Don’t stop your step

 監督生の顔ぶれはあまり変わらない。よほどのことをしでかさない限りは五年生時に任命された者が六、七年生時も監督生を務めることになっているからだ。新たに監督生になった五年生八名は少し緊張顔で、何をしていいものかと目配せし合っている。
 簡単に挨拶をし、顔合わせをすませると、学年と寮ごとにそれぞれ車内を見回る時間帯を取り決めて解散した。監督生用のコンパートメントは立派すぎて息が詰まるのか、そのほとんどが後方車両にいってしまった。一月ぶりに友人に会うためだろう。腰を落ち着けているのはパーシー・ウィーズリーくらいなものだった。気難しい顔のまま新聞を読みふける彼の身体は硬い。全身で話しかけるなと主張しているかのようだった。
「パーシー」
「ああ、ペニー」
 しかし、半開きのドアに身体を隠すようにして覗き込んでいる恋人を見ると、パーシーは新聞をたたんで横に置いた。
 ペネロピーはサッと中に入り、後ろ手にドアをピシャリと閉めた。それまで意識していなかった機関車の音が、少しだけ大きくなったようだった。隣りに座ると、ペネロピーは小首をかしげるようにして彼を見た。艶やかな巻き毛が一房垂れ落ちる。
「なんだか顔色が冴えないわね。夏風邪でもひいたの?」
「いいや、別に」
 ペネロピーは一層顔を近づけてきた。睫毛の本数を数えられるほど間近に寄られてジロジロと見つめられると、どうにもやりにくいとパーシーは眼鏡に手をやった。四角い眼鏡は、少しもかけ直す必要などなかったのに。
「疲れてるんだよ、少しね。ほら、手紙にも書いただろ? 家族でエジプトにいってきたんだ。向こうはなんたって暑くて暑くて……こっちの夏とは全然違うよ。汗が滝みたいに流れてきてね、それに」
 遮るようにペネロピーが立ち上がった。
「話したくない気分なら友達のところに戻るわ。ごめんね、邪魔して。一言、言いたかっただけなの。首席、おめでとうって。さっきは他の子達もいて言えなかったから」
 さばさばと言い、コンパートメントをでていこうとする彼女の手を思わずつかんだパーシーは顔を赤らめた。
「ごめん、話したくないわけじゃなくて。考えごとをしてたんだ」
「分かってるわ」
 優しく微笑まれ、パーシーは手を放した。
 一つ年下だというのに、ペネロピーは何処か母親のように頼れる雰囲気がある。お節介焼きでも取り立てて面倒見がいいわけでもない。自分勝手で、飄々としたところもある。なのに、どんな話をしても理解してくれる気がするのだ。自分と百八十度違う意見を聞いたとしても、きっと否定したり馬鹿にしたりはしない。そんな考えもあるのだと認めてくれる安心感があった。
 彼女になら、どんなことでも打ち明けられる。
「ペニー……聞いてほしいことがあるんだけど、いいかな?」
 おずおずと口を開くと、彼女は白い歯を見せた。
「もちろんよ」
「ジニーのことなんだ」
「ジニーがどうかしたの?」
 気遣わしげに言うペネロピーに、パーシーは声を落とした。
「ジニー、あのことを覚えていないんだ。あの事件のこと……僕がダンブルドアに頼んで、忘れさせてもらったんだ。全部」
「そう。その方がいいわ。あんなこと……忘れてしまった方がいいわ」
「……君は怒らないの?」
「なんで怒らなきゃいけないの? 私が怒る理由がある?」
 前の学期に起きた、あの恐ろしい事件――【例のあの人】にさらわれたジニーは、その時のショックで暗闇を極度に恐れるようになった。子供のように手を繋がねば眠れず、ようやく寝入ったと思えばひどくうなされ、自分の悲鳴で飛び起きることもあった。周りが心配すればするだけ迷惑をかけまいと思うのか、昼間は取ってつけたように明るく振る舞う。そんなジニーを見ていられず、渋るダンブルドアに記憶を消してくれるよう頼み込んだのは、事件が解決してから一週間後だった。
 ジニーは完全に事件のことを忘れてしまったわけではなく、今でもまだ夢に見るようだったが、その断片的な記憶が実際に起こったことだとは思っていないようだった。
 人の記憶を勝手にいじるなんて、と弟達は不服そうだったが、ぐんぐん元気になっていくジニーを見れば、やはり無理を承知でダンブルドアに頼んでよかったとパーシーは思う。けれど、ジニーは被害者でもあれば、加害者でもあったのだ。マグル出身者を、そう、ペネロピーを襲ったのもジニーだ。被害者達は事件のことを忘れて、一人楽になったジニーのことを怒らないだろうか?
