白いケナガイタチにはご用心!

 ある朝、ドラコ・マルフォイは何か気がかりな夢から目を覚ますと、自分がベッドの中で一匹のケナガイタチに変わっているのを発見した。白い手は短く、手というよりもむしろ前脚という感覚に切り替わっている。むずむずとするお尻の部分には立派な尻尾があり、その部分を動かしたいと思えば、自在に操れることにも気がついた。
 魔法界ではしょっちゅうこんなことが起こりうるので、ドラコはさして気に留めずに布団の中にもぐり込み、二度寝をした…――と言いたいところだが、彼は絶叫した。もっとも発達した門歯の合間から洩れたのは、キーキーと高く割れるような鳴き声だったが。
(な、なんだ!? どうして僕がまたこんな姿に!)
 ドラコは何故こんな状況に陥ったのかを考えようと、混乱した頭をフル回転させた。
 昨夜はクリスマスだった。三校対抗試合の伝統行事として開催されたダンスパーティーに参加したことまでは思いだせる。けれど、霧がかかったように細部が思いだせない。ケナガイタチになったせいで、脳まで退化してしまったのだろうか。
 ともかく誰かになんとかしてもらわねば、と布団から這いでたドラコはベッドから滑り降りた。【誰か】の選択肢で、まずは部下……じゃない、名ばかりの親友であるクラッブとゴイルを選んだ。何せ彼らは同じ部屋にいるわけだし、ドラコの父親の力を恐れて、なんとしてでもドラコの苦境を救おうとするだろう。
 ドラコは豪快なイビキの発生源である隣りのベッドまで駆けた。高いベッドには後ろ脚で立ってもよじ登れず、一旦下がると、助走をつけて飛び乗った。寝具の弾みにまたもや落とされそうになりながら、なんとか留まると力の限りに訴えた。
(おいっ! 馬鹿ヅラしてないで起きろ、クラッブッ!)
 ドラコの声は小動物の鳴き声だ。地響きのようなイビキに勝てる道理もなく、クラッブは仰向けになったまま大口を開けて眠っている。
(この役立たずが! 人間に戻ったら、絶対殴ってやるからな!)
 悪態を吐いたが、反応はない。ドラコは仕方なくゴイルのベッドにいくと、同じように訴えかけた。
(ゴイル! 寝てる場合じゃない、起きろっ。起きろったら!)
 イビキこそ聞こえないが、ゴイルはクラッブよりもさらに深い眠りに就いているようだった。だらしなく開いた口の端からはヨダレを垂らし、それがシーツまでしたたり落ちてシミになっている。
 このドラコ・マルフォイがこんなにも困っている時に、のうのうと眠っているなんて…――憤慨したドラコは、ゴイルのゴツゴツとした太い指先に思いっきり噛みついた。ギャッと叫んだゴイルは水を浴びせられたように跳ね上がり、腕を振り上げた。普段の鈍さとは程遠い機敏な動きに、喰らいついた指を離すいとまもなかったドラコは、ふわりと浮き上がった身体がものすごい勢いで後ろに吹っ飛んでいくのを感じた。
 キャンッ…――口から洩れたのは、またしてもこんな声だった。叩きつけられた背中から全身に痛みが広がり、吐き気が込み上げてくる。
(こいつ……! この僕になんてことをするんだ!? 父上に言いつけてやるからな!)
