相当慌てていたのでしょう。アーサーは汗だくだくな顔を拭おうともせずに素早くジニーの手をつかんで、ルシウスから引き離しました。ルシウスは舌打ちしながら元親友に厭味たっぷりに顎をしゃくりました。
「おやおやおや……誰かと思えば、アーサー・ウィーズリーではないか。これはまた随分と久しぶりなことだな」
「こうなるのが分かっていたから金輪際会いたくなかったんだよ、ルシウス……どうやら考えは改めなかったようだな、ナルシッサも苦労しているだろう」
「ははは、苦労をしているのはお前の方だろう。あんなに豊かだった頭がすっかりと親父くさくなっている」
アーサーは思わず頭に手をやりました。確かにルシウスと会わなかった十一年の間にふさふさとした髪は半分くらいになり、額は広くなっていました。アーサーはカッとなって怒鳴りました。
「一体誰のせいだと思ってやがる! お前のせいだ、お・ま・え・の! いつジニーが誘拐されるかと思うと気が気じゃなかったんだ!」
温和で知られたアーサー・ウィーズリーが唾を吐き散らし、こめかみに青筋を浮かべたところなんて誰も見たことがありませんでした。ハリーやハーマイオニーは呆気にとられていましたし、ロンとドラコは顔を見合わせました。あの二人なんかあるのか? 知るかよ、僕の方が訊きたいくらいだ。普段仲が悪いのも忘れて、二人はボソボソとささやき交わします。
ジニーは歯を剥きだしにして唸る父親の手を握りました。するとアーサーの表情はパッと変わりました。まさに百面相。先ほどまでの怒りは何処へやら、今にも垂れ落ちそうな甘ったるい笑顔を浮かべました。
「ジニー、どうした? 疲れたか、ん?」
「パパは、えーっと……ルシウスおじさんとお知り合いなの?」
アーサーはどう答えたものかとためらって口をつぐみました。
一方ルシウスはジニーの言葉にルシウスは思わず背を向け、両手で顔を覆い隠しました。ルシウスおじさん! なんと甘美な響きでしょうか。今度はパパと呼ばせたい。お膝だっこをしたり、肩を揉んでもらったり、一緒にお風呂に入ったり…――ルシウスの危ない妄想は果てなく広がっていきます。
ふうと息を吐いて顔を上げたルシウスを見て、ドラコは思わず涙をこぼしました。普段と同じ厳しい表情を装ってはいるのですが、鼻からドクドクと血が流れでていたのです。早く止血しなければ死ぬのではないかと思うほどの勢いです。
これか! 母上が言っていたのはこれだったのか!
今まで信じてきた立派な父親像がガラガラと音を立てて崩れ落ちていきます。さめざめと泣いていると、ハーマイオニーがお腹でも痛くなったのかと心配して慰めてくれました。役得だと喜びつつも、ドラコの心は晴れませんでした。
「大変っ……鼻血がでてるわ」
アーサーが止める間もなく、ジニーはルシウスのもとに駆け寄り、真っ白いハンカチを差しだし、どうぞ、と笑いかけます。ふっくらとした頬に生まれたえくぼは、泡立てた生クリームのへこみのように柔らかなもので、ルシウスの顔はますます赤らんでいきます。
まさに天使! 萌え!! 礼を言って受け取った途端、アーサーが声を張り上げました。
「ジニー、その男に近づくんじゃない! ええい、ルシウス、汚らわしい手で娘に触れるな!!」
「パパ、失礼よ」
ジニーは優しい顔に可能な限りきつく父親を睨みつけました。娘を溺愛しているアーサーはうっと声を詰まらせました。その隙を突いてルシウスは言いました。
「そうだ、アーサー。お前にジニーの父親である資格があるのか? お前のところは大家族だから仕方ないが、こんなお古ばかりをジニーに着せて……教科書だってボロボロじゃないか」
袋代わりの大鍋からジニーの教科書を二、三冊取りだすと、プレゼント用の日記帳をさりげなく間に挟みました。本当は面と向かって渡すつもりでしたが、アーサーがしゃしゃりでてきたからにはそうするわけにもいきません。ルシウスからのプレゼントと知ればゴミ箱に捨てられてしまうのがオチでしょう。
アーサーは赤い顔をさらに赤くしました。あんまり赤すぎて、むしろ黒に近いほどです。
「お前なんぞに父親の資格がどうとか言われたくはない! というか鼻血をきちんと拭いてから言え、そんなことは。さ、ジニー、きなさい。皆、帰るぞ」
人垣がサッと左右に分かれて道ができます。アーサーは恨みがましくルシウスを一瞥し、サッと身を翻しました。ハリー、ロン、ハーマイオニーが慌ててその後を追います。
ジニーはルシウスに軽く頭を下げました。
「また逢おう、ジニー。ホグワーツの生活が君にとって楽しいものであるように祈っているよ」
「ありがとう、ルシウスおじさん」
元気よく手を振って、ジニーも店をでていきました。
ルシウスは顎に手をやって少しの間考え込みました。
(ジニーに再会するという目的は果たしたし、密かにプレゼントをあげることもできた。初対面の印象はまあまあというところだろう。あんなに愛らしい笑みを見せてくれたのだから。
ああ、ジニーは今でも十分に愛らしいが、大人になれば輝かんばかりに美しくなるだろう。姿だけでなく、周りに困っている者があれば手を差し伸べる天使のような子だ。やはり私の目は間違っていなかった。
彼女を手に入れるにはホグワーツ理事の権限を最大限に駆使して会いにいかねばならないだろう。ホグワーツならば邪魔者もといアーサーはいない。ふふ、新学期が始まるのが楽しみだ!)
「父上……」
おずおずと近づいてきた息子の目が赤いことに気づき、ルシウスは眉を顰めました。
「おや、ドラコ。何故泣いているのだ、情けない」
あなたにだけは言われたくありません。ドラコはいまだ血の跡が残っている父親の鼻の下を見て、重々しい溜め息を吐きました。いつも憂鬱そうな母親の心情が、彼にもようやく理解することができました。
さて、こんなところでこの物語の幕引きにしたいと思います。ルシウスの野望が叶ったかどうか、それは神のみぞ知る…――というところですね、ちゃんちゃん。
(2004/05/16)