「……熱い……」
リルムは重いまぶたを開け、布団から這いでた。船室の丸い窓から西日が差し込んでいて、まぶしい。力任せにカーテンを閉めると、リルムはまたパタリとベッドに倒れ込んだ。汗がじっとりと浮かんだ顔を不機嫌そうに歪める。
「閉めてけよな…、ホンット気がきかないヤツら」
イライラしたように何度も爪を噛みながら、眉根を寄せる。
うるさいほどに鳴り響いていたエンジン音は止み、船体は少しも揺れない。廊下を騒がしく走り回る音も聞こえなければ、話し声も聞こえない。仲間達はフェニックスの洞窟に向かってしまったから、今、ファルコン号にいるのはリルム一人だけなのだ。
前日になって急に熱を出したりしなければ、リルムも行くはずだった。けれど、ロクに立てもしない状態で難攻不落のフェニックスの洞窟に挑むのは危険だと皆から反対された。たった一人で攻略に行ったらしいロックに追いつくためだ。お荷物を背負っていく余裕などありはしない。
カリ、と強く噛みついた瞬間、大きな目から涙がこぼれ落ちた。次の瞬間、リルムはワッと声を上げて泣きだした。
「どうした?」
低い声が耳を打った。リルムは慌てて目元を拭い、声のした方を睨みつけた。シャドウだった。
「何? なんで、ここにいるのよ」
「留守番だ」
気恥ずかしさから、つっけんどんな訊き方になってしまった。けれど、シャドウは相変わらず感情を窺い知れない、素っ気ない声で答えた。
「あんた、フェニックスの洞窟に行かなかったの?」
シャドウは黙って自分の足を指し示した。セリス達から、彼が獣が原の洞窟で重傷を負ったことは聞いていた。おそらく、その時の傷がまだ完治していないのだろう。
シャドウはそれっきり何も言わなかった。
一体なんのためにここにいるんだろう、とリルムは眉をひそめた。大体、無口だからといって挨拶をしないなんて法はない。自分が起きた時に声をかけるのが礼儀なはずだ。そうしたら、あんな風に泣いたりしなかったのに。
恨みがましい目で見ていても、彼は何も言わなかった。壁と一体化しているようにそこに【人がいる】といった感じがしない。物みたいなヤツ、とリルムは小声でつぶやいた。
「インターセプターは? いるの?」
シャドウは頷き、ドアの外を指し示した。立ち上がりかけたリルムに、
「今はやめておけ」
「なんでよ。退屈なんだもん。インターセプターと遊びたい」
「病気を治すのが先だ。おとなしく寝てろ」
有無を言わさない口調にリルムは腹を立てたが、思わずヒヤリとするほどの鋭い視線に気づいて、すごすごと身体を横たえた。
リルムはふっとストラゴスを思いだした。いつも小言ばかり言っていた祖父だが、たまに言葉少なに叱る時があった。そんな時は、普段のように言葉尻をからかったり、聞き流したりすることはできない威厳があった。今のシャドウの言い方は、そんな祖父とそっくりだった。
(おじいちゃん……)
彼の行方は依然としてつかめない。もう死んでしまったのだろうか。会えないのだろうかと思うと、目がまた熱くなってくる。
(おじいちゃんもあたしを置いてくの? ……パパみたいに)
命がけで魔物からサマサを守った母の葬式が終わったその日に、リルムの父親は姿を消した。リルムがまだ五つの時だった。ろくに顔も覚えていない。ただ、いつも寂しそうな顔をしていたことは覚えている。夜一人で寝つけないでいると、眠るまで手を繋いでいてくれた優しさも。
好きだと言っていた。愛していると言っていた。なのに、どうして置いていかれたんだろう。捨てられたんだろう。
大人は平気で嘘をつく、と聞いたことがある。子供を傷つけないように、子供の夢を壊さないように嘘をつくのだと。母親のことは愛していたけれど、自分のことは違ったのかもしれない。きっと嫌いだったのだ。母親と違って、暗闇を恐れるような弱い子だから。取るに足りない子供だから…――だから、自分を捨てて村を出て行ったに違いない。
そう結論を出した日から、リルムは自分の中に眠る魔法の才能を開花させていった。魔導師達の隠れ里では、魔力が尊ばれる。誰にも負けない強い魔法を操れるようになったら、きっと皆に認められる。自分を引き取ってくれたストラゴスも喜んでくれる。きっと、そうすればもう誰にも置き去りにされない。ひとりぼっちにならない。
そう思っていたのに、結局は同じ…――
盛り上がった布団がやがて動きをとめると、シャドウは立ち上がり、足音を立てずに近づいていった。濡れた頬に張りついた髪を払いのけ、疲れ果てた子供の寝顔を覗き込む。
赤ん坊のように指をくわえたリルムは年以上に幼く見える。シャドウはその手をそっと外し、代わりに自分の手を握らせた。黒頭巾の陰になったシャドウの表情は分からない。ただ、ぽっかりと開いたリルムの口が「パパ」と動くと、暗殺者には似つかわしくない手つきで彼女の頭を撫でた。
(2006/03/05)