ドラジニ短編集 - 3/8

コウモリ鼻クソの呪いの産物

 あの日、コウモリ鼻クソなんてとんでもなく汚い上にえげつない呪いでノックアウトされて以来、僕はジニー・ウィーズリーを見かけるたび落ち着かなくなった。大広間に行くと何処かにいやしないかと姿を探してしまうし、目があったりしたら大変だ。心臓が身体を突き破ってくるんじゃないかってくらいにバクバクと鳴って、次に胃が締めつけられて何も喉を通らなくなる。恐怖……とは違うな。いくらコテンパンにやられたとはいえ、この僕が年下の女の子を恐れるはずが……ないとは言い切れないのがつらいところだけど、多分違う。うん。
 このところ、ウィーズリーは変わった。もしかしたら、もっと前に変わっていたのかもしれない。僕が彼女を注目しだしたのは最近だから、はっきりいつとは言えないけれど。小さい身体をさらに丸めて、うつむきがちにそそくさと歩いていたのが、いつの間にか胸を張って歩くようになった。
 前々から僕は彼女が不細工ではないと踏んでいたが、思っていた通りだった。彼女は可愛かった。気持ちそり返った長い睫毛はいつもパタパタ動いていて、琥珀みたいな目に嫌でも惹きつけられる。ぷっくりとした唇から覗く白い歯は少しばかり不ぞろいだったけれど、笑っているとそんなことが少しも気にならない。
 あの貧乏一家のチビに惚れるなんて以前なら考えられなかったけど、今のジニー・ウィーズリーはあの頃――あの傷物君を崇め奉っていた頃とはまるで別人だ。だから、彼女に対する想いをちゃんと整理して、結論を出した。
 僕はジニー・ウィーズリーが好きになった。できたら、彼女とつきあいたい。睨みつける代わりに微笑みを、罵りあいではなくちゃんとした話をしてみたかった。
 ここまで考えたところで、一つ大きな問題があることに気がつかないわけにはいかなかった。家同士が敵対している問題はひとまずうっちゃっておこう。どうせ僕が泣きつけば、母上は僕に味方してくださる。父上に僕の泣き落としは通じなくても、母上の願いを聞き捨てることはありえないからだ。
 問題――そう、それはジニーに恋人がいるという問題だ。
 レイブンクローのケンだかトム……それともジョニーだったか? 確か、そんな何処にでも転がっているようなつまらない名前の奴だった気がする。マグル界に出回っている、我らがハリー・ポッター様の輝かしい冒険譚1~4巻まで名前すら出てこなかったような超脇役と彼女が何故つきあっているのか。ホグワーツのミステリーだ。まあ、つきあっているものは仕方ないが、早々に別れてもらうにこしたことはない。
 金をちらつかせるか、クラッブとゴイルを使って脅しつけるか。尋問官親衛隊の権限は役立たずなアンブリッジ校長がいなくなったせいで効果がなくなったが、監督生の権限ならまだ有効だ…――そんなことを考えながら今日も暗くなってきた校内を歩いていると、何処かから言い争いの声が聞こえてきた。声の感じからして男女だ。他寮の奴らならゆすりのネタになるだろうかと思い、僕は足音を忍ばせながら声の方に近づいていった。
 閉め切った教室の内側からだった。間抜けなことに施錠もしていない。音を立てないようにドアを少し押し開け、中を覗き込んだ。室内を染める夕陽のせいで、二つの人影が誰かは分からなかった。
「君はもっとおとなしい女の子らしい子だって思ってた」
「そんなにあたしが活躍したのが不満? ブラッジャーにキャーキャー声を上げたり、泣いたりすれば満足だった?」
 痴話ゲンカか、面白い…――
「クィディッチのことだけじゃない……とにかく、もう僕は【ジニー・ウィーズリーの恋人】と言われ続けることにウンザリなんだよ」
