さてさて。火格子を無事に通り抜けてダイアゴン横丁に到着すると、マルフォイ一家は洋装店へと向かいました。ドラコのローブを仕立て直すためです。
寸法を測っていると、店の女店主マダム・マルキンがやってきてナルシッサと話しだしました。普段屋敷からあまり外出しないナルシッサには、たまの気分転換になったのでしょう。女同士の会話は弾み、なかなか終わりそうにありません。仕方なく、ドラコはルシウスと二人で先にいくことにしました。クィディッチ用具を買うためです。
ドラコは長い足でスタスタと歩いていく父親に置いていかれないよう、小走りになりました。
「父上、今日はどうかなさったのですか?」
ドラコは先ほど母親に言われたことを思い返しました。確かに今日のルシウスは何処かおかしい気がします。ソワソワと落ち着きなく周りを見回しては何かを探しているようなのです。
「いや、なんでもない。気にするな」
「はい。出過ぎたことを言ってしまってすみません」
素っ気ない返事におとなしく頷くと、ドラコはハッと前方に目を光らせました。ふわふわした栗色の髪の女の子――心密かに惹かれているハーマイオニー・グレンジャーの後ろ姿を見つけたからです。いつものように邪魔くさい彼女の取り巻き、ハリー・ポッターとロン・ウィーズリーが両隣りにいましたが、こんなところで会えるとは思わなかったドラコは嬉しくてなりませんでした。彼女達は何か楽しげに笑いあいながら書店へと入っていきます。
「父上! あの、よろしければ先に教科書を買いにいきたいのですが」
「ほう……箒よりも学業を優先するようになったとはな。いいだろう」
ルシウスは意外そうに目を見開きましたが、すぐに了承しました。ドラコは嬉しさのあまり父親を追い越して書店に駆け込みました。
中はひどく混雑していましたが、ドラコは気にせずハーマイオニーの姿を探しました。キョロキョロと辺りを見回し、ようやく見つけました。ハリー・ポッターとロン・ウィーズリー、他にもう一人知らない女の子が側にいました。その子の髪はロンと同じように燃えさかる炎のような色でしたし、きっと妹なのでしょう。女の子同士、何か楽しそうに話しています。ドラコは血色のよくない頬をピンクに染めてしばらく眺めていましたが、我に返ると大股に歩み寄ります。
「やあ、マグル出身の頭でっかちなグレンジャー。今日は君好みの本は見つかったかい? まったく、いつも分厚い本ばかり読んで筋肉でも鍛えるつもりなのか?」
「うるさいわね! 放っときなさいよ」
ドラコに気づいたハーマイオニーは笑顔を引っ込めてキッと睨みました。
意地っ張りなドラコには素直に気持ちを伝えることができず、いつもハーマイオニーに対して厭味を言ってしまいます。もちろん気を惹きたいあまりの可愛らしい悪口なのですが、彼女にはうまく伝わっていません。ハリーとロンもそんなこととは露知らず、親友を侮辱するドラコのことを嫌っていました。
「マルフォイ、あっちいけよ」
「そうだ。休日にまでお前の顔なんて見たくないっての」
ハリーとロンは露骨に嫌な顔をしてシッシッと手を払いながら、ハーマイオニーを背で庇いました。
「ね、この人だあれ?」
赤毛の女の子が不安げにハーマイオニーに耳打ちしました。ドラコはそちらに目を向け、言いました。
「ふん。そっくり同じ赤い髪……ウィーズリー、お前の妹だな? そろいもそろって、お前のうちの家計を表わしてるような色じゃないか!」
ハリー、ロン、ハーマイオニーはいっせいに怒りと罵りの言葉を投げつけ、小さな女の子の方はビクンと身体を震わせて大きな目を潤ませました。その時、ガツン! 鋭い痛みがドラコの頭に走りました。驚いて振り返ると、そこには冷ややかな目で自分を見下ろすルシウスの姿がありました。
「ドラコ、失礼なことを言うんじゃない。お友達に謝りなさい」
「こんな奴ら友達じゃ」
「ドラコ……一月小遣い抜きにされたくなければ素直に謝りなさい」
言いかけた言葉は低いささやきで遮られました。口元は笑っていますが目は冷たいままです。甘やかされて育ったドラコは今はじめて父親に恐怖を覚えました。おまけに頭を殴ったステッキがもう一度叩かれたいかとゆらゆらと揺れ動いているのですから、たまったものではありません。
「ぼ、僕が悪かったよ」
おずおずと謝ると、ルシウスはようやくステッキの先端を床につけました。警戒するように睨みつける子供達に朗らかな笑みを浮かべると手を差しだします。
「ドラコの父、ルシウスという。息子がいつも世話になっているね。この子は私に似てひねくれ者なのだ。なんとか仲よくしてやってくれたまえ」
そう言ってハリー、ロン、ハーマイオニーへと順々と握手をしていきます。ルシウスのような立派な大人に礼儀正しく握手を求められたりするのは初めてだったので、ハリー達はすっかり舞い上がってしまいました。
なんだ、いい人じゃん。そんなことをささやき交わす三人を尻目にドラコは少々複雑な思いを隠せなかったのですが…――言うなれば、嵐の前の静けさ。
ルシウスは最後に赤毛の小さな女の子に目を留めました。華奢な体つきの女の子です。少し大きめのローブをはおっているので余計そう見えるのかもしれません。金色に近い柔らかな赤毛を二つに束ねておさげにしているせいか、おとなしい控えめな印象を受けます。いじめっ子の親ということで緊張しているのかもしれません。大きなトビ色の目はチラチラと窺うように見上げてきましたし、目が合うと小さな肩を跳ね上がらせました。
「もしや、君は……君の名はジニー・ウィーズリーかな?」
「は、はい……そうです」
消え入るような弱々しい声でしたが、ルシウスの耳はしっかりと求め続けてきた名前を聞きつけました。
しゃがんで顔を覗き込むようにすると、ジニーは恥ずかしそうに目を伏せました。
「握手を…、してくれるかな?」
「は、はい。あ…、あの……どうして、あたしの名前を?」
パチパチとまばたきをしながらジニーが訊きました。ルシウスはその睫毛の長さに驚きながら、彼女のおさげを一つ手に取って自分の頬に押し当てました。
「運命というものを信じるかね?」
「運命?」
「そう。私は夢の中で幾度も君と会っていたんだ。きっと、いつか巡り逢えると信じていた」
「でも、あたしはあなたのこと知らないわ」
ジニーは大真面目にそう答えます。ああ、その声、表情、仕草のなんと可愛らしいことでしょう。ルシウスは高鳴る心臓を抑えることができず、息子が奇異の目で、先ほど挨拶を交わした子供達が不思議そうに、人垣がひざまずいて子供の手を取る中年親父を好奇心剥きだしに見ていることさえ気になりませんでした。というより目に入っていませんでした。
声を高らかに愛の言葉を口にしようとしたまさにその時です。
「私の娘から手を離せ! この悪党が!!」
アーサーが人の波をかき分けて駆け寄ってきました。