ジュウジュウと肉から滴り落ちる油の音と香ばしい匂いが辺りに満ちている。すっかり日が落ちてしまったが、きらめく星々はよく見えない。篝火から舞い上がる灰色の煙が邪魔しているせいだ。
揺らめく炎に木々の影が妖しく踊る。グレンはエールを片手に庭をそぞろ歩いた。
何処もかしこもどんちゃん騒ぎ。竜騎士団の連中も、頭たる四天王がくつろいでいるからと警護の者までがこっそり酒を飲んでいる始末だった。行方不明になった大佐達が帰還したのだから、多少羽目を外すのも無理はない。
グレンは辺りをぐるりと一周してきて舌を巻いた。子供、老人、ガルドーブの民や亜人、動物、なんと分類していいか分からないモンスターのようなモノまで肉を頬張り、酒を飲み交わしているのだ。昔ながらの友人同士のように肩を並べ、話を弾ませている。
ありえない光景だった。いがみ合っていた者達が一つところに集まり、一つのことを喜ぶなど。
【彼】がいなければ、こんなものは見られなかったに違いない。ドッと笑う輪の中心にいる少年に目を移し、グレンは頭をかいた。
セルジュと出会ったのは蛇骨大佐を追って古龍の砦に向かおうとしていた時だった。ボートがなく途方に暮れていた時に手を差し伸べてくれた。
セルジュの名を聞いた時は驚いたし、少々疑いもした。彼が十年前に死んだ少年の亡霊だということはカーシュから聞かされていたし、その上、その数日前に蛇骨館に侵入した賊でもあると噂されていたからだ。
ただ、彼は亡霊にしてはあまりに生気に満ちあふれていたし、自分よりも他人を優先するようなお人好しだった。最初の数日こそ寝首をかかれやしないかと用心していたが、そのうち疑うのも馬鹿馬鹿しくなってきた。
偽善的ではない生来の優しさには知らず警戒心を解かされる。きっと皆同じようなことを感じているのだろう。だからこそ種族の垣根を越えて、こうして同じ時を共有しているのだ。
(ホント不思議な奴だよな、あいつって)
今もマルチェラを膝に抱えて、笑いながら何か話している。
子供ながらに気位が高く、他人を寄せつけないマルチェラを手懐けることができる者はそういない。実の兄妹のように接してきたグレンにさえも、最近では距離を置くようになっていたのだから。子供の頃は何処にいく時も小さな手足を駆使して必死についてきたというのに。
【お兄ちゃん】と呼ばれなくなったのはいつ頃からだったろう。
「グレーン!」
甲高い声に目を向けると、マルチェラが手を振りながら駆けてくるのが見えた。三歩分の距離を置いて立ちどまると、にこっと笑ってみせる。
「なんだか久しぶりだね。たった数ヶ月だったはずなのに、もっと離れてたみたい」
「そうだな。こんなに離れてたの、はじめてだもんな」
「寂しかった?」
探るような上目遣いに、グレンは肩を竦めた。
「馬鹿言え。うるさいのがいなくなってせいせいしてた。寂しかったのはお前の方じゃないか?」
「んーんー、全然。セル兄ちゃんと仲よしになったからね」
グレンは思わず目を剥いた。
「お前さ、いつからあいつのこと兄ちゃんって呼んでるんだ?」
わだかまりが澱のように心に沈んでいく。生き別れの兄と再会した時も、決して【お兄ちゃん】とは呼ばなかったというのに。
目に見えて不機嫌になったグレンを見上げ、マルチェラはさもおかしそうにクスクスと笑う。
「仲直りしてからかな。グレン、もしかして妬いてる?」
「はっ、馬鹿言うなよ。なんで俺が妬かなきゃならないんだよ……」
なんとか笑いながら言うグレンだったが、その声は弱々しい。実のところ、グレンは悔しかったのだ。いつも自分にまとわりついていた【妹】を取られてしまったように思えて。そんな風に思うこと自体が恥ずかしく、自分の心の中でさえ認めはしなかったが。
マルチェラはそんな様子に満足げな表情を浮かべた。
「グレン、ふくれないでよ。だって、【お兄ちゃん】だったら結婚できないでしょ?」
「……え?」
グレンは咄嗟に意味が分からず、マルチェラを見つめた。阿呆のように、ぱっくりと口を開けたまま。よくよく見ると、マルチェラの真っ白い面はほんのりと赤く染まっていた。夜闇を照らす炎がそう見せかけているだけなのか。それとも……。
「じゃね。また明日」
言うなり身を翻し、喧騒の中へと舞い戻っていく。
グレンは無意識のうちに手に持っていた杯を唇に近づけ、一気に傾けた。舌の上に苦味が広がり、ゴホゴホとむせる。へたへたとその場に座り込むと、
「……嘘、だろ」
紅潮した顔を両手で覆い隠し、一言つぶやいた。
2005.1.3