リドジニギャグ詰め合わせ - 6/7

俺様はバジリスクである

 俺様はバジリスクである。名前はまだない。まだ卵から孵ったばかりの時分、俺様の創造主であるサラザールという魔法使いが、忙しなく俺様の元を去ってしまったためだ。「いつかお前の元に、私の血を引く者が現れるだろう。その者を私と思って仕え、無念を晴らしておくれ」――そう言い置いて。産み捨てならぬ、つくり捨てというやつだ。
 赤ん坊の俺様は当然寂しくて泣きわめいていたわけだが、何分蛇の目から涙は流れぬ。そして泣いたところで、棲みかであるこの【秘密の部屋】には俺様を慰める存在など影も形もなかった。
 二、三日もすれば俺様は泣くことに飽いた。状況が改善されぬのであれば、泣くことになんら意味はない。それに泣くという行為自体なかなかに体力を使うものだからだ。俺様はひもじさをどうにかしようと、下水管をうろつくネズミを捕まえては食した。
 嗚呼、なんと耐えがたい屈辱であることか! 俺様の種族は【毒蛇の王】と称えられるほど高名であるというに、汚水まみれの小動物で餓えを凌がねばならぬとは。

     *****

 どれほど長きに渡ってそうしていたことであろうか。孤独な生活にもすっかりと慣れ親しんでより、遥かに年月が流れたようには思う。
 ある時、俺様の前に人間の若造が現れた。トム・リドルと名乗ったそやつは俺様の創造主の子孫であると語った。確かに。記憶の奥底に眠っていたサラザールの面影を、そやつの中に認めた。
 しかし、姿かたちはともかくとして、トムとサラザールの性質は極端にかけ離れているように思えた。彼が始終洩らす【モエ】やら【ハァハァ】やら【メガネッコ】とは一体なんのことを指しているのであろう。永い年月が人語を相当ねじくれさせたのであろうか。俺様にはトムが何を言っているのかサッパリ通じないことが多々あった。
 だが、それはそれとして俺様はトムのことがすぐに好きになった。牢獄のようだった棲みかの封印を解き、広い城内を散歩させてくれたのだ。
 外の空気は新鮮だった。胃の奥までさわやかな空気を吸い込むと、心が晴れ晴れとした。太陽なるものが拝めたら言うことはなかったのだが、残念ながらそればかりは許してもらえなかった。俺様の存在が皆に知られては困るとトムは言った。

 さて、あれはトムと出会ってから数ヶ月がすぎた頃であった。トムに呼びだされて【秘密の部屋】を這いでると、いつもならば俺様の棲みか同様ジメジメとしている陰気くさい部屋の、ずらりと並んだ扉の一つが閉じていることに気がついた。そして何やらその中から押し殺したような泣き声が洩れていたのだ。
「グッド・タイミング!」
 パチンと指を鳴らしたトムの顔は興奮に輝いていた。何が何やら分からぬ俺様を無視して、トムは杖を掲げて魔法を唱えた。すると、大きな破裂音と共に扉が開き、甲高い悲鳴が洩れた。
「きゃあああッ!! チカン、痴漢だわっ! どうして男子が女子トイレにいるのよおっ!?」
 何やら白い物がトムの顔に当たって跳ね返ると、ゴロゴロと床を転がっていった。どうやら巻紙であるらしい。なんの用途であるのかは皆目見当がつかなかったが。けれど、痛みもなんのその。トムは快活な調子で言う。
「やあ、マートル。相変わらず眼鏡とみつあみがよく似合うねえ。しいて言うなら、君の髪が赤毛だったら最高だったんだけどなあ。赤毛のアンみたいで。あと、ニキビがもう少し目立たなければ」
「トム・リドル…! また女子トイレに忍びこんでぇ……しかも鍵まで開けるなんて! この変態ッ!!」
「ああ、毎度のことながら君のアニメ声で罵られると心底うっとりするよ……まったく君は僕の心のオアシスだ!」
 一体誰と話しているのだろう。トムの陰になり、俺様の位置からでは見えなかった。そろそろと這いずっていき、扉の中を覗き込んだ。
 丸々と太った、なかなかうまそうな人間の小娘だった。小娘は俺様を見るなり、目を丸くしたかと思うと、ヒッと息を詰まらせて倒れ…――しまった。俺様の一族は特殊な眼力を備えている。一目見ただけで、その者の命を奪う能力だ。一人、いや、一匹暮らしが長かったため、うっかり忘れてしまっていた。
「ああっ! 僕の萌えっ子が…!!」
 トムは悲痛な声を上げ、小娘に駆け寄り、胸をグッグッと力を込めて押しだした。心臓マッサージとかいうヤツであろうか……もしやトムの想い人であったのかもしれぬ。俺様はトムと、心ならずも死に至らしめてしまった小娘に心の中で詫びた。
「マートルは意外に胸がなかったのか……チッ、つまんね」
 トムは割とすぐに諦め、小娘を床に横たえると、すぐさま俺様を振り返る素振りを見せた。俺様はトムを見ないよう、慌てて目を瞑った。まったく、命知らずにもほどがある。たった今、罪もない小娘が命を奪われたばかりだというに。
「事件を起こすのはもう少し後でと思っていたんだが、仕方ない。今、ダンブルドアにセクハラ……じゃない、殺しを知られるのは非常にまずい。バジリスク。散々待たせてしまって悪いが、物はついでだ。あと数十年待っててくれないか」
 俺様はトムの言うことがよく呑み込めなかった。戸惑う俺様に、トムは笑いながら続けた。
「僕はさあ、まだまだ学生生活をエンジョイしていたいんだよ。この年でアズカバンに放り込まれるなんざ、まっぴらだ。僕の分身が、いつか【秘密の部屋】をノックするまで待てって、そう言ってるんだ。分かったか?」

