I remember…

 世界が引き裂かれてから、一年半が経った。緑豊かだった土地が砂漠に変わり、美しかった湿原は毒素を発する沼に。暗雲立ち込めた空の下では作物もロクに育たない。食料不足で悲鳴をあげている人々に追い討ちをかけるように、大地の割れ目から古の魔物達が復活して、日々の生活を脅かす。
 明日どうなるか分からない不安が、善良だった人々を次第に黒く染め上げていったのか。
 眼前に転がった子供の亡骸を抱き上げたティナは、労わるようにそっと傷口を撫でさすった。まだ幼い少女だった。背中から心臓を一突きにされており、あたたかな血がぼたぼたと音を立てて地に落ちる。
 カッと見開いたままの目を閉じさせてやると、目尻から涙が流れた。あまりにも突然の死だったので、涙も流せなかったに違いない。
「……かわいそうに」
 まだ、こんなにも小さかったのに。もっと生きたかっただろうに。何故こんな小さな子が殺されなければならなかったんだろう。それも魔物ではなく、同じ人間に。
 そう遠くないところに横たわった母親の亡骸は、全身を滅多刺しにされていた。子供を守ろうとその身を盾にして庇ったのだろう。が、その死すらも結局は無駄になってしまった。
 ティナは少女を母親の側まで運んでいき、隣りに横たえてやった。それ以上にしてやれることがないのが悔しかった。優れた魔法の使い手であっても、完全にこの世から解き放たれた魂を元に戻してやることはできない。
 ティナは立ち上がり、遠くにそびえ立つ塔を見つめた。世界中の瓦礫を積み上げて創られたという、天まで届く巨大な塔を。
 ジャリ、と背後で足を踏みしめる気配を感じた。けれど、ティナは振り返らなかった。
 最後の決戦を間近に控えた時、皆が思い思いのところに【帰郷】した。世界を揺るがす力を手に入れたケフカと戦えば、命の保障はない。口にこそ出さなかったが、皆それぞれに自分と馴染みのある人達、場所に別れを告げるために一時パーティーを解散したのだった。
 ティナはしかしモブリズに帰らなかった。今、モブリズの【家族】に会ってしまえば、そのまま逃げ出したくなるかもしれない。そんな不安が彼女をこの地に留めた。帰る家はファルコン号だけだと言ったセッツァーと、長年根なし草として生きてきたロック、同じく帰るところのないシャドウと四人で瓦礫の塔の近くに逗留していた。
 彼女に備わる幻獣としての本能が察知したのだろうか。先ほど、外で異様な気配を感じたティナは外へ飛びだし、この惨劇を目の当たりにした。犯人達は幻獣になったティナの姿を見るなり、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
「ティナ」
 ロックの声だ。心配して見にきたのだろうか。耳には届いてきたが、身体が凍りついて動かない。
「ティナ、帰ろう。このままここにいたって仕方ない」
肩に手をかけられ、向き直される。
 ティナの血まみれの腕を見て、ロックは目元を歪めた。
「帰ろう、ティナ」
同じ言葉を繰り返す。先よりも強い口調で。
 ティナは首を振り、一歩後ろに退いて彼の腕から逃れる。
「ねえ、ロック。どうして人は人を殺すのかしらね……それもこんな時代に。どうして助け合っていかないの? モブリズの子供達のように寄り添って生きていけないの?」
「ティナ……」
「よく分からなくなってきたの。ケフカは正しいのかしら……人間は汚い生き物だから。だから、滅ぼされなきゃいけないの?」
「人間は弱い生き物だから、時に間違いを犯すこともある。つらさから逃れるために、簡単に悪の道に引きずりこまれることもある。けど、やり直すことだってできるんだ。後々になって振り返り、後悔するかもしれない。更生のチャンスがあるんだ。それを奪う権利は誰にもない」
 ティナは悲しみと虚脱に彩られた顔を、僅かに歪めた。笑おうとしたのだ。
「ロックが羨ましい。自分の信念を持ってて。簡単に揺らいでしまう私とは、大違い」
「そんなこと、ないさ。俺だっていつも迷ってる。この道を進んでいっていいのか、間違ってないのかってな。でも、先に進まなきゃ、間違っていたことにすら気づかない。自分の進んできた道がまっすぐだったか、曲がっていたかなんて、ずっと先まで進んで振り返らなきゃ分からないもんさ。だから、とりあえず前に進むようにしているだけなんだ。
 ティナも自分の一番したいことを考えればいい。何がしたい? モブリズの子供達を守りたいって言ってただろ? そのために、しなきゃならないことは?」
「そうね。この世界を平和にすること……そうだった」
 ティナの翠玉の瞳から涙がこぼれ落ちた。ロックは自分の服が汚れるのも気にせずに、彼女を抱きしめる。
「ロック、ありがとう……」
 ティナは自分の冷えかけた心が急速にあたたまっていくのを感じた。それはモブリズの【家族】に想う気持ちと同じ。ティナは操りの輪で壊されかけた子供の頃の記憶の中に、ロックの姿を見つけた。優しく、力強く……そう、ロックは父親とよく似ていたのだと思いだした。

(2006/03/18)