 悪態をついたドラコに、ゴイルはすまなさそうな顔をするでもない。今までドラコが見たこともないような凶悪な顔をして、のそのそと近づいてくる。
「……ぅ、ん。どうした……ゴイル?」
 あくびをしながら起き上がったクラッブに、ゴイルがむっつりと答える。
「ケナガイタチだ。指を噛まれた」
「ケナガイタチィー? なんで、こんなところにそんなのがいるんだよ……寝ぼけてるんじゃないか?」
「寝ぼけてるのはお前だ、よく見ろよ! ほら! 俺の手を噛んだ! くそっ、どうしてやるか」
「……焼いて食ったら、うまいかも」
 またもそもそと布団の中に戻りながら、クラッブはそんな無責任な言葉を吐いた。名案だといわんばかりに手を叩くゴイルにゾッとして、ドラコは彼の脇を全力疾走ですり抜け、運よく半開きになっていたドアから階段へ飛びでた。背後から「待て」とか怒鳴り声が聞こえたが、待ってなどいられるものか。ゴイルの目は本気だった。脳みそまで筋肉でできている彼の辞書には、動物愛護精神などという言葉はないのだ。ホグワーツ開校以来、校内で命を落とした者もあったろうが、まさか友人に食われて死んだ者はなかったろう。自分がその記念すべき第一号になるなんてごめんだった。
 寮を転がりでると、ドラコは地下牢のスネイプ教授のもとへと急いだ。この状況から救いだしてくれるとすれば、友人達よりもスネイプ教授の方が頼りになるはずだ。彼は父親の古くからの友人だし、日頃からドラコに目をかけてくれている。それに魔法薬学の教師なのだから、何か悪いものを食べてこうなったのなら…――と考えたところで、ドラコはようやく思いだした。そうだった! あのグリフフィンドールの赤毛の双子に渡されたワインのせいだ! 仲の悪いあいつらが何故かニヤニヤ笑いを浮かべて近づいてきた時点で、こんな風になることを予測すべきだった。あのワインに何か仕込まれていたに違いない。
 ドラコは急停止して、逆方向に駆けだした。目指すはグリフィンドール寮だ。新しい悪戯グッズの実験に使われたのなら、あの双子が解毒剤を持っているに違いない。スネイプ教授のところにいってもうまいことケナガイタチ=ドラコと伝えられればいいが、もし伝わらなかったら? モルモットや剥製にされる危険があるなら、違う選択をしたいところだ。
 もう日が高い位置まで上がっているというのに、廊下には人気がなかった。昨夜のダンスパーティーの疲れで、まだ皆ベッドにいるのだろう。ドラコは息を切らしながら階段を駆け上がっていた。小さな身体では、すぐに息が弾む。おまけにグリフィンドール寮の正確な位置が分からないのだ。煙となんとかは高いところに上がるということわざ通り、確かグリフィンドールの奴らはいつも上の方から下りてきたはずだ。くじけそうになりながらも、イタチのまま一生を送ってなるものかという一心でドラコは階段を駆け上がっていた。
 踊り場で息をつき、気力を振り絞ってさらに上の階までいこうとした時。
「あら!」
 二本の足が目の前に現れた。不意に身体が浮き上がり、ドラコは悲鳴を上げた。そして自分を抱え上げたのが、他ならぬハーマイオニー・グレンジャーだと分かると手足をバタつかせ、なんとか逃れようとした。
(放せ! この【穢れた血】が! 薄汚い手で僕に触れるなッ!!)
「誰かのペットかしら? ケナガイタチを飼ってる人なんて見たことないけど……」
(飼う、だと!? 無礼な! このドラコ・マルフォイを畜生扱いする気か!!!?)
 悲しいかな、罵り言葉も全く通じていない。ハーマイオニーは暴れないで、と優しくささやき、首根っこをつかんだ。噛みついてやろうと思っていたドラコは悔しさに、手足をバタバタと動かした。
「グリフィンドールの側にいたから、うちの寮の誰かかしら……安心してね。ちゃんとあなたのご主人さまのところに帰してあげるからっ」
 その言葉に、ドラコは動きをとめた。そうだ、このままグレンジャーに連れていってもらうのがベストだ。寮の正確な位置も、合言葉も分からないのだから。それに、その方が疲れない。
 急に大人しくなったのを訝しんだのか、グレンジャーは眼前までドラコを持ち上げた。しげしげと見つめられると、ドラコはドギマギした。大嫌いなハーマイオニー・グレンジャーをこんな至近距離で見つめたことも、見つめられたこともなかったのだ。意志の強さが窺い知れるくっきりとした眉や目元、微かにソバカスのある頬、ふっくらとした唇。昨夜見たドレスローブ姿の彼女の面影を認めると、白い毛で隠された頬が熱を帯びる。そう、ハーマイオニー・グレンジャーはブスではない……どちらかというと、美人の部類に入ると言ってもいいくらいだった。昨夜の疲れのためか、目元が赤みを帯びているが…――彼女のパートナーだったビクトール・クラムを思い浮かべると、何故だか腹が立った。
「目が青みを帯びた黒……アルビノじゃないんだ。珍しい。あなたってとっても高級なのねっ」
(……ふん、当然だろ。僕は純血のマルフォイ家の人間なんだからな)
 褒められると、どうにも悪い気はしない。知らず振っていた尻尾に目を留め、グレンジャーが嬉しそうに笑う。
「私はハーマイオニーっていうのよ、よろしくね」
(グ、グレンジャーッ……!?)
