ざわめきとご馳走の匂いの充満した大広間から抜けだすと、ジニーはホッと息をついた。別に気分が悪いわけでも、寮に忘れ物を取りにいくわけではない。ただこれ以上は耐えられなかったのだ。皆が賑やかな雰囲気に染まっている中、自分一人取り残されているのがやるせない。
 四年生になってから友達が一気に増えて、交友関係が広がった。前のように兄達の影に隠れることもなくなって、双子やロン・ウィーズリーの妹と呼ばれることもなくなった。自信もついて、子供の頃からこうなりたいと思ってきた自分に近づいてきた。それは単純に嬉しいと思う。けれど、時々何もかもがどうでもよく感じられる。大勢の人に囲まれていると息が詰まるようだった。
(だって、今のあたしを見てもらいたかった人はもう何処にもいない。あたしを取り巻く人がどれだけいたって、その人だけは決していないんだもの……)
 階段を上がっていきながら、ジニーの口を突いてでたのは物悲しいメロディーだった。最近流行っている歌手の新曲で、まだ何度かしか聴いていないのに妙に心に残っていた。死別した人を想う歌詞のせいだろうか。

 ジニーには秘密の友達がいた。古びた日記帳に残された、五十年前のある少年の【記憶】。日記に何か書き込むと、トム・リドルと名乗った彼はいつも返事をくれた。その彼が、魔法界で知らぬ者はいない邪悪な魔法使いヴォルデモート卿の【過去】だったと知った頃には、ジニーは彼に魅せられ、心も魂も奪われていた。ハリー・ポッターの助けがなければ、死んでいたに違いない。
 リドルと再会したのは、その数ヶ月後。ハリーとの闘いでなんとか生き延びた【記憶】は日記帳からジニーへと媒体を移し、二年近く生活を共にした。誰かのために命を懸けることの意味を知りたい、と。命の危険を冒してハリーを助けようとしたジニーに、リドルは興味を持ったのだった。
 なんといっても自分を殺しかけた相手。そして、多くの人の命を奪ったヴォルデモート卿の【過去】ということもあって、ジニーは彼への親しみを取り戻しても怯えは消えなかった。彼を信じたいという気持ちの陰で、いつ裏切られるか分からないといった思いも確かにあった。
 それでも、リドルとの距離は以前よりも近づいていった。それはリドルの態度が変わったせいかもしれない。つまらない子供だと思っていたジニーを認めたことで、彼の優しさは演技から自然なものになっていった。
 そうして、いつの間にかリドルのことが好きになっていた。以前から友達としては好きだったけれど、それ以上に一緒にいたい、話をしたい、触れ合いたいと思うようになった。ハリーに抱いていた憧れに似た恋心よりも強い気持ちをリドルに向けるようになり、三年生に上がる頃には二人の関係は友達から恋人になっていた。生身の人間ではないことに負い目を感じてか、リドルがキス以上のことをしようとしなかったことだけが唯一の不満だった。ただ好きという気持ちがあれば、相手が何者だってかまわないとジニーは思っていた。
 いつか消えるかもしれない、と時折洩らしていたリドル。その言葉がある日突然本当になってしまった。別れを告げることなく、リドルが消えてしまった。この世の何処からもいなくなってしまった。【記憶】の彼の死だった。そして【記憶】の彼はゴーストになることもできない。

「ジニー?」
 ハッと振り返ると、階下からハリーが見上げていた。低くて、ハリーの声だとは思わなかった。いや、驚いたのは彼がいつの間にか声変わりしていたことにではない。その声があまりにリドルと似ていたためだ。
「何してるの? そんなところで、一人で。マイケル・コーナーが君を探して、グリフィンドールの席まできてたよ」
「ああ、そうなの……ちょっと、今は……もう少ししたら戻るわ、ありがとう」
「喧嘩でもしたの?」
 ハリーは踊り場まで上がってくると、隣りに立った。
「喧嘩じゃないの。ただ、どうしてかな。今日はマイケルの顔を見たくない。一人になりたくて逃げてきたの」
「そうか。ごめん、邪魔しちゃって。僕、すぐにいくから」
「あっ、ううん、いいの、ハリー! その……もしよかったら、もう少しいてくれる?」
 ジニーは顔が赤くなるのを感じた。彼氏持ちの女の子の言うセリフじゃない。ハリーはどう思っただろう。
 ハリーは少し驚いたようだったけれど、頷き、階段に腰かけた。
 背を向けたまま、ハリーは黙っていた。ジニーは引きとめた手前、何か言わなくてはならないと思った。なのに言葉が浮かんでこない。緊張しているのだろうか。昔、まだハリーに熱を上げていた頃のようだった。
「あの、ハリー……」
「何?」
 柔らかで深みのあるテノールに、また胸が弾んだ。リドルそっくりだ。目を閉じれば、リドルが戻ってきてくれたのだと思うかもしれない。
 もっと聞きたい。そう思うと、するりと言葉がでてきた。
「ハリー、どうしてパーティーを出てきたの? これから寮ごとの出し物だってあるでしょ? フレッドとジョージが気合を込めて、何かつくってたけど」
「僕もジニーと同じかな。一人になりたかったんだ」
「ハリーが一人になりたいなんて珍しいわね。何か悩みごと?」
「うん。まあ、そんなところ」
 ハリーが肩越しに振り返った。微笑んでいるけれど、何処か寂しげだった。これも、リドルと似ている。
「当ててみよっか、ハリーの悩み。恋の悩み? チョウのこと?」
「いや……」
 ポッと赤くなった頬を見て、ジニーはからかいたくなった。
「こんなパーティーの時こそ勇気をだして話をしなきゃ! 一人で抜けだしてくるくらいなら、チョウも連れてこなきゃ」
「あのさ、ジニー……悩みって、そのことじゃなくて……。
 今日、僕の両親の命日なんだ。ハロウィーンは死者達が甦る日ってされてるから、もしかしたら……父さんと母さんがホグワーツにきてないかなって思ったんだ」
「あっ……」
 ジニーはなんと言ったらいいか、分からなかった。ハリーの両親は十五年前のこの日、殺されていたのだ。それも、トム・リドルの【未来】の手にかかって。
 罪悪感がひしひしと込み上げてくる。ハリーをリドルと重ねてしまったことを。ハリーが知ったらどう思うだろう。親の仇に面影を重ねられて。
 ハリーは乾いた笑いを洩らした。
「ゴーストでもいいから、僕は父さんと母さんに会いたいよ。セドリックの……あの時、助けにきてくれた二人に、もう一度会いたい」
「ハリー……」
「軽蔑するかな、ジニー……こんな女々しいことばかり言って。でも、ハロウィーンの日になると、いつも思うんだ。父さんと母さんのこと」
 ジニーはハリーの横に座ると、先ほどの歌を口ずさんだ。大事な人を失くしたのだったら、そう思って当然だ。もう逢えないのだと思っても、願わずにはいられない。自分の気持ちは言葉ではそのまま伝わらないと思った。
 ハリーの手が肩に回された。抱きしめるというよりも、あたたかさを求めているような仕種に、ジニーは身を委ねた。冷えた身体に、ハリーの体温が心地よかった。

(2005/10/31)