対人格闘術の訓練でベルトルト・フーバーの前に進んで立つ者は多くない。同じ年頃の少年達と比べて身長がかなり高いというだけでも劣等感を抱くには十分であり、どの訓練もそつなくこなす器用な彼と戦って怪我でもしたら開拓地に戻されかねない。同じく体躯の恵まれたライナー・ブラウンのように面倒見がよく、手加減をしてくれるという確信がない相手とはやりあわない方が懸命だと皆から避けられていたのだった。大抵彼の相手はライナーか、【死に急ぎ野郎】とあだ名をつけられているエレン・イェーガー、ある程度の実力があって仲間想いのマルコ・ボットだった。
だが、その日、教官に見つからないよう訓練生達の合間を縫って歩いていたベルトルトの前に、見慣れない少年が現れた。104期生は総勢二百名を越えるため、全員が全員を知っているわけではない。出身地が近いもの同士が固まる傾向にあり、卒業まで接点がない者も多いのだ。この少年はベルトルトほどではないが背が高く、細い体つきだ。鋭い眼光にかちあった瞬間、ベルトルトは思わずドキリとした。蔑みに満ちた目…――そんな印象を受けたからだ。お前のやったことは知っている、とそう言われている気がした。
「よう。あんた、ここんところずっと暇そうじゃないか。やろうぜ」
応える間もなく、少年が飛び込んできた。反射的に身を退き、左腕でガードしなければ顎に強烈な一本を打ち込まれていたに違いない。少年も意外だったのだろう。ヒュッと口を鳴らし、飛び退った。
「……ッ! いきなり、何を」
「いきなりって訓練中だぜ? それに…、意外にやるじゃん。ただの木偶の坊だと思ったぜ」
グッと腰を落とすと少年は再び襲い掛かってきた。
まるで全身がバネのようだ、とベルトルトは驚愕した。ある程度身長があるのに、この素早さはどうだ? それに打ち込まれる拳の重さ。
ウォール・ローゼに送り込まれる前に、ベルトルトとライナーは鍛え上げられていた。一流の兵士になり、訓練兵で上位10名になり、憲兵団に入るために。ウォール・シーナ内に潜入し、王制を瓦解させて帰れなくなった故郷に帰るために命がけだった。餓死しないために、少しでも楽をしようとするためだけにここにいる訓練生達とはワケが違う。そう思っていたのに。
ベルトルトは改めて少年の顔を見た。鋭い目つき。この目には見覚えがある。
超大型巨人としてウォール・マリアを蹴破った後、巨人化を解いて人ごみに紛れるようにして逃げていった。我先にと逃げていく人々のほとんどが恐怖に見開いた目をしていたが、ただ一人立ち尽くしている男がいた。黒の長衣に身を包み、穴の開いた壁を、侵入してくる巨人達を見やる鋭い目。男が何故逃げなかったのかは分からないし、その後の消息も分からない。おそらくは巨人に喰われてしまっただろう。けれど、自分の身に差し迫った危険よりも、本でも読んでいるかのように客観的な目線で巨人を見ていた男のことが心に焼きついた。
少年の目は、あの時の男を思い出させた。
過去に思いを馳せている間も猛攻撃は続いていた。防戦一方のままではやられる。打ち寄せてくる拳の嵐の中、タイミングを計ってベルトルトは少年の手首をつかんだ。自分の方に引き寄せると同時に半身を翻して少年の身体を放った。地面に仰向けに転がった少年は呆気に取られたような表情を浮かべたが、素早く身を起こそうとする。ベルトルトは反射的に少年に馬乗りになり、胸を押さえつけた…――が。
柔らかな感触に目を見開いた。冷や汗がタラタラと流れてくる。
今の、この感触は…――
「おい」
嗄れた声だが、決して低すぎはしない。ソバカスの浮いた白い肌には透明感がある。青ざめていたベルトルトの顔が、見る見る間に赤く染まっていく。
まさか…、まさか…――フリーズしてしまった手をそのままにベルトルトはつぶやいた。
「君…、女……なの……?」
「いつまで触ってるんだって、よ!」
「うっ!!」
股間に強烈な一撃を受けてベルトルトは地面に転がった。凄まじい吐き気と痛みに声も出せずに蹲るベルトルトの耳に、周囲のざわめきも入ってきた。
「うぉ、信じらんねぇ、あのクソ女……大丈夫か、おい?」
「え…、えげつねェ……」
「ベルトルト、ねえ、大丈夫!?」
白熱した戦いにいつの間にやらギャラリーが大勢集まっていたらしい。思わずこぼれてしまった涙を拭いてベルトルトは顔を上げた。心配そうに顔を覗き込む者や、肩を貸そうとする者…――訓練兵団に所属してから人の輪に入るのは初めてだった。いずれは殺さなければならない人達と共に暮らし、情が移るのは避けたかったからだ。だが、親密になるのは自分の心を後々苦しめるだけだと分かっていながらも、久々に感じる温もりが心地よいのも確かだった。
少しずつだが痛みが遠ざかってくると、先ほどの少年、いや、あの中性的な少女の姿を探したが、視界の中に彼女の姿はなかった。
「ありがとう……あの、さっきの子……後で、謝りたいことがあるんだけど。なんて名前なの?」
ハンカチを差し出し、噴き出た汗を拭ってくれようとする金髪の少女――確か、クリスタといっただろうか。訊いてみると、
「ユミルっていうの。ごめんね、痛かったよね」
自分が悪いわけでもないのに何故か謝るクリスタにもう一度礼を言うと、ベルトルトは立ち上がった。恋心を抱いているアニ以外で同期の姿を探すのは初めてなことにベルトルト自身気づいていなかった。
(2013/11/30)