ドラジニ短編集 - 6/8

遺された想いの行方

「リドル消滅後のドラジニで、リドルに嫉妬するドラコ」というリクを頂いて書いたもの。悄然としたジニーを慰めるドラコ。

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 【秘密の部屋】の事件が終わり、数日が経ったある日のこと。ドラコ・マルフォイは両親に宛てた手紙を出そうとふくろう小屋にいったところで、バッタリとジニー・ウィーズリーに出くわした。彼女は城と、ふくろう小屋のある塔とを繋いだ橋状の廊下に立ち尽くし、ぼんやりと外を見ていた。人がきた気配に気づいただろうに、ドラコの方を見ようともしない。
 彼女が【秘密の部屋】に連れ去られたことは学校中が知っている。さらわれてからの数時間、【スリザリンの継承者】に何をされたのか。彼女の悄然とした様子を見た下世話な連中が妙な勘ぐりをしていたのを思いだした。きっとこんなところだったんじゃないかと興味本位であれこれ言っていた連中。ケラケラと笑いながら、いかにも楽しそうに。何故、被害者のジニーがさらに傷つくようなことを言われなければならないのだろうと、ドラコは内心腹を立てていた。
 が、その中にはもしかしたら真実も含まれていたのかもしれない。ただ死にそうな思いをしただけで、こんな風に様変わりするものだろうか。しかも、すでに危険は去ったというのに。
 彼女の兄とその親友のせいで、ドラコはジニーとあまり仲がよくない。それは周知の事実だ。スリザリンとグリフィンドール、しょっちゅう敵対する寮に所属しているから当然かもしれない。けれど、ドラコは決してジニーを嫌ってはいなかった。書店で初めて会った時のように、誰かを守るためになら、なけなしの勇気を振り絞って立ち向かう。自分にはないものを持った彼女の価値を、ドラコは誰よりも認めていた。
 そのジニーのこんな姿を見るのは、つらかった。
 ドラコは彼女の前を黙って通り過ぎ、五歩ほどいったところで振り返った。肩まで垂らしたジニーの髪が、風になびいていた。その動きは、さながらジニーが静止しているのを強調しているかのようだった。
「何ぼうっとしてるんだ、おチビちゃん」
 ジニーは夢から覚めたように、はたとドラコを見据えた。驚きと嬉しさが入り混じった顔が、目が合った途端にかげってしまった。
「……なんだ、マルフォイなの」
「なんだ、とはご挨拶だな。折角心配して声をかけてやったのに。今にも手すりを越えて、転げ落ちそうだったじゃないか」
「心配……? あなたが?」
 気だるそうに言い、顔を背ける。ドラコは再び眼下に広がる風景を眺めるジニーの隣りに立った。ローブの袖が触れ合うばかりに近くにいるのに、今日は逃げ腰にはならない。ドラコは彼女の顔を盗み見た。ドラコのことなど、まるでどうだっていいというようにその目は遠くを見つめている。
「用がないなら行って。あたし、一人になりたいの」
「僕が何処にいようと、僕の勝手だろ。指図するな」
「手紙を出しにきたんでしょ……? なら、出して帰れば?」
「お前こそ。ここにきたってことは誰かにふくろう便を飛ばしにきたんだろ。誰だよ、パパかママ? ああ、それとも君の王子さまのポッターか!」
 からかうように言ってみた。怒りでもいい。何か感情を見せてほしかったのだ。が、ハリー・ポッターの名前をだしても、ジニーはいつものように頬を赤らめたりしなかった。こわばった顔を僅かに歪めただけで。
「あたしが何かを伝えたい相手はいないの……ここまできて、そう気づいたの」
「伝えたい相手?」
「もう、いないの……この世の何処にも。さよならも言えなかった……何も、言えなかった」
 ドラコに、というよりも自分自身に言っているようだった。
「まさか、それ【あの人】のことじゃないよな?」
 当てずっぽうに口にした言葉に、ジニーは虚を衝かれたように目を見開いた。顔から見る見る血の気が失せ、手すりから手が離れた。身を翻し、駆けだそうとしたジニーの手首を反射的に捕まえていた。
