囚われの姫君 - 2/7

『ホグワーツ中の穢れた血はあらかた片づけたよ。ダンブルドアがいないと、やっぱり張り合いがないね。
 ああ、そうそう、今日は【未来の僕】の下僕とかいう奴らが現れたな。きっとルシウスが根回ししたんだろうけど、この僕に忠誠を誓ったよ。【未来の僕】が今何処を彷徨ってるのかは知らないけど、反応が見物だね。凋落の原因となったハリー・ポッターの抹殺を、事もあろうに【記憶】だった僕が成し遂げたんだから』
 リドルは羽ペンをとめて、しばし日記帳に見入っていた。インクは吸い込まれ、跡形もなくなる。だが、書き込んだことに対しての返事は返ってこない。
 ふぅ、と深い溜め息を吐く。
 ジニーの【記憶】を日記に閉じ込めてから、かれこれ一月近く経つ。その間、リドルは以前ジニーがしていたように肌身離さず【彼女】を持ち歩き、暇を見ては語りかけてきた。何もない暗闇の世界の孤独を知ればこそ、そうしてきたのだが、ジニーは口も利きたくないとの言葉通り、あれ以来一度として返事をすることはなかった。
 ハリー・ポッターの名をだせば、何か言ってくると思ったのに失敗に終わったようだ。
 怒りに満ちた言葉でもいい、罵りの言葉でもいい。たった一言でいいから何か返してほしかった。これじゃあ、ただの日記と同じだとリドルは思う。そして独り言を吐き続ける趣味はなかった。
 日記を通してでもいいからジニーの【声】が聞きたい。そう思って彼女を閉じ込めたというのに。
 つれない少女に、リドルは昔読んだマグルの童話を思いだした。
 高い塔に閉じ込められた少女の話だ。両親の顔を覚える間もなく引き離され、赤ん坊の頃から小さな世界に生きてきたラプンツェルという少女。塔をよじ登ってきた王子と出会うまで、自分を閉じ込めた魔法使いの存在しか知らなかったという。
 ジニーがラプンツェルなら、さしずめ自分は悪い魔法使いだろうと、リドルは暗い笑みを浮かべる。
(自分を押し込めた魔法使いを赦せるラプンツェルなど、いるはずもないか)
 だが、王子と会わせたりはしない。逃がすようなヘマは犯さない。そのためにハリー・ポッターを完全に始末したのだから。
 【人間】は悠久の孤独に耐えられない生き物だ。王子さえいなければ、いずれラプンツェルの心は手に入る。そして記憶から抜けだしたばかりのリドルにとって、時間はたっぷりと残されていた。
 赦されることなど望むまい。だが、彼女は手に入れる。必ず。彼女に見えるもの全てを奪ってでも、自分以外見せなければいい。彼女の世界全てを取り去って、自分が彼女の世界になるのだ。
 リドルは日記帳を閉じて大事に胸元にしまうと、蛇の彫像から飛び降り、スリザリンの像の真下に向かった。とぐろを巻いて通路を塞いでいたバジリスクは主人の近づいてくる気配に首をもたげ、スルスルと道を開ける。その先には小さな骨が置かれていた。きちんとたたまれたローブと服の横に、完全な標本のような姿で。
 リドルはしゃがむと日が経ち、微かに黄ばんだそれに手を触れ、形を崩さぬようにそっと撫でた。優しい笑みを浮かべて、甘い声でささやく。
「ああ、早く元の姿の君に会いたいよ。
 あと少し……ダンブルドアを倒しさえすれば、僕を妨げる者はいなくなる。そうしたら、すぐに甦らせてあげるから。また前のように話をしようね。君の【声】が聞けないと寂しいよ……」
 名残惜しそうに手を離すと、リドルは立ち上がった。そろそろ戻らねば。第二のヴォルデモート卿として担ぎ上げられたからには、指示を与え、下々の者を動かしていかねばならないのだから。
 【秘密の部屋】の入り口からバジリスクが元のように道を塞ぐのを見届けると、魔法で念入りに扉を閉じた。万が一にも蛇語を操る者が現れ、ジニーをさらっていかないように。
 狂気じみた愛――もし見る者があればそのように映ったろう。
 全てを見抜くダンブルドアは以前ハリーに言ったことがある。ヴォルデモートは愛という感情を理解できないのだと。父親に捨てられ、彼を産むとすぐに死んだ母親。無条件に愛されることなく育った哀れな孤児の身の上、それも無理もないことかもしれない。
 だが、その少年が温かみを知っていれば。
 ジニー・ウィーズリーは彼が手にした初めての温もりだった。はじめて手にしたものを逃したくないと願うのは【人間】として当たり前の感情ではないだろうか。
 【ヴォルデモート卿】として立ち上がる前まで、彼、トム・リドルは紛れもなく【人間】であったのだから。