DAYDREAM
魔法史での態度がよろしくないからと補講を受けさせられる羽目になった。魔法史で寝るのが態度が悪いってことなら、態度のいい奴なんてガリ勉のグレンジャーを除けば一人もいないはずなのに、どうして僕だけが? 全く理不尽きわまりない。一体誰の差し金だ? あのやる気のないゴースト教授ビンズが進んでそんなことをするはずがない。ということはグリフィンドール贔屓のおいぼれじいさんのささやかな嫌がらせだろうか。
まったく……何が悲しくて一学年下の奴らと一緒の授業にでなくちゃならないんだか。
授業が始まる前に最後列に陣取ると、同寮の連中が面白がって振り返ってきた。声をひそめたって笑っているのが見えるぞ、馬鹿どもめ。睨みつけると、そそくさと目を逸らしていった。ふん、他愛もない。
ビンズがいつも通り壁をすり抜けて現われると、退屈な授業が始まった。あくびを噛み殺しながら、寝ないように何度も手の甲をつねった。ノートを取る気はさらさらない。どうせホグワーツで習う歴史なんて知っていることばかりだ。知らないのはお気楽なマグル出身者くらいなものだろう。純血の、ちゃんとした生まれの者なら五つの子供だって空で言えるはずだ。
教室中を見渡すと半数以上は確実に机に突っ伏していたし、もう半分も頭がゆらゆらと揺れている。なんだか無性に腹が立つ。こいつら全員補講にすればいいんだ。
起きているのは僕以外に…――いた。一人だけ。二つ前の列の端に腰かけた女の子が、ノートに熱心に書きつづっている。グリフィンドール生だが、はっきりと見覚えのある女の子だった。
ジニー・ウィーズリー。本屋で僕に突っかかってきた女の子だ。
ハリーを放っておいて――勇ましい声の割に小さな身体を震わせていたっけ。
あの時は大して分からなかったけれど、こうしてじっくりと横顔を見たらなかなか可愛い。兄貴とは大違いだ。大きな目、少しだけ上を向いた鼻、微かに開いた唇は淡いピンクでクリームでも塗っているのか艶があった。
笑ったらどんな声が洩れるんだろう。怒鳴り声じゃない、彼女の素の声が聞いてみたい。
そっと立ち上がると、彼女の真後ろに席を移動した。カリカリと羽ペンを動かすのに夢中で、彼女も全く気づいていない。
「……ウィーズリー」
声をひそめたまま呼んでみた。声が小さすぎたか、彼女がよほどノートをとるのに夢中になっていたためだろう。気づきもしなかった。
一体何をそんなに熱心に書いているんだ? ビンズは板書をやめ、教科書を辛気臭い声で読み上げているところだった。僕は頭をそろそろと動かして、彼女の肩越しにノートを覗き見た。
『あなたが側にいてくれるだけで、あたしとっても落ち着くの……本当よ。大好き』
ラブレターだ。急に力が抜けて、背もたれに倒れ込んだ。そのままズルズルと肩まで落ちていく。
一度見ただけの女の子が、それもロン・ウィーズリーの妹がラブレターを書いていただけなのに、どうしてこんなにショックなんだろう。
あて名はきっとあの有名人の傷物君に違いない。
ハリー・ポッターの何処がそんなにいいんだ? 混血の上に頭だってそんなによくない。貧弱な体つきにだらしのない頭、浮浪者みたいな外見じゃないか。唯一の取り柄といえばクィディッチくらいの。
僕の何処が、あいつに劣るっていうんだ?
初対面の印象が最悪だったのは認めるし、僕の家とウィーズリー家が反目しているのだって知ってる。僕らの所属する寮同士の仲も。
だけど、この僕、ドラコ・マルフォイを差し置いてあいつにラブレターを書くなんて法はない。
ウィーズリーの髪をつかんで、軽く引っ張ってやった。小さな悲鳴を上げて、彼女は振り返った。間近で見ると、彼女は本当に可愛かった。金色に近い眉や睫毛がはっきりと見えるからだろう。見開いた目が人形のようだった。
「ニンジン! ニンジン!」
彼女の顔にサッと朱が走る。みるみるうちに涙が競りあがり、あふれだした。唇を動かしたが、声はでなかった。小さく鼻をすするジニー・ウィーズリーを見ると胸がすっきりした。とりあえず、この瞬間だけはポッターのことも忘れて僕のことだけを考えている。ポッターから彼女を取り上げてやったような気分になった。
その時、彼女の背後がぼんやりと青白く光った。くだらないとはいえ、授業中に顔をだすとは無礼なゴーストだ…――え?
僕は見間違いかとゴシゴシ目をこすった。ジニー・ウィーズリーの横にすべりでてきたのは背の高い男だった。それもスリザリン生だ。一昔前の制服を着ているが、寮章は同じ……それに監督生バッジをつけている。
おかしい。スリザリンの監督生にこんな奴はいない。
そいつはビンズに気づかれてもかまわないと思っているのか堂々と突っ立って、僕をジロリと見下ろしていた。
「トム…?」
「気にすることはないよ、ジニー」
見上げるウィーズリーの涙をキザったらしく拭うと、僕の眼前に手のひらを突きつけてきた。
「君をからかうなんてね……万死に値するよ」
にこりと笑うと、淡い緑色の光が僕の視界を染めていった。嘘……だろう? これは…、これは…――死の呪文、アバダ・ケダブラだ! なんだって杖なしでこんな芸当ができるんだ、こいつは?
いや、そんなことより死ぬ、殺される!!
怖くて仕方ないのに身体が全然動かないし、声がでない。集まった光が今にも僕に襲いかかる…――やめて、と彼女の叫び声が聞こえた気がした。
*****
柔らかいものが額に触れた。くすぐったくて目を開けると、天使の気遣わしげな顔が飛び込んできた。神さまってのはなかなか粋だ。ジニー・ウィーズリーそっくりの天使を迎えによこしてくれるなんて。
「……マルフォイ、大丈夫?」
違う、本物だ! 僕はまだ生きていた。信じられない。
いつの間にか床に倒れていたようで、肩や首が痛かった。そろそろと身体を起こすと、澱みなく教科書を読み上げるビンズの声が耳に届いた。
あれ…? もしかして、今までのは夢……だったのか?
ジニー・ウィーズリーはハンカチをしまった。額を撫でていたものはそれだったのだ。噴きだした汗を拭いてくれていたらしい。
「あなたって寝相がとってもいいのね、感心するわ」
にこりと笑うと、彼女は席に戻っていった。
僕はぼんやりと教室を眺めた。連中の大半はまだ眠りの国から帰ってきていないし、特に何かがあったとは思えない。僕がこうして床に転がっていることにすら誰も気づいていないのだから。
やっぱり、ただの夢だったのか。
『次にジニーを泣かせた時は容赦しないぞ、ドラコ・マルフォイ?』
……また幻聴が聞こえた。僕の頭もポッターなみにおかしくなってきているんだろうか……そうかもしれない。
と、とりあえず、あれだ。ジニー・ウィーズリーへの態度はもう少し気をつけよう。もちろん、怖い夢のせいではない……それもあるけど。
泣き顔よりも笑顔の方がずっと可愛かったから。ほんの一瞬だけじゃなく、ずっと眺めていたかったからだ。
(2004/09/08)