 当惑顔のパーシーに、ペネロピーは続ける。
「あのね、パーシー。【あの人】が失墜した後、服従の魔法で操られていた人達が罰せられた? 自分の意思じゃなかったんだもの。それは、その人達のせいじゃない。ジニーは悪くないわ」
「でも、ジニーがちゃんとパパの言いつけを守って、怪しい魔法アイテムと関わらなければ、事件は起こらなかったわけだし」
「あの時こうしていれば、ああしていれば……って言うのは簡単だけど、過去には戻れない。【次】が起こらないようにすればいいのよ、パーシー。ほら!」
「う、わ! なんだよ……」
 サッと眼鏡を取り上げたペネロピーの指が眉間に触れ、くりくりと円を描く。なんだか分からないままに撥ね退けると、ペネロピーがクスクスと笑った。真剣に聞いていると思っていた彼女にだしぬけにこんなことをされて、パーシーは不機嫌になった。ここ最近、ペネロピーや被害者達に申し訳なくて、ずっと思い悩んでいたというのに、そんな心根をからかわれた気がした。
「眼鏡返してくれないかな。それがないと見えないんだ」
「そんな眉間にシワばっかり寄せて! そんな顔ばっかり見せてたら、ジニーが不審がるわよ」
「僕はいつもこんな顔だよ」
 ムッとしながら言うと、ペネロピーは「はいはい」と軽く流した。そして、すっと立ち上がると、パーシーの両肩に手を置いて額と額を合わせる。冷たいペネロピーの肌を感じると、パーシーの顔は一気に上気した。
「あなたはいい人ね、パーシー。皆に誠実であろうと心を配って……でもね、人間は完全じゃないのよ? 正しいことをしたと思っても後で間違いだったと気づいたり、その反対だってたくさん。正しい選択だけをし続けることなんて不可能なんだから。だから、間違ったかもしれないなんてくよくよ悩むよりも、次に失敗しないようにするんだって思う方がいいと思うの」
 ジニーの兄だからと気を遣って言っているのではない。責めるでも慰めるだけでもなく、さらりとそう語ったペネロピーにパーシーは驚かされた。自分なら、こうはいかない。自分が彼女だったら恩着せがましい態度を取るか、腹を立てて冷淡になるかのどちらかだ。
 顔を離すと、ペネロピーはあっと腕に目を移した。腕時計を見て、血相を変える。
「いけない……そろそろいくわ、私。最初の見回りの時間だから。じゃね、パーシー」
「僕もいくよ」
「首席はここで皆の報告待ちじゃないの?」
 首席は監督生の監督だ。少し自慢したがりのところがあるパーシーは、もちろん首席の特権を惜しみなく使うと思っていたのだろう。ペネロピーは不思議そうに彼を見た。
「いいんだ! つきあうよ」
「そう? ありがと」
 さっさとコンパートメントをでた彼女に並ぶと、パーシーは手を取った。あら、とペネロピーが悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「いいの? 双子のやんちゃ坊主達に見つかったら、死ぬほどからかわれるわよ?」
「もう、すでに見つかってるからね」
 溜め息を吐いて、グイとペネロピーを引き寄せる。パーシーは困ったように目を伏せ、あー……と消え入るような声をだした。
「……ありがとう、ペニー」
「パーシー、ここはキスの一つでもするところだと思うわ」
 耳まで赤くして、パーシーは何かもごもごとつぶやいた。クスリと笑ったペネロピーがつまさき立ちをすると、ぎこちなく背をかがめて唇を這わせる。
「その……じゃ、いこうか」
風に飛んでいきそうな頼りない声で、パーシーは促した。

(2006/04/26)