RING

 鋭い金属音と照り返す白い光。真昼の高い空から打ちつける陽の光の中、二人の少年が打ち合っている。
 一人はもう【少年】の域を抜けでようとしている、がっしりとした体躯で、重たげな斧を片手で軽々しく振るっている。対するのはまだ幼さを残した少年。自分の身体と同じくらいの長さの剣にふらつきながらも、視線だけは相手をしっかととらえている。キッと結んだ口に眉間に寄ったシワが利かん気の強さを物語っていた。
「あ~あ、あっちーな……おい、まだやんのかぁ?」
 大きい方の少年がそう気だるそうにつぶやくと、ピリリと眉を引き攣らせる。
「やる! 今日こそ勝ってやるんだからなッ」
 相手が汗を拭おうと片手を上げたその一瞬をついて、かけ声と共に地を蹴った。疲れを振り切るような勢いに剣先がきれいな弧を描き、思わず勝利の笑みを浮かべる。確かにとらえたと思ったのだ。だが…――
 濁った音と同時に背中から八方向に痛みが走る。素早くガードした斧が剣を押し上げ、その勢いで飛ばされてしまったのだった。起き上がって反撃をしようとおもった時には遅かった。
「チェック・メイトだな、グレン」
 首筋に刃を押し当てられて、少年――グレンは頬を染める。
「ちぇっ、あとちょっとで勝てると思ったのに!」
「アホ抜かせ。このカーシュ様に勝とうなんざ十年早ェよ」
「ふん、兄貴にいっつも負けてるくせに! 今に見てろよ、俺だってすぐに追い抜かしてやるからな!!」
 武器を収めて、手を貸そうとするカーシュ。グレンは威勢よくその手を叩いて、自分の力で立ち上がる。余裕ぶってニヤリと笑みを洩らすカーシュを睨みつけ、背中や尻についた砂を払い落とした。
 十代で七つ年が離れているというのは大きい。頭も力もてんで比較にならない。普通に考えれば勝とうと思うこと自体がおかしい。
 だが、世間一般の考え方は関係ない。グレンは一度でいいからカーシュに勝ちたかった。嫌な顔一つせずに稽古につきあってくれる兄のダリオになら素直に負けを認められたが、カーシュは違う。グレンを相手にする時はわざと隙をつくったり、今日のように不真面目な態度をとるのだ。まるで天と地が引っくり返ろうと、こんな子供に負けるはずがないとでもいうように。
 まるで相手にされていないという事実がたまらなく悔しかった。
 肩で息をつくと、右手を押さえる。今日はかれこれ三時間は剣を握ったままだ。真剣をこんな長時間振るい続けたのは初めてで、慣れない重みに筋肉が腫れてきているのが分かった。だが、まだ左手で支えれば剣を向けることはできるはずだ。
「カーシュ兄、もう一度……勝負だ!」
「いつまでやるんだよ、こんな炎天下……ダリオとやれよ、ダリオと」
「兄貴はじいと出かけたって言っただろ。逃げるのか?」
「ああ!? 聞き捨てならねえな、グレン」
 睨みあうことしばし。武器を構えて互いを見やる。だが、沈黙で保たれた均衡はすぐに破られた。クスクスと甲高い笑いによって。
「今日も元気ね、二人とも」
 長いスカートに腰まである髪をなびかせて、しずしずと歩いてきたのは十三、四の少女。
「リデル姉ちゃん!」
「お嬢さま!」
 二人同時に叫び、駆け寄る。清楚な青い服に身を包んだ令嬢の姿にカーシュは少しだけ頬を染めたが、グレンの視線は彼女の腕に惹きつけられた。白い布に包まれた何か。
「リデル姉ちゃん、蛇骨まんじゅうでも持ってきてくれたのかい?」
「食いしん坊ね、グレンったら! 違うわよ、これは赤ちゃん」
 ほら、と包みをそっと開くと、赤ん坊の顔が見えた。頭を覆っているふわふわの金髪に、ハチミツ入りのミルクのように少しだけあたたかな色あいをした白い肌。今はよく眠っているのか小さな目も口もしっかりと閉じられていた。
 はじめて間近に見た赤ん坊にグレンは目を輝かせた。小さな顔や手足が作り物のようで可愛らしい。
「お嬢さま……この子は?」
「リデル姉ちゃんの子供!?」
言いよどむカーシュより先に口にした瞬間、ガツンと頭を殴られた。グレンは目を白黒させた。失礼なことを言うな、と真っ赤になって言うカーシュの言葉が、なんのことだかさっぱり分からなかったのだ。
 リデルはそんな様子にまたクスクスと笑う。
「この子はマルチェラ。ルチアナさんが……あ、うちのお抱えの研究者なんだけど。その人が連れてきた赤ちゃんよ。しばらく蛇骨館で預かるんですって。とっても可愛いでしょ?」
「と、いうことは……この子は、例の?」
 眉を顰めるカーシュに首を振り、
「カーシュ。そんな目で見ないであげて」
「しかし」
 ただの赤ん坊を見る目ではない。不吉な象徴を見るように見下ろすカーシュに溜め息をつき、話を逸らそうとした。その時。
「あら、目を覚ましたわ」
赤ん坊らしく泣きもせずに、ゆっくりと目を開く赤ん坊。
 パッチリと開いた目は海の深みを思わせる碧。不機嫌そうに唇を引き結んでいるが、寝ている時以上に可愛らしかった。グレンは興奮に頬を染めて叫ぶ。
「すっごい可愛い! ね、リデル姉ちゃん、俺にも抱かせてよっ」
「グレン、オモチャじゃないのよ。振り回したり、落としたりしちゃ駄目。剣を置いて、両手をだしなさい」
「うんッ」
 汗ばんだ手を服で拭うと、両手を差しだす。渡された重みに嬉しくなって、にっこりと笑う。
「すっげえ……小っちゃい手」
 赤ん坊は自分を抱いた相手が変わったことが分かったのか、何か不思議なものでも見るようにゆっくりと目をまたたかせる。
 グレンは指を赤ん坊の手に近づけた。小作りの手がどうやって動くのか気になったせいでもある。すると赤ん坊はキュッと握りしめた。
「リデル姉ちゃん! 握手されたよ、俺!」
「グレンったら。赤ちゃんは何かを握りしめるクセがあるのよ」
 口元を綻ばせて言うリデルに首を振る。
「違うよ、握手だよ。俺のこと、分かるんだよっ。
 ね、リデル姉ちゃん。この子、マルチェラって言ったっけ? 俺、今日からマルチェラの兄ちゃんになる!」
「おいおい、グレン。血が繋がってなきゃ、兄妹にはなんないだろ?」
「いいじゃん。カーシュ兄だって俺と兄弟みたいなもんだし」
 やれやれ、と肩を竦めるカーシュにリデルは微笑む。
 そう、幼馴染みとして育ったダリオ、カーシュ、グレン、そして自分は血こそ繋がっていないが兄弟みたいなものだ。例えこの先何があったところで、離れ離れになることは決してないだろう。きっと…――新たに加わった妹、マルチェラを抱いて笑っているグレンに目を移し、リデルはそんなことを思った。

2004.2.19