留まる理由 - 3/10

 浮かない気分のまま汽車に乗り込むと、ジニーは空いているコンパートメントを探した。沈んだ時だからこそ誰かと一緒にいたかったのに、体よくロンに追い払われてしまったのだ。ハリーとハーマイオニーと三人だけで話がしたいからと、ジニーのことになど目もくれない。
(いつだって邪魔者扱いするんだから!)
 恨みがましい目で睨んでやったけど、ロンは全然気づかない。ハリーはすまなさそうにチラッと見たというのに、鈍感。兄の後ろ姿に舌を突きだし、くるっと背を向ける。
 重いカートをあちこちにぶつけそうになりながら、前の車両に歩いていった。何処もかしこも満員で、なかなか空いているところが見つからない。やっと見つけたと思ったら柄の悪そうなスリザリンの上級生や、怪しくぶつぶつとつぶやいている人の隣りだったりと、慌ててそこを離れる羽目になった。
 汽車がガクンと大きく揺れ、動きだす。ジニーはほとほと困ってしまった。ホグワーツに着くまで、ずっと立っているのはきつい。
(そうだ、パーシーのところなら)
 監督生用のコンパートメントなら席も空いてるだろうし、事情を話せばパーシーでも許してくれるに違いない。
 鈍い振動によろめきながら歩いていき、ようやく監督生用のコンパートメントが見えたと思ったところで、車内が一際大きく揺れた。
「きゃあっ」
 壁に手をつく間もなく、カートを巻き添えに派手な音を立ててジニーは転んだ。きちきちに詰めた教科書やら羽ペンやらが床に流れだす。
「いたぁ…、もう……最悪だわ」
 ローブを払うと、急いで散乱した物を拾いだす。揺れる車内でかがむのはなかなか難しかったけれど、壁についた鉄棒を片手になんとか拾い終えた。
 ふぅっ、と息を吐いて歩きかけたその時、
「おや、見覚えのある髪が目についたと思えば、君か。ウィーズリーのおチビちゃん?」
背後からねっとりとした嫌らしい声がかかる。
 ジニーは振り返り、眉を顰めて身構えた。
 イヤミな気取り屋、ドラコ・マルフォイだった。顔にべったりと嗜虐的な笑みを張りつかせ、見ているだけでムカムカしてくる。
「今日は君一人でおでかけかい? 迷子になってるんじゃないだろうねえ。あの鬱陶しいくらいウジャウジャいる兄貴達はどうした? また馬鹿げたことをやってるのか」
「お兄ちゃん達のことを馬鹿にしないで。放っといてよ、マルフォイ!」
 言い捨て、踵を返すと、マルフォイはいきなり肩をつかんできた。
「ちょっと、なんなの!?」
 振り払おうとした手もつかまれ、壁に押さえつけられる。
 手首の痛みに顔をしかめると、マルフォイはニヤリと笑った。今この瞬間が楽しくてたまらないといった表情だ。
「おやおや、そんな口を利いていいのかい? 僕は君の秘密を握ってるっていうのに」
「秘密? あたしの?」
 一体マルフォイは何を言ってるんだろう。当惑して訊き返すジニーを見て、彼は僅かに力を緩めた。
「とぼけたって無駄さ。父上から聞いたんだ。事件の真相をね」
「……事件の、真相?」
「ダンブルドアが口止めさせたんだろ。【秘密の部屋】の事件の犯人」
(――…事件の犯人)
 マルフォイが何を言いたいのか分からなかった。犯人は【スリザリンの継承者】で、あたしは【秘密の部屋】にさらわれた。ただそれだけじゃないか。
 そういえば、とジニーの中にふと疑問が湧き上がってくる。どうして自分は【秘密の部屋】に連れていかれたんだろう。事件に関わる【何か】を見たのか、聞いたのか。さらわれたということは結果として覚えているけれど、そこに至るまでの過程が思いだせない。すっぽりと記憶が抜け落ちてしまっている。
 そこまで考えると、急に頭が痛くなる。視界がグラグラして、吐き気がする。あの夢を見た時のように。
 弾かれたようにマルフォイが手を放し、ジニーは壁にもたれかかったまま、ズルズルと座り込んだ。一呼吸置いて、誰かの叫び声が響く。
「そこで何をしている!」
 座り込んだまま顔を上げると、ローブの裾を蹴り上げて、パーシーとペネロピー・クリアウォーターが駆けつけてきた。
「ジニーから離れろ!!」
 パーシーは耳まで真っ赤にし、ワナワナと手を震わせている。ジニーの肩に手を置き、大丈夫かと声をかけると、今にも飛びかかっていきそうな目でマルフォイを睨みつける。
「妹に何をしてたんだ、マルフォイ! 事と次第によっては、ただではすまさないぞ!!」
「何もしてやしないさ。ちょっと話してただけだ」
興を殺がれたのか、彼は肩を竦めた。
「お熱い兄妹愛で結構なことだ。間抜けな妹を持つと大変だな、ウィーズリー。せっかく就いた監督生の地位をなくさないよう、ポケットに入れて持ち歩いたらどうだ?」
「……貴様」
 捨てゼリフを吐いて歩み去るマルフォイの後ろ姿に、怒り心頭パーシーが杖を向けたが、ペネロピーが制止する。
「気持ちは分かるけど、駄目。車内での喧嘩はご法度よ」
「くっ…――マルフォイの奴」
「そんなことより……ジニー、大丈夫? 顔色が悪いわ。具合でも悪い? それとも彼に何かされた?」
 ペネロピーの冷たい手が額に触れた。ひんやりとした柔らかな感触。
《馬鹿だね、騙されていたことも知らないで》
 ジニーは微かな悲鳴を上げて、その手を払った。ペネロピーも、パーシーも、そして何よりジニー自身が驚いた。
「あっ…――」
口元を押さえて、後退る。
「……ごめん、なさい。大丈夫。なんでもないの」
「そう? なら、いいけど」
 よろめきながら立ち上がると、ペネロピーは首をかしげる。
「ジニー、本当に何もされてないのか? あいつが何か言ったんじゃないか? 物音が聞こえて僕達が見にきたからよかったけど、なんで一人でうろついていたんだ。
 フレッドとジョージは? ロン達とは一緒じゃなかったのか?」
「あ、あの……友達を探してたの。でも、見つからなくって。ロン達のところに戻るわ、あたし。心配かけて本当にごめんなさい」
 何か言いかける二人を無視して、ジニーはその場を離れた。
 今はペネロピーの目がまともに見れなさそうだった。手を振り払ったのとは別に、もっと深い罪悪感が心の底にくすぶっていた。それがなんなのかは思いだせなかったけれど。
 カートを押す手が弱まる。ジニーは足をとめた。
(秘密の部屋、真相、あたしがさらわれた理由……)
 全ては曖昧な記憶の中に隠されている気がする。失ったピースをはめれば、何もかもが一つに繋がるだろうか。さっきの様子では、マルフォイは何か知っている。でも、それは…――
 ふっと汽車の速度が緩まる気配がした。続いて汽車が制止するぎこちない音と、ガクンと大きな振動。おかしい、まだまだホグワーツに着くはずがないのに。
 その時、唐突に明かりが消え、車内が暗闇の中に落とされた。