     *****

 ……こうして、俺様はまた一匹【秘密の部屋】に押し込められることとなった。束の間の自由を味わっただけに、行動範囲が狭まる棲みかの暮らしはもはや我慢ならなかった。けれど、トムがご丁寧にも再び封印を施していってくれたため、パイプを伝って外界に這いでることはもはやかなわなかった。
 なんと口惜しいことか。俺様の人生……いや、蛇生はなんなのであろう。蛇に人権がないのは承知しているが、あまりにもむごい仕打ちではないだろうか。無論、トムが悪いのではない。俺様の責任ではあるのだが、それにしても…――嗚呼、この世に神も仏もキリストもないものか。
 成長した俺様は体長15mほどの大蛇となっていた。こうなると、食料不足が何より身にこたえた。もはやネズミなどでは満ち足りぬ。俺様は仕方なく、脱皮した自らの残骸を屠ることにした。
 うまいとは到底言えぬ、ひからび、硬くなった己のウロコを虚しさと共に噛みしめて五十年。トムが現れた時と同様、ある日唐突にその小娘が俺様の元にやってきた。
「久しぶり、バジリスク。元気だった?」
 軽やかに言うその小娘に、俺様は驚きを隠せなかった。何故なら、俺様の目を直視しているというのに死なぬのだ。誰だ、と問うと。
「やだなあ、僕だよ。トム・リドルだ。ま、厳密に言うと、その【記憶】だけどね」
 俺様は一瞬アルツハイマー症候群にかかってしまったのかと本気で案じた。トムは紛れもなく男であったはずであるが……人間の雌雄は判別しづらいからして、俺様が間違っていたのかもしれぬ。が、トムだと名乗った小娘は、
「この子に取り憑いているんだよ。眠りに就いたこの子の身体を勝手に動かしているだけだから、目は開いてるけどこの子が実際に見ているわけじゃない。したがって、君の目を見ても死ぬ道理はないのさ」
そう説明した。
 なるほど。うまい手を考えたものだ。それならば、俺様がついうっかりトムを殺してしまうこともない。
 この【記憶】のトムの指示に従い、俺様は次々と【穢れた血】を襲っていった。ようやくサラザールの仇を討つことができるのだと思うと、俺様は嬉しかった。そしてトムは小娘の魂を奪い取っていくことで、日々強さを増していった。小娘の姿から抜けだしても、ヒトの姿を保てるほどに。
「ああ、早く完全な実体化ができないかな……待ち遠しいよ」
そうたびたびこぼしておった。トムが【記憶】から抜けだせば、世のマグル共と【穢れた血】を一掃できる。サラザールの無念も晴らせることであろう。俺様も待ち遠しかった。

 そして、ついにその日がきた。【秘密の部屋】にやってきたトムは、おもむろに小娘の身体を離れた。まだ青白い光に包まれているものの、試すように小娘の顔に触れたトムの手はすり抜けはしなかった。トムは歓喜のあまりか高笑いした。
「ようやくこの日がきた…! ジニー、ようやく君に触れられる……愛を確かめあうことができるよ」
 頭の中をクエスチョン・マークが乱舞した。愛を確かめあう? トムはまた何か暗号を言っているのであろうか。
「昔は巨乳な眼鏡っ子以外は興味なかったんだけど、君と出会って僕は真の萌えに目覚めたよ。つるぺた万歳! 横たわったら胸がなくなるっていうのがたまらないね!」
 青白い手足を力なく床に投げだしたままの小娘同様、俺様はなんの反応も返せなかった。人語とはまったくもって難解なものよ。「ぷにぷにした手触りもいいなあ」とこぼしながら、トムは何度も悦に入った声を上げた。

 さて。それからほどなくしてやってきた人間の小僧に、俺様は殺されることと相成った。小僧はトムに【ヘンシツシャ】とか叫んでいたのだが、それがなんなのかを深く考える間はなかった。小僧と戦い、その剣で脳髄まで一撃で刺し抜かれてしまったのだ。ああ、魔法使いの分際で戦士のように剣を使うとは。そして、なんたる小僧の怪力であることか。
 本来なら痛みを感じるいとまもなかったのだろうが、俺様の心には理解できなかったトムの言葉の数々が走馬灯よろしく浮かんでは消えていった。天の国でサラザールと再会した折には訊いてみることとしよう。【モエ】やら【ツルペタ】とはなんであるのか…――冷たい床に倒れ伏し、俺様の思考はそこで立ち消えた……。

(2005/01/22)