留まる理由 - 4/10

(何っ……何が起こったの!?)
 何処からともなく流れ込んだひやりとした空気が頬をかすめていく。ヒッと身を竦めた拍子に思わず放したカートが滑っていき、壁にぶつかって鈍い音を立てる。
 ジニーは焦って両手を前に突きだし、宙に彷徨わせた。足元が全く見えず、よろよろと二三歩分ずれると、ようやく冷たい壁に手が触れてホッと息を吐いた。
(どうしよう、これから……)
杖があれば明かりを灯せるけれど、あいにくとカートの中に詰めてしまっていた。さっき引っくり返した時に奥に突っ込んだ気がするし、第一こんな暗い中で探せるはずがない。
 車内が次第にざわつきだす。皆、自分と同じく、何が起こったのか分からなくて戸惑っているんだろう。
 とにかく誰かを探してみようと、壁伝いにジニーは歩きだした。邪魔なカートはこの際放っておくことにした。こんな暗い通路で一人でいるのは心細かったし、どうして列車が止まってしまったのかも気になる。事故にでもあったんだろうか。
 車両を一つ二つと進むうちに目が慣れてきたのか、暗闇が徐々に薄くなっていく。
 ふっと目の前に黒い影が映った…――
「いたっ!」
「なっ……何!?」
そう思った瞬間、額に何かがぶつかって呻き声を上げる。
「……その声、ジニー?」
「ハーマイオニー? ロンもいるの?」
「いるわ。とにかく入って」
 ズキズキする頭を撫でながら訊き返すと、腕をグイとつかまれる。コンパートメントの中に招き入れられると、
「ジニー、なんだってここにきたんだよ?」
「そんなにあたしが邪魔? 座るところがなかったから戻ってきたの、悪い?」
 頭ごなしにそんなことを言うロンが説教くさくて、憎らしい。まるで第二のパーシーだわ。ジニーはつんと唇を尖らせて言い返した。辛辣な口調に少しは気づいたのか、まあ座れよとボソボソ言って席を勧める。
 ロンの他にハリーとハーマイオニー、何故かここにきていたネビルでコンパートメントの中は狭苦しかった。視界が利かない分、皆の不安げな息遣いが聞こえてきて、一人の時よりも重苦しい気分になる。
 静かに――! 有無を言わせない声で誰かが言うと、ぼうっと闇の中に炎が浮かび上がった。それに映しだされたのは、ジニーが見たことのない人だった。ボロボロのローブを着た、貧相な男の人。
「動かないで」
 誰、と問う間もなく、その人はじりじりと警戒しながらドアに向かっていく。
 冷たい空気が流れ込む――ドアはきっちり閉めたはずなのに。皆の視線が集中したドアは威圧するようにゆっくりと開いていく。
 全身をぞくぞくと寒気が駆け巡った。それと同時にひどい吐き気。耳鳴りがして、ジニーの手が冷たい床に触れていた。いつの間にか、シートからズルズルと落ちて膝をついていたのだ。まぶたが重くなり、箒でダイビングした直後のようにぐらぐらする頭に甲高い笑い声と、冷たいささやきが響いてくる。

《バジリスクで皆を襲ったのは君だよ、ジニー》
《甘い言葉に騙されたのは君の責任》
《皆が死ぬのは、君のせいなんだよ》

 ジニーはぶんぶん頭を振って、耳を押さえた。なんだろう、胸が焼けるように熱くて、息苦しい。言葉が堰を切ったように流れ込んでくる。
(この声は何――いや、やだ、やめてやめてっ…!!)
 ギュッと目を瞑って、頭をかきむしる。ザワザワと鳥肌が立ってくる。もう嫌だ。気持ち悪い。聞きたくない、何も…――

《……好きだよ。僕も君が好き……》

 しっかりと閉じたまぶたの裏に、すらりと背の高い男の人の姿が浮かび上がる。穏やかな双眸を、寂しげに歪めて。あたしよりもずっと年上なのに今にも涙が零れ落ちそうに切なくて、あたしの方が泣きたくなった。
 誰よりも信じていた。大事な友達だった、彼。
「……トム」
 波が引くようにスッと吐き気が治まり、目の前が真っ白になっていた。
 どうして忘れていたんだろう。こんなにも大事なことを。
 【秘密の部屋】を開けたのは、あたし。皆を襲ったのは、あたし。そして、それをさせたのは…――
「ハリーっ!!」
 まだぼうっとする頭に悲鳴じみたロン達の声が入ってきたけれど、ジニーにはそちらを見る余裕もなかった。何かを感じるには、あまりにも疲れすぎていた。いつの間にか、頬を涙が伝っていた。