奪われていた僕は、ドスンと衝撃を感じて、ようやく意識が現実に引き戻された。
顔を覆った女の子がすぐ側にいた。年は多分僕と同じくらいだ。背は僕よりも大分低い。うつむいたままで、僕の方を見ようともしない。
ぶつかってきたくせに謝らないなんて、と腹が立ったから「おい!」と怒鳴ってやると、その子はビクンと震えて地面に座り込んだ。ひっくひっく、としゃくりあげる女の子に僕はほんの少しだけ罪悪感を感じた。男が女を泣かせるなんて、体裁のいいことじゃない。女性には常に心を配るよう、父上が仰っていたことも思いだした。
「なんで、ないてるんだ?」
訊くと、女の子はふるふると頭を振った。
「きみのちちうえや、ははうえは?」
「……パパが、いない……みつから、ないの……」
鼻をすすったり、咳き込んだりと忙しい中、女の子はようやく絞りだしたような声でそう言った。
「たてよ。ぼくが、いっしょにさがしてやるから」
女の子はぐずついたまま立ち上がろうとはしない。見ず知らずの僕が心配してやっているのに、と憤慨しながらも女の子の手を強引に取ると、引きずるように通りを歩かせた。
「どこではぐれたんだ?」
「ペットショップのまえ……フクロウ、かわいいとおもってみてたら、パパ、いなくなっちゃったの……」
「どんなかっこうしてるんだ?」
「え…?」
女の子はその時になって、やっと顔を上げた。大きなトロンとした目が、赤くなって少し腫れていたけれど可愛くて、ドキリとした。繋いだ手がよく分からないけれど、とても熱く感じた。なんとなく目を逸らさずにはいられなかった。
「ぼくは、きみのちちおやがどんなひとなのか、しらないからな。さがせないじゃないか」
「……あかげ、なの。あたしと、おんなじ。ちょっとハゲてて、せがたかくて……めがねをかけてる」
「ふうん……きみのいえは、じゅんけつ?」
「ジュンケツって?」
会話が続かなくてとりあえず言ってみた言葉に、当惑したように女の子が訊き返してきた。
「じゅんけつっていうのは、せんぞだいだい、まほうつかいのかけいってことさ」
五歳くらいにもなって純血が何かを知らないなんて、と内心呆れてしまった。この子はきっと混血に違いない。父上は女性には優しくしろと言っていたが、果たして混血の女の子と手を繋いでいるのを見たらどう思うだろうか。父上がいないかを探して、姿が見えないことに安心した。
女の子は小首をかしげた。肩の辺りまである髪がサラリと揺れた。
「あたしのかぞくは、みんなまほうつかいよ。おじいちゃんも、おばあちゃんも、ひいおじいちゃんも、そのまえも……」
「ファミリーネームは?」
「ウィーズリー。あたし、ジニーっていうの。ジニー・ウィーズリーよ。あなたは?」
「……ドラコ」
混血の女の子と歩いているよりも、さらに悪いかもしれない。父上がいつも仰っていた。純血を蔑ろにし、魔法界の秩序を崩そうとしている一家がウィーズリー家なのだと。僕と彼女とは、いわば敵同士なのだ。
話しだしたら涙は収まってしまったらしい。ジニーは僕の気持ちなど知らずに、いろいろと話しかけてきた。
おうちはどこ? きょうだいはいるの? あたしにはろくにんもおにいちゃんがいるの。いちばんうえのおにいちゃんはとってもかっこうよくて、やさしいの。だいすきなの。ビルはね、いまはホグワーツにかよっているの。しってる、ホグワーツって?
ひっきりなしに話す彼女に「しってる」とぶっきらぼうに答えた。すると、彼女はアッと声を上げた。
「パパ! パパがいたわ!」
人並みの中に父親の姿を見つけたようだ。僕の手を離して走りだした彼女は、つと足をとめて振り返った。大きな目を笑みに細めて、
「ありがと、ドラコっ。ホグワーツでまたあったら、なかよくしましょ? きっとよ、やくそくよ!」
僕が返事をする前に、ジニーはさっさと走り去ってしまった。長身の父親に抱き上げられた彼女が、僕の方を指差した。何かを父親に耳打ちしたのだろう。笑いながら僕の方にこようとする父子から逃れるように、僕は全力疾走で人ごみの中に駆け込んだ。後ろも見ずに、一目散に。
書店で再会したジニーは、そんな子供の頃のことなんて忘れてしまったのだろう。憧れのハリー・ポッターを庇って、僕を睨みつけてきた。傷ついたわけじゃない。ただ自分の方から言いだした約束を守らない彼女に、腹が立っただけだ。
僕がおとなしいだけが取り柄のジニー・ウィーズリーをいじめるわけは、多分こんなところだ。ロン・ウィーズリーの妹だから、グリフィンドール生だから、というのは理由に当てはまらない。いつかの約束を思いだすまでは、僕はきっと彼女をいじめ続けるのだろう。
(2005/5/28)