【記憶】の身では眠くもならない、お腹もすかない。生理的な欲求は一切存在しない。ただ暗い空間に存在するだけ。
できるのは日記帳への書き込みを【聞く】こと、それに対して何か【言う】こと、そして【考える】ことしかなかった。どうやら考えるだけでは日記帳に文字を浮かび上がらせることもないらしい。
そうしてリドルとの対話を頑なに拒みながら、ジニーはいろいろなことを考えていた。今は一体いつだろうとか、死んでからどのくらい経ったんだろうとか。家族は、友達は無事だろうか…――そして、ハリーのことを思った。
優しくて勇敢でどんな困難にも立ち向かっていく彼はジニーの憧れだった。その彼を無残な死と結びつけることは、身を切り裂かれるような苦痛を呼び覚ました。
愚かな行動のツケをハリーに払わせて、のうのうと【生きて】いるなんて！
何度も死のうと思った。首を絞めたり、手首を傷つけてたり、舌を噛み切ろうともした。だが【記憶】に死は許されず、一瞬の痛覚の後、たちどころに傷は治ってしまい、血の一滴すら見ることはなかった。
（気が狂ってしまいそう……）
頭をかきむしってジニーは身体を縮めた。
いっそ気が狂ってしまえば、このつらさから逃げだせるのに。定期的に語りかけてくるリドルの【声】がそれを許してくれない。リドルへの憎しみ、恨みだけが今にも切れてしまいそうなジニーの正気を繋ぎとめていた。
狂えないのは罰かもしれない。
取りとめもない戦況の数々。外部からの情報は聞きたくもない彼の【声】からしか得ることができない。今日は【穢れた血】を何人殺したとか、マグルを拷問したとか、自分に従わぬ一派を片づけたとか、そんなことばかり。嘘かもしれないし、本当かもしれない。けれど、外部を知る術はそれしかないのだ。腹が煮えくり返りそうな怒りを吐きださないように必死に自分を抑えて、今日も彼の話に耳を傾けていた。
《何も言ってくれないんだね、ジニー》
一通り話し終えた後、リドルはそうつぶやいた。
彼は自分に何を求めているんだろう、と思う。
そもそも何故自分が【記憶】として保存されねばならなかったのか。どうして死なせてくれなかったのか。何処までも続く沈黙と暗闇の世界に押し込めて、一体彼は自分に何を望んでいるんだろう。いくら考えてもジニーには分からなかった。
答えないのは分からないからではなかったけれど、いつものように沈黙を守り通した。
《明日辺りから激しい戦いになりそうなんだ。ダンブルドア陣営の精鋭と一戦交えなきゃならない……万全を期して戦いに挑むけれど、もしかしたら命を落とすかもしれない。
ジニー、頼むよ……一度でいい。【声】を聞かせてくれないか？ 嘲りでも罵りでもいいから……》
【あの人】に似つかわしくない気弱な声だった。傲慢な響きは影を薄くし、頼りない子供のような。ジニーは一瞬、二人楽しく言葉を交わした時を思いだし、あやうく声をかけそうになった。すぐにそんな自分に気づいて心の底から嫌悪したが。
（どうせ、また何か企んでるに決まってる。どうだっていい……彼が死んだって、あたしにはちっとも関係ないもの。
皆を苦しめて……トムなんか…、死んじゃえばいいんだわ！）
はじめて誰かの死を願った瞬間だった。冷たい沈黙の拒絶をリドルはどう受けとめただろう。それっきり【声】が届くことはなかった。