凍てついた夏の日 一話目

後日加筆修正すると思うけれど、オリオン過去話の出だしはこんな感じです……全然書けないので中途半端だけど、日記に書いておこうと思って。
オリオンの母親が毒親なので、ご注意。

前提としてはメラニア・ブラック(旧姓マクミラン)は良家のお嬢様で家事らしいことは一切やったことのない人。ホグワーツ時代も成績はさほどよくない。ただ、洗練された優雅な仕草や淑女らしい微笑をたたえた顔のお陰でチヤホヤされてきた苦労知らず。
ルクレティア、オリオンを乳母に育てさせ、気まぐれに甘やかしていた。自身で叱りつけることは皆無だったので、姉弟からは【優しいお母さま】として好かれてはいたと思う。

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 ドイツに宣戦布告して以来、UK全土が不穏な空気に満ちていた。
 戦時下ということで映画館は軒並み閉鎖していき、日々の暮らしから急速に娯楽が失われていく。こんな情勢の中、浮かれ歩くのは不謹慎ではないか。そう人々は互いに行動を牽制しあい、窮屈さは日ごとに増していった。
 きらびやかな装飾も、華やかな衣装も今のご時世には相応しくない。そうした意識が街並みからも人々からも色を失わせ、一層戦時下の空気を強めた。戦火を直接目にすることがなくとも、空を仰げば自国の戦闘機を目にすることも珍しくない。近い将来爆撃されるかもしれないところにいるよりはと田舎へと疎開する者も少なくない。
 そしてマグル界での紛争は、彼らの中に紛れて暮らす魔法使い達にも確実に影響を与えていたのだった。

「……いつぞやのグリンデルバルドの預言も見事に的中したというわけね。なんだって野蛮なマグルの戦争なんかに、私達が振り回されねばならないのかしら」
 ぶつぶつと不平を口にしているのは、ブラック家当主の妻であるメラニア夫人だ。彼女がかろやかに杖を動かすと、小動物のようにピョンピョン跳ね回るトランクケースから家財道具が次々と吐きだされる。厚みのあるふかふかした絨毯、モスグリーンのビロードのカーテン、ずっしりと重みのあるテーブルや椅子…――トランクケースより、よほど大きい物ばかりだ。その一つ一つがあるべき場所に収納されていくと、みすぼらしいばかりだった室内が何処ぞの邸宅のように見栄えがするようになった。けれど、それを見つめる夫人の表情は硬くこわばっている。

「……こんな片田舎にこなければならないなんて。パーティーもない。ドレスもない。屋敷しもべ妖精もいない…――こんな不便な場所にいつまでいればいいの?」

 彼女は元々この疎開に乗り気ではなかった。由緒あるマクミラン家の令嬢として生を受け、これまでの人生で苦労と言えるものは何ひとつしたことがなかったメラニア夫人である。そして、同じく高貴な家柄と崇められるブラック家の当主の妻となった後も当然その暮らしぶりは変わらなかった。
 住み慣れた美しい屋敷を離れることに抵抗があったし、何より屋敷しもべ妖精のいない生活なんて考えるだけでも悪夢のようだ。
 やるせなさを深い溜息と共に吐きだすと、ふと彼女は鏡越しにじっと自分を見つめる目線を感じた。不自然にならない程度にゆっくりと視線を逸らすと、荷物の整理に取りかかる。すると、おずおずと視界に細い足が入ってきた。それでもメラニア夫人はかたくなに背を向けたままでいた。

「お母さま」
 青白い顔をした男の子が、遠慮がちに呼びかけた。メラニア夫人は頭痛をこらえるように両のこめかみを押さえた。
「……なあに?」
 振り向きもせずにそう言われたためか、男の子はそれ以上近づけなくなったようだ。重たげな前髪の下で、灰色の目をさかんに瞬く。
「僕にも何かお手伝いできることはありますか?」
「あら、いいのよ。ここは、お母さまに任せてちょうだい。そうね……あなたはお散歩にでも行ってみたらどうかしら。引っ越したばかりですもの。ひょっとしたら、お友達ができるかもしれなくてよ」
 それは口ぶりこそ優しいものの、体のいい拒絶の言葉だった。男の子にはそれがしかと伝わったのだろう。消え入るような声で「はい」と言うと、足取り重く出ていった。今しがたセットしたばかりの肘掛け椅子に腰を下ろしたメラニア夫人は、憚ることもなく両手で顔を覆った。

 十年前は家督を継ぐ嫡男の誕生に、一族の誰もが祝福したものだった。そして成長するにつれ、同じ年頃の少年達よりも利発だ。見目麗しい。さすがはブラック家の血筋だと褒めそやされると息子が誇らしく、そんな子を産んだ自分の矜持が存分に満たされたものだ。
 そんな風向きが変わってきたのは三年ほど前からだ。
 魔法使いの子供には三種類いる。生まれたての赤ん坊から魔法を使える者と、何かの拍子に魔力が芽吹く者。数としては圧倒的に後者が多く、大体が七、八歳頃までに魔法を使えるようになる。そして彼女の息子のように十歳を過ぎても魔法を使えない者は【スクイブ】と言われるのだ。
 なんとか魔法の力を引きだそうと階段から突き落としたりもしてみたが、大怪我を負わせてしまっただけだった。密かにかかりつけの癒者に見せてみたが、種のない植物を生やすことはできないと途方に暮れるばかりで、いっかな助けになってはくれなかった。
 かくして自慢の息子は厄介者となり、親族の目が懐疑から憐れみへと変わった頃。彼女の夫は遠縁のアルファードを頻繁に招くようになった。
 アルファードは息子より二歳年上の少年で、生まれながらに魔法を使える稀有な存在だった。子供達にとって再従兄弟にあたる彼の来訪をはじめのうちこそ気にも留めなかったメラニア夫人だったが、次第に疑いが芽吹いてきた。誰をも寄せつけない書斎に招き入れては長い時間を共に過ごし、時には数週間単位で泊まることも珍しくはなかったのだから。

(あの方はアルファードをスペアにするつもりに違いない。敵国の空爆を避けるためだなんて、私を遠ざけるための言い訳よ。マグルの野蛮な武器なんかで魔法使いが怪我するものですか。あの子のため? まさか! スクイブの息子が命を落としたら、まさに願ったり叶ったりじゃないの)

 メラニア夫人は握りしめた親指の爪をきつく噛みしめた。淑女らしくないと幼少時にたしなめられた癖だったが、最近では我慢することができない。
(いいえ、今からだって遅くない。もう一人男児を産めばいいのよ。そうすれば、私は当主の妻としていられる)
 何処までも自分本位な考えをしていることにメラニア夫人は気づいていなかった。