医務室は見舞いの生徒達で賑わっていました。ドアから入って右側にスリザリン生、左側にグリフィンドール生。境界をしっかりと分け、押し合いへし合い自寮のシーカーの顔を覗き込んでいます。
痛みがないのか始終静かなハリーに対して、ドラコは普段以上に青ざめた顔で腹部を押さえ、苦しげな呻き声を上げていました。頭から落ちて首の骨を折ったりもせず、身体の中で一番肉づきのいいお尻から落ちたのは大変幸運でしたが、強打した衝撃が胃の中を引っくり返してしまったのです。
「ドラコ、大丈夫かい?」
「僕のカエルチョコをあげるから元気をだしてよ」
クラッブとゴイルは今にも泣きだしそうな顔で励ましの言葉をかけましたが、ドラコはそれに答えるような気分ではありません。
ああ、どうして僕の周りにはこんな奴らしかいないんだろう。気持ち悪くて仕方がない時にムサ苦しい男連中のニオイを嗅がなきゃいけないなんて! 汗くさい。勘弁してほしい。どうせなら可愛い女の子に側にいてほしい。看病されたい。
「ああ、グレンジャー……」
大好きな少女の名をつぶやいたその時でした。
「呼んだ?」
「……グレンジャー?」
スリザリン生の巨体をかいくぐるようにして顔を覗かせたのはハーマイオニー・グレンジャーその人でした。信じられなくて、ドラコは幻でも見ているのかとゴシゴシと目をこすりました。
「これは夢なのか…?」
「頭まで打ったってわけ? あんまりうるさいから様子を見にきたの。ハリーの方が重傷だっていうのに、あなたの方が騒がしいわ」
そう言うハーマイオニーにドラコは目を潤ませました。
「ああ、この辛口……本物のグレンジャーだ。嬉しいよ。死ぬ前に君に言っておきたいことがあったんだ」
「馬鹿言わないで! 死ぬはずがないでしょう。すぐ元気になるわよ。でも、言いたいことがあるっていうなら聞いてあげるわ。何?」
神さま、千載一遇のチャンスをありがとう! 彼女と出逢った日以来考え続けてきた胸をとろかすロマンチックな告白の言葉をささやこうとしました…――が。
バーン! 医務室のドアが勢いよく開き、皆の目がそちらに釘づけになりました。
「ドラコ、無事か!?」
つかつかと入ってきたのはドラコの父親、ルシウス・マルフォイです。彼は息子の寝かされたベッドに歩み寄ると、呆然としているドラコをガバッと抱き起こしました。
「ああ、こんなにも痛々しい姿になって…! お前にもしものことがあったらと思うと、気が気ではなかった…!!」
「ち、父上、何を…――」
いまだかつて父親に抱かれたことなどなかったドラコは戸惑い、慌てて口を塞ぎました。急に身体を起こされて、またひどい吐き気が込み上げてきたのです。父親の肩に吐いたら後でどんなお仕置きが待ち受けているか。そして何よりも、今まさに告白しようとしていた女の子を前にみっともない姿は見せられないという思いが、ドラコをギリギリのところで支えていました。
そんな限界状態を知ってか知らずか、ルシウスは息子の背骨が折れんばかりに抱きしめ、揺すぶります。
「こんなにも小さな身体であの衝撃に耐えたなんて……バラバラに砕け散らなかったのが不思議なほどだ!」
「まあ、何をやっているんです! 怪我人を殺すつもりですか!?」
ドラコにとっては天の助けでした。マダム・ポンフリーが見舞いの生徒を何人かを突き飛ばし、風のように駆けてきたのです。
「さあさ、そんなに騒ぎ立てないで! あなたの子供の怪我など、どうってことありません。すぐによくなりますとも」
無理やり引き離される前に、ルシウスは自分からドラコを離しました。まるで、もう用はないとばかりの素っ気なさで。
「やあ、麗しのマダム。相変わらずお美しい」
甘く切ない女性を口説き落とす時のような声でした。ハーマイオニーを始め、その場に居合わせた少女達はあまりの優美さに思わず吐息を洩らしました。
「あら、お上手」
けれど、マダム・ポンフリーはうら若い乙女ではなく、ルシウスより遥かに年上の女性です。何を突然この男は……と探るようにルシウスを睨みつけています。ルシウスは気にせず続けます。
「息子の一大事につい取り乱してしまった。許してほしい……そして、せめて今日一日だけでもこの子につきそう許可をいただきたい」
皆が…――特に女の子達はなんて子供思いのいい父親なんだろうと胸を打たれ、うんうんと頷きました。が、マダム・ポンフリーの答えはにべもありません。
「何を仰っているのですか。つきそいなど必要ありませんよ。すぐにだって退院できるほどなんですから」
「マダム! ドラコはマルフォイ家の跡取り……いいえ、その前に私と妻のかけがえのない宝なのです。万が一のことも考えていただかねば」
「ほっほっほっ。いいじゃろう」
皆、辺りを見回しました。ダンブルドア校長の声です。ホグワーツでは【姿現わし】できないはずなのに、何故かドラコのベッドの下から這いでてきたダンブルドアは子供のように目を輝かせていました。
「のう、ポピー。わしが許可するぞ。ルシウスには今夜いっぱい医務室につきそう権利がある」
「ああ、話の分かるお方だ。ダンブルドア。感謝する」
マダム・ポンフリーが「んまあっ」と抗議とも呆れたともつかない声を上げましたが、そんなこともおかまいなし。ずずいと進みでたルシウスはダンブルドアの手を取り、握手を交わしました。
女の子の一人が感激のあまりに手を叩くと、皆がつられて、拍手喝采の嵐が巻き起こりました。
「あなたのお父さんって、とっても素敵な人ね」
頬を少し赤らめながらハーマイオニーに言われ、ドラコは心苦しさに息が詰まりそうになりました。父親が校長と手を取り合った時、こっそり賄賂を渡していたことに気づいていたのです。
医務室の入り口に目を移し、ドラコは目を伏せました。小さな赤毛の女の子がルシウスに微笑みかけていたのです。父親が学校に泊まりこんで【ナニ】をするつもりなのか、ドラコはよ~く分かった気がしました。