天の川 - 3/4

 部屋に戻るなり、ジニーはリドルの日記帳を引っ張りだした。
「なんでもかんでも騒ぎが起こればヴォルデモート卿の仕業よ。やんなっちゃう。今日のパーティーも中止ですって。楽しみにしてたのに……監督生の仕事もまた増えちゃうし」
 一通り話し終えてそう感想を述べたジニーに、リドルは不思議そうな目を向けた。
「君は僕を疑わないの? あの事件と同じ。一年生の無力な女の子が、正体不明の相手に襲われた……僕の【生存】を知らないマクゴナガルでさえ疑ってるんだろう? 犯人に僕を挙げないのが不思議なんだけど」
「トムが何か事を起こすはずなら、とっくのとうに起こしてるでしょ? それも一番身近にいるあたしを犠牲にして。違う?
 あたしね、今回の犯人は吸血鬼だと思うの。襲われたのはまだ一年生の女の子だし、血を抜かれていた……多分吸われたんだと思うの。吸血鬼が好きなのは、純潔の少女でしょ? つじつまがあうわ。吸血鬼なら煙に姿を変えて城内に忍び込むこともできるし、誰にも姿を見られずに事件を起こせると思うし……トム? どうしたの?」
 奇妙に歪んだ笑みを浮かべたまま、リドルは黙っている。一体どうしたんだろう? ジニーは間違い探しをするように、彼の顔をジッと見つめた。二人はしばし無言で見つめあっていたが、不意に視線を断ち切るようにリドルが目を逸らした。ジニーの心にまさか、と不安がよぎった。それをかき消すように、軽く言う。
「なあに? トムが何かしたの? ちっちゃい女の子を襲うのが趣味だから」
 リドルの肩がピクンと動いた。彼はジニーに向き直り、頷いた。
「そうだ。僕がやったんだ」
 聞き違いをしたに違いない。リドルの口調には後悔めいた響きはなかった。ただ淡々と、事実を告げているようだった。
 からかわれたのかもしれない、とジニーは思い直した。なんでも信じた子供の頃、リドルはサラリと言った言葉で何度もからかった。タチの悪い冗談…――きっと、そうだ。
「あと少しだった……このまま黙っていようかとも思った。でも、君を騙し続けることは、やっぱりできない。僕が耐えられない」
「……トム? あなたなの……あなたが、そんな。本当に……」
 冗談だよ。やっぱりひっかかりやすいんだね、ジニー。からかいがいがあるよ…――いつまで待っても、リドルの口からそんな言葉は洩れない。膝の上から日記帳が滑り落ちた。ジニーは目を見開き、リドルに詰めかけた。
「……どうして!? もうあんなひどいことはしないって約束したじゃない……! もう嘘はつかないって言ったくせに、こんな……」
「どうしても生きた人間の血が必要だった。それにもらったのは致死量には満たない分だけだよ……誰も死んじゃいないだろ?」
 リドルの答えは静かだった。ジニーはさらに続けようとした言葉を、ふと呑み込んだ。誰も? 犠牲者はランディ・クローパーだけではない? 医務室に通う生徒が増えたことを思いだした。具合が悪いから――貧血だったから? 生きた人間の血が必要だった?
「仕方なかったんだ」
 リドルのつぶやきに、ジニーは反射的に手を振り上げた。もちろん、ジニーの手は彼の頬の辺りをすり抜けてしまった。あまりの勢いにバランスを崩して、ジニーは床に倒れた。膝の痛みに、涙が込み上げてくる。
「……仕方ない? 誰かを襲って、血を得ることが仕方ないですって? あなたはやっぱりヴォルデモート卿とおんなじなんだわ! あたし、あなたは違うと……そう信じてたのに! 一緒に過ごした時間はなんだったの? あたしを騙してたの!? また利用しようとしてたのっ!?」
 ジニーはしゃがんで目線を合わせようとするリドルを拒むように、抱いた両膝に顔をうずめた。自分の殻に縮こまってしまいたかった。リドルに騙されていたと知ったのは二度目だ。けれど、今回はほんの子供だった昔よりもつらかった。騙されたことを承知の上で、もう一度彼を信頼し、好きになったのに。
「そうだよ。五年だ……出会った時は十一歳だった君が、もう僕と同じ年になってしまった。あと一年経てば、君は僕の年齢を越えてしまう……君は、僕を置いていってしまうんだ。いいや、もうとっくに置いていってたのかな……マイケル・コーナー、ディーン・トーマス、そしてハリー・ポッター」
 ジニーは彼が何を言おうとしているのか、おぼろげながら感じ取った。今まで二人の間でタブーになっていたことに、触れようとしている。肩が震えた。それは恐怖のためだろうか。
「思っても仕方のないことだった。もし僕が君と同じ世界にいたら。君と同じ時を重ねることができたら……。
 もがいてみたかった。君を抱きしめるための両手を、肉体を得たかった。魂のない肉体――ホムンクルスを製造して、君と同じ世界に行きたかったんだ。もう、君はポッターのものなのにね……いつか奪い返せる。まだ、間に合うかもしれないと思ってここまで粘っていたけれど。君を好きになった分、悲しませるようなことをしたくなくなったから……。
 君の幸せを祈ってる。それは偽らざる気持ちだ。でもね、ジニー。君と僕以外の誰かが一緒にいる姿を、これ以上直視できそうにないんだ」
 ジニーは顔を上げた。最後の言葉に、何か不吉なものを感じた。そして、彼を取り巻く青白い光が先ほどよりも薄れているのを見て、悲鳴を洩らした。
「ト、トム…、どうして……身体が、こんなに透けて……」
 もう背後の壁がはっきりと見えるほどに、透けている。ゴーストだって、こんなに弱々しくは見えない。
 ジニーの言葉で自分の身体の変化に気づいたのか、リドルが手をかざした。その指先から空気に溶けるように見えなくなっていくのを見て、リドルは立ち上がり、ジニーに背を向けた。
「きっと今日、この時が潮時だったんだ……君の恋人が、うまいことやってくれたらしい。僕はヴォルデモート卿の魂の、最後の一欠けらだ。この僕以外の魂は、全て破壊し尽くされてしまったんだ。もう僕は消える。ヴォルデモート卿の身体に戻る……一つになるんだ」
「トム、お願い……」
 何をお願いしたかったのか。口走った言葉の意味すら、ジニーには分からなかった。リドルは聞き返そうともせずに、大股でドアの方に向かっていった。もうすでに腕の辺りまで完全に見えなくなっている。
 ドアをすり抜けて出て行ったリドルを、ジニーは追った。けれど、階段の何処にもリドルの姿はなかった。ジニーはへたりとその場に座り込んだ。地に根が生えたように、立ち上がる気力が何処にも残っていない。

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(※)ホムンクルス
錬金術師、パラケルススが作り出したとされる人工生命体のこと。
人間の精液、ハーブ、馬糞を入れて製造。人間の生き血を必要とする。