(ここ、何処……?)
気づけばジニーは暗闇の中で横たわっていた。何も見えないし聴こえない。身体の周りには青い霞のような光が漂っていて、自分の手足だけはハッキリと見える。でも、何故か地面はちっとも見えない。
起き上がろうとした時に違和感に気づく。床の感覚が全くない。重みを感じることなく、ふわりと身体の向きが入れ替わる。ギョッとして両手をグイッと下に伸ばし、辺りをまさぐった。何も触れない。
「なっ、何これ……? なんなの!?」
必死に床を手探りしているうちに前のめりになり、またクルッと身体が反転した。上下の感覚もない――ジニーは耐え切れず、悲鳴を上げた。だが、それは暗闇に吸い込まれるようにかき消え、再び静寂が返ってくる。
ジニーは恐怖に震えながら両肩を抱いた。ありがたいことに、自分の身体の感触だけはある。
心細さに涙がでてきた。しゃくりあげながら、何故自分がこんなところにいるのか必死で考える。
あの時…――捨てたはずの日記帳をハリーが持っていたのに驚いて取り戻しにいった時、リドルのゴーストがでてきた。彼に杖を向けて魔法を発したはず……だが、そこから先は覚えていない。
「あたし……あたし、死んじゃったの……?」
そうすると、ここは天国なのか。思っていたのと違って、咲き乱れる花もなく、天使の吹くラッパの音も何も聞こえない、死そのものの冷たく静かな世界が広がっている。亡くなった親戚が出迎えてくれることもなく、ただ一人こんなところに取り残されている。
いつまでこんなところにいればいいんだろう。全てを呑み込むような、この暗い空間に。もしかしたら、いつまでも?
「助けて……お兄ちゃん、助けて……」
寂しさと不安にすすり泣いていると、何かが聞こえた。あまりにも小さく空耳かと思ったが、涙をグッと我慢し、耳を澄ましてみる。
《聞こえるかい、ジニー》
今度はちゃんと聞こえた。
「聞こえる、聞こえるわ!」
何処から聞こえてくるのだろう。キョロキョロ辺りを見回しながらも大急ぎで答えた。即答しなければ、この声の主は気づかずに通りすぎてしまうかもしれない。
誰でも、なんでもよかった。この虚無の世界から救いだしてくれるのなら。
《ああ、よかった。無事成功したみたいだね》
語りかける口調は優しく、ジニーの不安は少し和らいだ。それにしても…――この低く柔らかな声は聞いたことがあるような気がした。
「あなた、だれ? 何処にいるの? 真っ暗で何も見えないの。ここは何処なの……?」
《君がいるのは日記の中》
「日記……?」
淡々とした答えに当惑して訊き返す。日記という響きに何か不吉なものを感じながら。
《僕は君の魂をもらって実体化した。でも、君という存在を消すのは嫌だったんだよ……だから、君の【記憶】を僕の日記に閉じ込めて保存することにした》
「あっ…、あなた……リ、リドル?」
こわばった声に、リドルがさもおかしそうにクックッと笑った。
《冷たいね。前は名前で呼んでくれてたっていうのに》
「ハリーは? ハリーをどうしたの!?」
《自分のことよりも彼の心配かい? 相変わらず優しい子だね》
「答えて……! ハリーをどうしたのよ!」
悪い予感に胸が押しつぶされそうだったけれど、訊かずにはいられなかった。
対峙した時の記憶の終わりに、リドルは自らをヴォルデモート卿と名乗った。リドルが【あの人】の記憶ならば必ずハリーを狙うはずだ。
でも、そんな。
ハリーが負けるはずはない。だって、ハリーは赤ん坊の時にだって【あの人】を退けた。だから、そんなことあるはずない…――
《殺したよ。不死鳥の力を借りても再生できないように、バジリスクに肉を喰らわせ、骨という骨を噛み砕かせた。もう彼はどんな魔法を使ったって甦ることはない》
素っ気ない言葉が耳を打った瞬間、ジニーは心の糸が切れる音を聞いた。
死んだ。ハリーが死んだ。
同じ言葉が何度も頭の中をグルグル回る。胸が熱くなり、喉の奥から何かが込み上げてきて苦しかった。息さえ満足に吸えない数秒の後、開いたままの口からつぶやきが洩れた。
「そん……な……」
自分の声とは思えないほど、かすれた声だった。
ジニーの沈黙をどう受け取ったのだろう。リドルの声に元の温かみが戻った。
《君の骨は大事に取ってあるから心配ないよ、ジニー。骨と魂さえあれば死者を甦らせるのは簡単だからね。
君を甦らせる時にはハリー・ポッターのような【穢れた血】の魂は使わない。きれいな君に相応しい、純血の者の魂を選んであげる。僕が魔法界に君臨するまでは我慢していてもらうけど、寂しくないように話しかけてあげるから》
「……らない、いらない! あなたみたいなひどい人と話なんかしたくない! ひどい……ハリーはなんにも悪くないのに……殺すなら、あたしを殺せばよかったんだわ!」
人を殺しておきながら悪びれた様子がない。それも、死者を侮蔑するだなんて!
これまでジニーはリドルのことを優しい人だと思っていた。騙されていたのだと知った後も、全てが嘘だとは思えないほど彼に惹かれていた。ハリーへの思いはどちらかというと憧れに近く、友人間での他愛ないおしゃべりの中で好きな相手の話がでると、顔も知らないリドルのことを咄嗟に思い浮かべるほどに。
だが、やはり違った。彼はやはり【あの人】なのだ。他人を利用し、自分に劣る者を蔑む冷酷さ。
薄っぺらな上辺に心奪われた結果がこれ。ハリーを殺したのが自分の愚かさだと思うと一層、ジニーは今まで好きだった分だけ彼が厭わしかった。消したいくらいに誰かを憎んだのは、はじめてだった。
自分に向けられた怒りに気づかないのか、それとも気づかないふりをしているのか、リドルの口ぶりは変わらなかった。
《やれやれ、勝気な姫君だ。でもね、ジニー……今はどれだけ拒絶したって、君は必ず僕を求めるようになるよ》
「そんなこと、ないわ! あなたなんか大っ嫌い……口も利きたくない……!」
《今は気が立っているから、そう言うのも無理もないか。君が落ち着くまで待つことにするよ。時間はいくらでもあるからね》
その声を最後に、リドルの声はかき消えた。押し寄せるような奇妙な静けさの中に、すすり泣くジニーの声だけが響いていた。