 抱き寄せられ、ドラコは硬直した。むに、と何か柔らかな感触が身体半分で感じたのだ。何か…――胸だ! グレンジャーは着痩せするタイプらしい。というか、いつも胸元は厚い辞書数冊で隠されていたから気づかなかっただけか。ぺったんこだと思っていた胸は予想以上に大きく、ドラコの半身を包み込んだ。
 女の子の胸に触るのは初めてだ。それもケナガイタチは人間よりも数段小さく、触れる範囲が広い。ドラコはただただ喘いだ。息が苦しく、全身が熱い。何処をどう運ばれたのかもよく分からないうちに、気づけば大きな肖像画の前でグレンジャーが足をとめた。
「フェアリー・ライト、豆電球!」
「あら……お早いお戻りなのね」
 肖像画の婦人も、昨夜は羽目を外して楽しんだらしい。欠伸をしながら、寮への道を開けた。
 ドラコはグレンジャーの腕の中で呆けたまま、室内を見回した。談話室は閑散としていた。整然としたスリザリン寮と比べ、グリフィンドールはごちゃごちゃしていた。椅子一つ取っても、誰かが使ったらそのままにしておくのが決まりらしく、部屋全体を狭く見せていた。ソファには私物らしい衣類が引っかけられていたし、絵の額縁は曲がっている。けれど、不思議と汚らしさよりも暖かさを感じられる。整いすぎて落ち着かないスリザリンよりも、居心地のいい空間といった印象を与えられた。
 部屋の奥には、二つのドアがある。グレンジャーがそちらにいきかけると、
「おや……誰かと思ったら、ハーマイオニーじゃないか」
「相変わらず早いな! 昨日はクラムとお楽しみだったのに?」
 ソファの背もたれから、むくりと二つの影が起き上がった。ドラコは我に返り、甲高い声で吼えた。グレンジャーは驚いたようだったが、しっかとドラコを抱えたまま、彼らに向き直った。
「おはよう、フレッド、ジョージ。ちっともお楽しみなんかじゃなかったわよ! 昨日はすぐに寮に戻ってきたもの」
「へえ? それはそれは」
「すまないねえ。我らがロニィ坊やがネンネだから、君には苦労をかける」
 グレンジャーはまるでビンタでもされたような顔をしたが、
「なんのことだか分からないわ。私やロンの心配をするくらいだったら、大事な妹を心配したらいかが? ジニー、昨日遅くまで帰ってこなかったでしょう」
「ああ。我らが姫に寄りつく虫を成敗するのは一苦労さ!」
 テーブルの上に両足を乗せ、くつろいだ様子でフレッドとジョージ・ウィーズリーが言う。
「しかし、まあ殺虫剤代わりになるものはボチボチ開発していってるんでね」
「ネビル君にもそろそろ身の程をわきまえてもらわないとな、うん」
 ケラケラと笑う双子に、グレンジャーは肩をすくめた。
「そんなことより、ハーマイオニー? 実は俺達さっきから君の腕の中にいる生き物が気になってるんだけど」
「珍しいケナガイタチだな? 新しい君のペットかい? トラネコ君よりも断然可愛いし、オススメするけど」
(可愛いだって!? ウィーズリーの分際で、この僕を侮辱するのか!?)
 双子が目配せするのを、ドラコは見逃さなかった。間違いない。こいつらが犯人だ!
「ハーマイオニー。俺達可愛い動物には目がないんだ……ちょっと触らせてくれないかな?」
 触るだって? むしろ噛みついてやる、とドラコが歯を剥きだしにしてうなると、
「駄目よ! あなた達に触らせたら、この子をいじめそうだもの。校内で迷子になってたから、飼い主を探してるの。見つかるまで、私が預かるわっ」
「あぁー……それはオススメしないぞ、ハーマイオニー」
「多分そのケナガイタチは君には手が負えない。気性が荒そうだし」
 困ったように頭をかき、しかし悪戯っぽい笑みを浮かべたまま双子が言い募る。ハーマイオニーは好戦的に髪を振り払った。
「あなた達に会うまでは、私の腕の中でとってもおとなしかったわ。じゃ、ね。私、女子寮に戻るから。また後で皆が起きだした頃に談話室に下りてくるわ」
(ちょっ…、放せ、グレンジャー! あの馬鹿ウィーズリーらに用があるんだよ!)
 もがいたが、ハーマイオニーはしっかりと腕に力をこめたままだ。彼女の肩越しに、バイバーイと軽く手を振ってウインクする双子のウィーズリーに向かって、ドラコは絶叫した。
 グレンジャーの部屋とおぼしきところまでくると、ようやく床に下ろされた。ドラコは勢いよく駆けだした。とはいえ、もうしっかりとドアを閉められ、硬い木のドアで爪を研ぐのがせいぜいだったが。
(だしてくれッ! 人間に戻りたいんだよ! くそったれ、あのウィーズリーが!!)
