一寸先の光

「似顔絵描いてほしいなんて一体どういう風の吹き回し?」
 パレットに絵の具を取りだしながら、リルムがにんまりと笑ってみせた。少しだけ不ぞろいの歯が愛らしい。ソファにゆったりともたれかかったエドガーは、足を組み直して微笑を浮かべる。
「そろそろ私もちゃんとした肖像画がほしいと思ってね。父上の死から今まで、ずっとあくせくと働いていて、そんな暇などなかった……忠実に、男前に描いてくれよ?」
「髪の毛一本違わず描いてあげるよ」
 キャンバスに向き合うと同時に、リルムの表情が引き締まる。幼い少女のあどけなさが消え失せ、張り詰めた空気が彼女の周りを取り巻く様はいつ見ても不思議なものだと、エドガーは思う。モンスターが飛びかかってくる、まばたき一つする刹那に、スケッチを終わらせることのできる腕の動きと筆の正確さ。まさに天から下された才能だ。彼女の身に流れる稀有な魔導士の血が、それを助け、僅かの間とはいえ神々にのみ許された創造の力を――かりそめとはいえ、モノに命を宿らせることができる。
 こんな幼い少女を過酷な旅に引きずり込んでいいものか。最初こそ、そう思っていたエドガーだったが、彼女は強かった。それはその身に秘めた力だけではない。わがままいっぱいに振る舞っているが、口先だけだ。とかく沈みがちな仲間を元気づけるために、わざと軽口を叩いている節がある。
 ストラゴスが見つかる前まで、彼女はいつも夕刻になると誰ともなく集まり賑わった談話室を抜けだし、甲板にいっていた。デスゲイズの例もある。最速の飛行艇に乗っているからといって敵に襲われないという保証はない。後を追って抜けだしたエドガーは、手すりから身を乗りだしたリルムを見つけた。強風に煽られ、外に投げだされたら一巻の終わりだ。呆れながら近づいていったエドガーは足をとめた。夕陽に照らされたその横顔が今にも泣きだしそうで、声をかけそびれてしまったのだ。
 つらくないわけがない。唯一の肉親を失ったばかりではない。人間同士の諍い、取っ組み合いの喧嘩、果ては明日の食料のためと人殺しまでが横行している、秩序が失われつつある世界には目を背けたくなることが多々ある。自分の半分も生きていないこの少女のつらさは、きっとそれ以上だろう。エドガーはそんな簡単なことにすら気づかず、小生意気なリルムは世界がどうなっても変わらないと思っていた自分が恥ずかしくなった。
「私達の旅も、あと少しだな」
「ん、そうだね。あとは瓦礫の塔にいるケフカをブッ殺すだけ!」
 集中していても、ちゃんと聞こえているらしい。威勢のいい言葉にエドガーは苦笑した。
「怖くないのか、リルム?」
「怖いのはアンタじゃないの、王さま?」
 ひたすら手を動かしながら、リルムは目も上げない。
「これはまいったな、質問に質問で返されるとは思わなかった。
 私は一国の王として……そして、一時といえど帝国に加担していた責任がある。ケフカの暴走をとめるために命を散らしてもかまわないとは思っている。けど、怖くないと答えれば嘘になる。何せ相手は世界を引き裂くような力の持ち主なのだからね」
 三闘神の力を手中にしたケフカはもはやただの魔導士ではありえない。指一本動かすだけで、大陸一つ消すこともできる。滅びかけたこの世界がまだかろうじて存在しているのも、ケフカの気まぐれにすぎない。幻獣の力を借りているとはいえ、ただの人間に立ち向かえる相手なのか。
 押し黙ったエドガーに、リルムは素っ気なく言う。
「だろうと思ったよ。今のアンタの表情に恐怖がにじみでてるもん」
「臆病だと罵るかい?」
 不意に立ち上がったリルムは不機嫌な表情を隠そうとはしなかった。筆を持ったまま、
「なんで? 怖がってようが、なんだろうが、アンタはその恐怖を克服しようとしてるんでしょ? 偉いと思っても、馬鹿にしたりしないよ。見損なわないで」
 エドガーは急に全ての音が遠のいたように感じた。うるさい飛行艇のエンジン音すらも消え、リルムの声だけが頭に残った。何故――エドガーの口は、独りでに言葉を紡いでいた。
「リルム」
「ん?」
「私が死んだら、この肖像画はフィガロ城に届けてほしい。歴代の……父上の肖像画の隣りに飾ってほしいんだ。
 君の描く絵は魂の器だ。私が死ねば、私の魂は迷わずフィガロに向かうだろう。そして、その絵を媒介にして現世に留まり、フィガロ国の行く末を見届けたい。それが例えケフカの裁きの光に滅ぼされる様だったとしても」
「ヤだよ。あたしの絵は完成して引き渡した時に代金をもらうことになってるんだよ? アンタが死んじゃあ、誰も代金払ってくれないじゃん。アンタは生きてフィガロに戻るんだ。そして、あたしにたんまりと代金を払う。仲間だからってマケてやらないよ。分かったね」
 例え、ケフカの元に辿り着いても無駄なのではないか。ただ自分の死期を早めるだけに過ぎないのではないか。エドガーは生還することを少しも考えていなかった自分に気がついた。気づくと、何故だかおかしくなってきた。
「子供なのにしっかりとしてる! なあ、リルム」
「なんだよ、王さま?」
 突然笑いだしたせいだろうか。リルムは怪訝な目を向ける。世界が崩壊する前の海の色。大きな紺碧の目が、ゆっくりとまたたいている。
「二十歳になったら、お嫁にこないかい?」
「はあっ!?」
「君がきてくれるなら、私の隣りの玉座は空けておくよ」
 リルムは呆れたようにエドガーを見て、椅子にどっかと腰を下ろした。
「……アンタってホント節操ないな。いいよ、いくあてがなかったらいってあげる」
 声はいつもと変わりない。ただキャンバスの陰に隠れる前に、リルムの耳が赤くなっていたのをエドガーは見逃さなかった。

(2007/04/08)