げっ、と声が洩れそうになって口を塞いだ。
「いいわ。あたしだって、つまらないことでいつまでもいじくれてるような女々しい恋人なんていらない。あなたが他人の影にかすむのだって、あなた次第でどうにだってできること。それをしようともしないで誰かに当たり散らすだけだなんて格好悪いわ。さよなら、マイケル」
 慌ててドアから離れた直後、マイケルとかいう奴が飛び出してきた。誰かがいるなんて思いもしなかったんだろう。一瞬立ちどまったそいつをよくよくと観察してみると、ウィーズリーとつきあっていただけあって顔はなかなかよかった。スッと通った鼻や彫りの深い顔立ちは僕ほどじゃないがハンサムといってもいい。黒髪で背が高く、何処となくセドリック・ディゴリーと似た雰囲気があった。
 しかし、名前がマイケルでは全てが帳消しだ。ダサイ。崇高な僕の名とは大違いだ。
 バタバタと走っていくそいつの姿が消えるのを待って教室に入っていったが、ウィーズリーは振り返らなかった。ドアが開いた音で気づいているだろうに。
「ウィーズリー…?」
 声をかけると彼女の肩がピクリと動いたが、それでも振り返らない。
「ウィー……」
顔を覗き込んでハッとした。彼女は泣いていた。握りしめた拳を目元に当てて、歯を食いしばって。声を洩らさないから気づかなかった。
「……ど、して……あなたが、ここにいるのよ……」
 一歩ずつゆっくりと後退りながら、彼女が言った。真っ赤な目で僕を睨みつけながら、途切れ途切れに続ける。
「立ち聞き、してたのね……最低……」
「ウィーズリー」
「満足……? 可愛くない女だって、捨てられたって……学校中に触れ回るネタができたじゃない……満足よね」
 グスン――大きく鼻をすすると、彼女は床に座り込み、緊張の糸が切れてしまったのか、ワッと声を上げて泣きだした。
 超脇役とはいえ、彼女は好きだからつきあっていたんだ。あんな風に言われて傷つかなかったはずがない。
 ウィーズリーが女の子らしくないだって? 僕はマイケルとかいう奴の顔を苦々しく思いだした。見抜けなかったあいつが間抜けなんだ。こんな風に泣く彼女の何処が女らしくないっていうんだ?
「泣くなよ。君は悪くない。あいつは馬鹿だから、君のよさが分からなかったんだ」
「な…、に……」
 僕は不意に彼女を抱きしめていた。普段が普段だけに、僕は思いっきり嫌われている……悲しいが自覚もある。ウィーズリーはもがいて、僕から逃れようとした。
「離し……離してよッ」
「君は可愛いよ、ジニー」
 今まで一度だって呼んだことのない名前が滑りでてきた。必死に両手足をバタつかせていた彼女の動きがとまった。僕が突然日本語でも話しだしたみたいに理解不能って顔をしている。無理はないか。
 厚みのある唇を指でなぞって、軽く押すと、それがスイッチだったように彼女がキャッと悲鳴を上げた。
「な…、な……何、言って……何するの!?」
「思ったことを言っただけだ。僕は君のことが好きになったんだ。僕をコテンパンにしてくれた君のたくましさと、その陰に隠した弱さが」
 彼女は言葉という言葉を忘れてしまったように、何も言わずに口をパクパクさせていた。その動きを見ているうちに僕は我慢できなくなって、ついついキスしてしまった。柔らかい唇が触れ合ったのはほんの一瞬で、彼女は両手を突っ張って僕を押しのけた。ついでに強烈なビンタを一発おまけしてくれた。グーじゃなくてパーだったのがありがたい。
 湯気が噴きだしそうな顔は僕を見もせずに駆けていってしまった。ヒリヒリした頬を押さえながら、僕は溜め息を吐いた。分かっていたことだが、どうやらかなりの長期戦になりそうだ。

(2004/11/08)