「どうしたのっ? そんなに暴れて」
 グレンジャーの足元に取り縋り、ドラコは懸命に訴えた。
(グレンジャーッ、気づけ! 気づいてくれよッ……!! こんな高貴な白いケナガイタチがそこらのペットショップで売られてると思うのか!!!? 【穢れた血】でも洞察力だけは評価してるから……頼む、気づいてくれ!!)
「病気かしら……さっきまであんなにおとなしかったのに」
(ちがーうッ!!!!!)
 ドラコは居ても立ってもいられなくなり、部屋中を駆け回った。言葉が通じないストレスが極限まで達していた。苛立ちを表現する手段がただ走り回るだけとは稚拙だが、何せ今のドラコはケナガイタチなのだ。人間様のように振る舞おうとしたって無理がある。
 机の下に、ベッドの下に、もぐり込める隙間には全てもぐり込んだ。けれど、解決の糸口は何処にも転がっていない。ドラコは絶望し、足をとめた。
(もう駄目だ……僕はこのままイタチのままなんだ。父上母上申し訳ありません。イタチの僕がマルフォイ家を継ぐわけには参りません……イタチの血で、純血を穢すわけにはいかないし、何より結婚なんてできない……雌のイタチと見合いをする羽目になるのか。そんなの嫌だ……)
 そっと抱き上げられ、ドラコは涙をこぼしそうになった。かわいそうに、と繰り返し、抱きしめてくれるグレンジャーが今はこの上もなく優しく、きれいな女性に思えてくる。
「白い毛並みがホコリで汚れちゃったわね……きれいにしてあげるわ」
 ドラコはその言葉の意味を考えず、彼女の腕の中でおとなしくしていた。もう考えるのが億劫になってきていた。いよいよ、脳までイタチ化してきたのだろう。
 グレンジャーに飼われるのも、そう悪くはないかもしれない。そんなことまで思い始めていた。けれど。
 ジャーッ…――床を打つ水音に、ドラコは悲鳴を上げた。
(な、なんだって……!!!?)
 靴とソックスを脱ぎ捨て、ローブの袖をまくり上げたグレンジャーが当然のようにシャワールームに入っていく。
「さっ、きれいにしてあげる。ちょっとの辛抱よ」
(やめろ、グレンジャーッ! 頼むから! これは、これはぁァーッ……!!!!!)
「駄目よ、駄目! おとなしくしなきゃ!」
 思いのほかに大きく、力強い手が、ドラコの自由を奪った。全身に泡を撫でつけられ、サワサワと擦られていく。頭、顔、腕、脇の下、腹…――感覚が人間ではなく、イタチに切り替わっているとはいえ、女の子に自分の全身をまさぐられているかと思うと、ドラコは気持ちいいやら、情けないやらで、叫ばずにはいられない。何せイタチの中身は、思春期真っ盛りの少年なのだから。
 先ほど感じたグレンジャーの胸の柔らかさが結びつくと、興奮が一層募る。悶々と心に浮かび上がってきたものが、少しずつはっきりとした形になっていく。グレンジャーと自分の○○○で×××な妄想だ。
「ぁっ、ああ! グレンジャー、もうやめッ……えっ?」
 ドラコは目を見開いた。人間の声だった。グレンジャーと目が合う。彼女も口が聞けないくらい驚いているようだった。
 縮こまっていた手足が、グングンと伸びていく。全身がゼリーに変わったような気がした。白い毛が毛穴に吸い込まれるように消えていき、物をしっかりとつかむことのできる五本指の手に戻った。
「ま…、マルフォイッ……?」
 泡で覆われているとはいえ、スッポンポンな自分の姿を見回し、ドラコは悲鳴を上げた。同時に叫んだグレンジャーに勝るとも劣らない大きさで。
「このッ! 変態! 最低、し、信じられないッ……!!」
 バシーンッ、バシーンッ…――すさまじいビンタの音が炸裂した。何度も、何度も。
 その頃、談話室では双子のウィーズリーが菓子を頬張りながら、まったりとくつろいでいた。示し合わせたようにちらりと女子寮を見て、二人はにたりと笑う。
「そろそろ効力が切れる頃だろ? 教えてやった方が親切だったんじゃないのか?」
「とめるのも聞かずに連れてっちまったのはハーマイオニーだぜ? それに、面白そうじゃないか。ご対面の時が」
「そら、そうだ!」
 顔を真っ赤に腫らしたマルフォイが、バスタオル一枚をはおって女子寮から転がりでてきたのは、その日のうちにホグワーツ中に広まった。『白いケナガイタチにはご用心』と書かれた痴漢対策ポスターが校内のいたるところに貼られ、ドラコはショックのあまりしばらくの間、スリザリン寮から一歩もでられなくなったという。

(2006/08/06)