番い鳥

 ダリオの訃報が届いてから数日間、リデルは自室にこもっていた。何もする気になれず、ただベッドの上に転がっていた。最初のうちこそ涙がとまらなかったが、やがて枯れ果て、目の奥に熱い痛みを留めるだけになった。目を瞑れば、ダリオの死に顔が浮かんできて眠れない。亡鬼に引き裂かれた無残な死体が、その目で見たかのように心に鮮明に焼きついている。
(……ダリオ……)
 リデルはゆっくりと寝返りをしながら、部屋の隅にある純白の衣装を見た。段々になった裾広がりのドレスは大陸から型と布を取り寄せ、一針一針心を込めて縫ったものだった。結婚後彼にとって自慢の妻となれるよう、メイド達から裁縫を習い、誰の手も借りずにたった一人で仕上げたものだったのに。
 リデルは身体を起こした。それまで何もする気になれなかったのに、急にそのドレスをどうにかしなくてはという思いに駆られた。彼のためのドレスだ。彼がいなくなった今、そのドレスは必要ない。そして自分自身も…――
 どうしてもっと早くそうしなかったのか、リデル自身不思議でならなかった。ドレスを手に取り、袖を通す。絹の柔らかく、そして冷たい感触が心地よかった。食うや食わずだったせいでぴったりとしているはずの身ごろが少し余ってしまったが、リデルは気にしなかった。ヴェールの陰で、微笑みを浮かべる。ウェディング・ドレスが喪服になってしまうなんて、思いもしなかった。なんの愁いもなく生きてきた自分が、あまりにも幼く、おかしく思えた。
 部屋をでて、屋上への階段を駆け上がった。なつかしい潮風が優しく頬を撫でた。ちょうど夕暮れ時で、沈みかけた夕日が海全体を赤く染め上げていた。血のような色だ、とリデルは思う。
 テラスの先端にいくと、リデルは大きく身を乗りだした。遥か下には、誘いかけるように揺れる並みの合間、上に向かって突きだした岩がいくつか見える。
(ダリオ……待ってて。すぐにいくから。私も……一緒に連れていってくれるでしょ……?)
 リデルの身体が大きく傾いた、その時だった。背後から大きな手がむんずと伸びてきて、リデルの腹を押さえた。リデルは驚き、がむしゃらに腕を振り回して、逃れようとした。だが、戒めは外せない。
「お嬢さま、駄目だ…!!」
「離してッ……、離して、カーシュ!」
 二人の拮抗は簡単に崩れた。石床に投げだされたリデルは幼なじみを仰ぎ見た。長い髪を振り乱したまま、金切り声を上げる。
「何故邪魔をしたの! 死なせてよ、あの人のいない世界で生きてたってしょうがないわ…!!」
「お嬢さま……」
「そうよ……何故あなただけが帰ってきたの。何故あなたが帰ってきて、彼が帰ってこないの…!? 約束したのに……無事に帰ってくるって……そう、言った……のに」
 最後の方は嗚咽に呑まれて言葉にならなかった。床に突っ伏したまま慟哭するリデルは、幼なじみが何度も「赦してください」と言うのを聞いた。しかしリデルには答えられなかった。ひどいことを言ったとは思ったけれど、口を開けばさらにカーシュを罵ってしまいそうで怖かった。
 外敵から雛を守る親鳥のように辛抱強く抱き寄せるカーシュの腕の中で、リデルはいつしか眠りに落ちていった。