「そう…、なのか? 君は【あの人】のことを好きだったのか?」
「違うッ、違うわ!」
「正気か、ウィーズリー? 【あの人】は君を殺しかけた相手だぞ! それを、君は」
「違うって言ってるじゃない、放してッ」
「そんなに取り乱して、そうですって言ってるようなもんだっ」
 振り回していた手が、不意にとまった。
「違うわ……! 【あの人】はあたしのことをなんとも思ってなかった。馬鹿なチビ……そんな風に言う人のことを、好きなはず、ない……それに、嘘つきだもの。トムは大嘘つきだわ……ずっと側にいてあげるなんて言ってたくせに……」
 ドラコに向き直ったジニーの目から、涙があふれでた。これまで溜め込んでいた分まで押し流そうというように。思う存分泣きわめくことに決めたのか、座り込んで声を張り上げるジニーに、ドラコはどうしたらいいのか分からず、一緒になってしゃがみ込んだ。
 こんなところを誰かに見られたら、どう思われるだろう。ハラハラしながら廊下の向こうを見たりしていたが、ありがたいことに誰もくる気配はなかった。
 宥めるようにおそるおそる手を伸ばしてみると、ジニーの両肩が見た目以上に華奢で頼りないことが分かった。二の腕はローブ越しにも柔らかく、無駄な肉のない男の身体とは全然違う。ジニーが女の子なのだということが意識されて、顔が赤らんでくるのはどうしたことだろう。
「ウィーズリー……」
 途方に暮れてつぶやくと、鼻をすすりながらジニーは顔を上げた。ようやく目の前にいるのが誰かを思いだしたらしい。ゴシゴシ涙を拭いながら、立ち上がる。
「馬鹿なヤツだって笑うでしょ……明日から、またスリザリン生のいい笑いものね」
「そんなことしない。いくら僕でも、あんな事件に遭った直後の女の子にそんなひどいことをするもんか! あんまり見損なうなよ、ジニー・ウィーズリー! ほら、使え……ほら。笑いのネタにされたくないんだろ、拭け!」
 ジニーは差しだされたハンカチとドラコの顔とを見比べる。ハンカチを受け取り、口元に持っていくと、ふっと目を細めた。また一粒。ぽろりと涙がこぼれ落ちた。
「……あなたって優しいところもあるのね」
「僕をなんだと思ってるんだ。泣いてる女の子を放ったらかしにしていけるはずないだろ」
「いつもは率先して泣かせるくせに……」
「おい…、泣くか笑うかどっちかにしろよ。器用なヤツだな」
 うん、と頷き、ジニーは左右の目元にハンカチを押し当てていった。真っ白だった顔に赤みが差して、ようやく生気が現れたようだった。
「……ありがと、マルフォイ。これ、ちゃんと洗って返すから」
「お前の涙つきのハンカチなんかいらない。やるよ」
 微笑を浮かべたジニーに、ドラコは慌てて背を向けた。その顔は見てられないと思ったのだ。何故? 理由は分からない。ただ、急いで彼女の側を離れなければならないと思ったのだ。ポケットに手を突っ込んで手紙をまさぐりながら、ふくろう小屋に向かうと、パタパタと足音が聞こえてきた。
「待って、マルフォイ!」
 ジニーだ。ドラコは足をとめたが、振り向かなかった。
「マルフォイ……今出す手紙って、ご両親に?」
「だったら?」
「あなたのお父さま…、あの日記帳をまだ持ってる……?」
 バジリスクの牙に貫かれた【あの人】の日記帳は、父親のもとに返された。誰かから聞いたのだろう。ジニーの声は微かな期待に弾んでいてた。
「穴の開いた、もうなんの意味もない日記帳なんか、とっくに処分しているだろうな」
 そう答えた声の冷たさに、ドラコ自身驚いた。
 とまっていた足音はやがて正反対の方にいき、聞こえなくなった。やるせない思いでドラコは振り返った。
 何故さっきまでのように優しく言ってやれなかったのだろう。いや、何故優しくしてやる必要がある。ジニー・ウィーズリーは嫌いじゃなくたって敵なんだぞ? 相反する二つの気持ちを抱えながら、ドラコはフクロウの足に手紙をくくりつけた。
 休暇に入ったら、屋敷内を探してみよう…――【あの人】の形見を見つけたら、どうしたいのか。よく分からないままに、ドラコはそう心に決めた。

(2006/07/05)